利用者:Chi-ki2/sandbox
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所在地 | 福井県福井市生部町1-11 |
山号 | 金銘山 |
宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
本尊 | 阿弥陀如来(南無阿弥陀仏) |
創建年 | 長禄元年(1457年) |
開基 | 如浄 |
瑞應寺(ずいおうじ)は、福井県福井市生部町にある浄土真宗本願寺派の寺院である。山号は金銘山。本尊は阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)設寺には諸説あるが、長禄元年(1457年)に現在の地に移転され、如浄を開基とした。
歴史
[編集]設寺
[編集]設寺には諸説ある。
1.奈良時代、行基によって建立された春江本堂寺の末寺として建立。
2.天元四年(981年)12月23日、開祖林祥という者が創立。
3.天正天皇時(680~748年)、山城に設寺。天台派金銘山釿剛寺・興隆寺平寺と名付けられたが、源平戦の時に越前に逃れ、随應寺を春江村に建立。
寺基移転
[編集]15世紀中頃、坂井郡春江村から移転。現在坂井市春江町随應寺という地名も残っている。蓮如上人は朝倉氏に取り入っており、朝倉氏は一つに自分の西方避難所として、二つに上人の一見張所として現在の地に寺を移転させた。春江随應寺から玄信坊を生部に迎えて随應寺を建立し、その後中野専照寺より如浄を迎え、浄土真宗の開基とした。
後に水戸黄門が北陸下向の際随應寺に立ち寄り、瑞應寺寶閣の名前を贈った。それから「随」を「瑞」と改めて、瑞應寺と呼ぶことになった。
その他
[編集]- 残っている古図によると、寺の構えは城郭の構造をしていた。
- 弘化の火災により、旧記録は悉く焼失。
言い伝え
[編集]これらはあくまでも言い伝えである。
- 現在は新しい塀垣となっているが、昔のものには鉄砲で撃たれた跡が残っていた。
交通アクセス
[編集]- 自動車
- 北陸自動車道福井インターチェンジより車で15分
参考文献
[編集]- 『足羽町史』
- 『瑞應寺書』
- 『春江町史』
- 『福井県足羽郡誌後編』
- 河合千秋『福井縣の傳説』郷土研究部、1936年