利用者:Elthy/真実を求めず、現実を語れ

真実なんて、ないんだよ[編集]

wikipediaの管理者になって、特に保護解除ばっかりをやってるとどうしても

  • 「この記事はどうして保護されたのか」

を真面目に考える機会が多くなります。まぁ大雑把に言うと一つは荒らし、一つは編集合戦です・・・ぶっちゃけ一緒ですけどね?

両者の違いは片方が正義はわれにありと錯覚しているかどうか、そんだけの話です。で、両者には共通点があります。

  • 真実はわれにありと思い込んじゃってること。

wikipediaに中傷をすることはあっても、敢えて嘘を書こうとする人はめったにいません。中傷にしても読み直してみると「そう考える人はいそうだなぁ」ということが多いのです。

で、その項目の対象について賛美したい人に見える「真実」と中傷したい人に見える「真実」同士で俺の真実は正しい!と引きずり回しあいをするためにいつまでもおわらない議論ノートと保護テンプレートがついた悲しい死体項目が出来るわけです。

wikipediaの項目は生きて動いているから価値があるもの。死んだ項目を漁るのなら専門家の先生がご執筆なされたもっといい書物がほぼ確実にあります。

現実は、あるんだよ[編集]

そーじゃないでしょ?と私は言いたい。wikipediaは良くも悪くも事実をタンタンと語るべきだと思うわけ。真実を追究しようとしても所詮人間にはわかりゃせん、精精「目で見た限りは」という限定の元で「正しいと思っている人が多い」のを導き出すのが精一杯。でも事実は裏切らない。

編集合戦が存在する場合、そこには過剰中傷評価も過剰愛賛評価も「事実として存在する」わけです。確かにその項目の対象を見る愛好家のためには「そんなもん嘘に決まってるから削除すべき」という火を噴くような考えもあろうし、逆からみても同じこと。でもどちらも記述として残っていいようなことなのです。

ぶっちゃけ、wikipediaの項目中には矛盾があるのが当たり前と思ってさえいます。それを全体的に「だからどないやっちゅうねん」という中立派のオブラートでなまゆるく包めば包括的記事が完成すると思います。Aのことが好き、Aのことが嫌いという両極の周囲には「なんでそんなに熱いのよ」と冷ややかな目線で見ているその何倍もの無関心、無思考、無方向がいると思っていいのでは?と考えます。

願わくば管理者が喜んで保護解除をやりまくれるような環境になりますように。

追加。[編集]

それでも納得いかなければアンサイクロペディアに行っていかに信憑性ありげな大嘘をぶっこくのが難しいか、肌身に感じたらよいかと思いますよ(・▽・)