利用者:Darius~jawiki/作業場2
ローヌ川渡河戦 | |
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第二次ポエニ戦争要図 | |
戦争:第二次ポエニ戦争 | |
年月日:紀元前218年9月下旬 | |
場所:ローヌ川(現フランス・諸説あり) | |
結果:カルタゴの勝利 | |
交戦勢力 | |
カルタゴ | ウォルカエ族 |
指導者・指揮官 | |
ハンニバル | 不明 |
戦力 | |
歩兵 約38,000 | 不明 |
損害 | |
不明 | 不明 |
ローヌ川渡河戦 (ろーぬがわとかせん)とは、第二次ポエニ戦争中にの紀元前218年の秋にオランジュ近辺のローヌ川の東岸でハンニバル指揮下のカルタゴ軍とガリア人の一派であるウォルカエ族との間で起こった戦闘である。ウォルカエ族はカルタゴ軍がイタリアに侵入するのを防ぐため、ローマ軍の代わりにマルセイユの近くのローヌ川東岸に駐屯していた。それに対し、カルタゴ軍はローヌ川を渡る前にウォルカエ族を攻撃するという作戦を立てた。そして、ローヌ川の上流部にハンノが率いる一隊を派遣し、ガリア人の後方を衝かせた。ハンニバルが率いる本隊はハンノから待ち伏せが完了したとののろしの知らせを受けると川を渡った。ガリア人はハンニバルの攻撃に対して戦ったが、ハンノの軍が後方から衝いた。この戦いにはローマ軍は参戦しなかったが、もしローヌ川でローマ軍がカルタゴ軍が渡河するのを防ぐことができたら紀元前218年にイタリアにカルタゴ軍が侵攻しなかったかも知れない。また、この戦いはイベリア半島以外で起こった第二次ポエニ戦争の最初の戦いでもある。
ローマの迎撃体勢
[編集]ローマ軍とカルタゴ軍は来るべき戦争のために軍事力を増強していた。ローマ元老院がカルタゴに対し宣戦布告したすぐ後、ハン二バルは自軍に進軍を命じた。
ローマ海軍は紀元前220年から紀元前219年にかけてイリュリアとの戦争をしていたので、紀元前218年には220隻の五段櫂船を進水させることができた。また、紀元前218年の執政官に任命されていたティベリウス・センプロニウス・ロングスはアフリカに向かうために2個軍団(歩兵8000 騎兵600)とローマ同盟国軍(歩兵16000 騎兵1800)を160隻の大型軍船と12隻のガレー船に載せてシチリアに向かった。もう一人の執政官のプブリウス・コルネリウス・スキピオは2個軍団とローマ同盟国軍(歩兵14000,騎兵1600)を65隻のガレー船に載せてハンニバルのイタリア侵攻を防ぐために移動した。ルキウス・マンリウスには2個軍団(歩兵10000 騎兵1000)が与えられた。ガリア人の種族で北イタリアに居住するボイイ族とインスブリア族は