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利用者:Dassaim/日本のヒーブ(下書き)

日本のヒーブ(にほんのひーぶ)とは、日本で活動しているヒーブ(HEIB、Home Economists in Business)のことである。アメリカではヒーブは企業内で働く家政学士を指すが、日本においては日本ヒーブ協議会に参加している女性を指す用語として定着している。

定義[編集]

ヒーブ(HEIB)とは英語の "Home Economists in Business" の略語で、企業の中で働いている家政学士を指す言葉であり、「企業内家政学士」とも訳される[1][2]。ただし、日本におけるヒーブは家政学士に限定されず、1979年に発足した「日本ヒーブ協議会」の会員である女性のことを指す言葉として定着している[3]。一方で、ヒーブ発祥の国であるアメリカでは、アメリカ家政学会の中に設けられたHEIBの専門部会に所属するメンバーを指す言葉である[1]

「職業名索引」における分類[編集]

「ヒーブ」という職業名は公的にも認められており、1986年に改定された労働省「職業名索引」に「ヒーブ」という語が初めて掲載された[3]。この時には「専門的・技術的職業」の大分類の中の「他に分類されないその他の専門的・技術的職業」の小分類に分類されていた[3]。その後、2011年に公表された第4回改訂版「職業名索引」では、大分類「C. 事務的職業」、中分類「25 一般事務の職業」、小分類「253 企画・調査事務員」の中の「253-02 商品企画事務員」の一つの種類として「ヒーブ(商品開発担当者)」が分類されており[4]、2022年に公表された第5回改訂版では大分類「06 事務的職業」、中分類「033 総務・人事・企画事務の職業」小分類「033-03 企画・調査事務員」に分類されている[5]

歴史[編集]

アメリカでは、大量消費社会が発展していく中で、企業が消費者の立場に立ったマーケティングの実施や、消費者問題への対応を行う人員として、家政学士として専門的な知見を持ったHEIBの採用を進めた[1]。その流れに対応して、1923年にアメリカ家政学会内にHEIBの専門部会が設けられ、1967年にHEIBという略称が正式に承認された[1]

一方、戦後の日本では「消費革命」(『国民生活白書』1958年版)と呼ばれる大きな生活の変化が起こった。「消費革命」では、高度で複雑な工業製品が家庭で使用されるようになり、消費を換気する皇国・マーケティングも活発になっていった[6]。それと同時に「消費者の権利」という考え方も知られるようになり、主婦連合会(1948年結成)や日本生活協同組合連合会(1951年結成)、全国消費者団体連絡会(1961年設立)などの消費者団体が結成、設立され、消費者運動が活発になっていった[7]

以上のような消費者運動の盛り上がりの中で、1970年前後から日本においてもアメリカにおけるHEIBについての関心が高まっていった[8]

日本でHEIBがひろく知られるきっかけとなったものの一つは、経済評論家高原須美子が1972年に雑誌に寄稿した「消費者と企業を結ぶ環 ホーム・エコノミスト」という記事であった[9]。記事の中で高原は、実際にHEIBがアメリカの企業の中で活躍している事例を紹介するとともに、企業内ホームエコノミストの役割についても検討している[10]。高原は、企業内ホームエコノミストの役割として、「企業からの情報を消費者にわかりやすく伝えること」「消費者の苦情・問い合わせに応えること」「製品の使用法・手入れ法などを消費者の立場でテストすること」「消費者のニーズに応えた新製品の開発・既存製品の改良を行うこと」「消費者の声を企業にフィードバックすること」を挙げている[11]

1974年10月11日に第一回「日米HEIB会議」が開催された[12]。主催は社会開発総合研究所で、経済企画庁、日本家政学会、ニッポン放送の後援があった[12]。この会議には、実際にアメリカでHEIBとして活躍する女性がアメリカのジョンソン・ワックス社の日本法人に招かれて来日することに合わせて開催され、13人のアメリカのホームエコノミストが登壇した(うちHEIBは4人)[13]。日本側からも13人が登壇したがその中にヒーブは含まれず、アメリカのHEIBを研究する家政学者松島千代野や国際家政学会副会長を務めていた山本松代などが登壇した[14]。開催に当たって事務局が企業を回って勧誘したことや、会議の様子が新聞や雑誌などで報じられたことにより、日本企業のヒーブへの関心を高めるきっかけとなった[14]

1977年、第二回日米HEIB会議が開催された[15]。ジョンソン社が主催し、日本家政学会とアメリカ大使館が後援した[15]。この時日本ではHEIBへの関心が高まっており、日本側の参加者は300人であったが、参加申し込みはさらに多く、100人の参加申し込みを断ったとされる[15]

1978年9月、「日本ヒーブ連絡協議会」が結成された[16]

1979年、「日本ヒーブ連絡協議会」が「日本ヒーブ協議会」へと改称された。

日本の主なヒーブ[編集]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c d 満薗 2022, p. 16.
  2. ^ 満薗 2022, p. 47.
  3. ^ a b c 満薗 2022, p. 17.
  4. ^ 労働政策研究・研修機構編 2011, p. 265.
  5. ^ 労働政策研究・研修機構編 2022, p. 259.
  6. ^ 満薗 2022, p. 48.
  7. ^ 満薗 2022, pp. 49–50.
  8. ^ 満薗 2022, p. 52.
  9. ^ 満薗 2022, p. 53.
  10. ^ 満薗 2022, pp. 54–55.
  11. ^ 満薗 2022, p. 55.
  12. ^ a b 満薗 2022, p. 56.
  13. ^ 満薗 2022, pp. 56–57.
  14. ^ a b 満薗 2022, p. 57.
  15. ^ a b c 満薗 2022, p. 62.
  16. ^ 満薗 2022, p. 66.

参考文献[編集]

関連文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

日本ヒーブ協議会