利用者:Eugene Ormandy/sandbox46 ルネ・バトン
ルネ・バトン | |
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基本情報 | |
生誕 | 1879年9月5日 |
出身地 | フランス |
死没 | 1940年9月23日(61歳没) |
学歴 | パリ国立高等音楽院 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 指揮者、作曲家 |
ルネ・バトン (Rhené [† 1] Baton, 1879年9月5日 - 1940年9月23日) は、フランスの指揮者・作曲家である[1]。
経歴
[編集]1879年、フランスのカルヴァドス県クールスール・シュル・メールに生まれ、パリ音楽院で作曲をアンドレ・ジェダルジュに、ピアノをド・ベリオに師事した[1][2][3]。その後、新聞の音楽批評家としてキャリアを開始したが、オペラ・コミークの合唱指揮者に転身し、1910年にはアンジェとボルドーの指揮者となった[1]。
コンセール・パドルーは、ジュール・パドルーが1861年に立ち上げたコンセール・ポピュレール・ド・ミュージック・クラシックを起源としている[4]。パドルーは高踏的なパリ音楽院管弦楽団に対抗して、大衆向きの曲目と低料金を掲げた交響楽運動を展開し、フランス人作曲家の新作やロシア音楽、リヒャルト・ワーグナーの作品を自らの指揮のもと紹介したが1884年に引退し、それと同時にオーケストラも解散となった[4]。しかし1918年に、事業家のサンドベールがパドルーの意志を継ぎ、1920年にはバトンを迎えてコンセール・パドルー協会が設立された[4]。
ドイツやオランダへの客演や、セルゲイ・ディアギレフが主催するバレエ・リュスの指揮も行なった[4]。
レコーディング
[編集]1924年にコンセール・パドルーを指揮して録音された、エクトル・ベルリオーズ作曲の『幻想交響曲』は、同曲における世界初の録音であり、2019年に作曲家の没後150周年を記念して作成された作品全集のCDボックスには、状態の良いSP盤を所有していたラジオ・フランスの協力でリマスター収録された[5][6]。
初演作品
[編集]- 1919年5月17日、ラヴェルの「道化師の朝の歌」管弦楽編曲版がパリで初演。指揮するコンセール・パドルー[7]
日時 | 場所 | 作品 | オーケストラ | その他 |
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1919年5月17日[7] | パリ[7] | モーリス・ラヴェル『道化師の朝の歌』管弦楽編曲版[7] | コンセール・パドルー[7] | |
作曲
[編集]管弦楽曲、ピアノ曲、室内楽曲、歌曲などを残しており、「優美な詩的感情とスタイルを特色とする」と評されている[2]。また、ピアノ連作『ブルターニュにて』など、「地方色の豊か」なものが多いとされている[2]。
評価
[編集]バトンの姿を目にした音楽評論家の大田黒元雄は、バトンの「頑丈な四角な身体と太い頸に支えられた髭だらけの顔」を見て「これがあの優雅ないくつかのピアノの曲や、アルべエル・サマンの詩に節づけた美しい歌曲を作った人かと意外に思われた」と記しているが、「彼の鋭い眼光がその音楽にあらわされた和やかな光をかくしている」とも記した[8]。
参考文献
[編集]- 淺香淳編『標準音楽辞典 ト−ワ 索引』音楽之友社、1991年。
- 大田黒元雄『華やかなる回想』第一書房、1925年。
- 音楽之友社編『名演奏家事典(中)シミ〜フレイレ』音楽之友社、1982年。
- 下中邦彦編『音楽大辞典第5巻』平凡社、1983年。
- 出谷啓「ルネ・バトン」、大谷隆夫『ONTOMO MOOK 最新 世界の指揮者名鑑866』音楽之友社、2010年。
- 遠山一行、海老沢敏編『ラルース世界音楽 作品事典』福武書店、1989年。
- 遠山一行、海老沢敏編『ラルース世界音楽 人名事典』福武書店、1989年。
- 村田武雄監修編『演奏家大事典 第Ⅰ巻』財団法人音楽鑑賞教育振興会、1982年。
出典
[編集]注釈
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d 出谷 p202
- ^ a b c d 下中 p2766
- ^ 村田 p117
- ^ a b c d 淺香 p 1434
- ^ “ロジャー・ノリントン他『ベルリオーズ作品全集』 没後150年のアニバーサリー・イヤーに、史上初の完全なベルリオーズ作品全集が登場”. Mikiki. 2020年7月26日閲覧。
- ^ “TOWER RECORDS ONLINE”. tower.jp. 2020年7月26日閲覧。
- ^ a b c d e “気まぐれ音楽カレンダー♪|101年前の今日、ラヴェルの「道化師の朝の歌」(管弦楽編曲)初演!”. 音楽っていいなぁ、を毎日に。| Webマガジン「ONTOMO」. 2020年7月26日閲覧。
- ^ 大田黒 p182