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利用者:Eugene Ormandy/sandbox64 アドルフ・ブッシュ

フリッツ・ブッシュ (Fritz Busch 1890年3月13日 - 1951年9月14日) はドイツの指揮者である。ドレスデン国立歌劇場音楽監督、グラインドボーン音楽祭音楽監督等を務めた[1]。ヴァイオリニストのアドルフ・ブッシュ、チェリストのヘルマン・ブッシュは弟[1]

生涯[編集]

1890年3月13日に生まれる[1]ケルン音楽院で指揮を学び、1909年にデビューした[1]。その後アーヘン市立歌劇場シュトゥットガルト歌劇場ドレスデン国立歌劇場の音楽監督を歴任したが、ナチスが政権を握った1933年にはドイツを去った[1]。ブッシュはユダヤ系ではなかったが、ナチスに嫌悪感を抱いたためこのような決断をした[1]。なお、ナチス時代のドイツで活躍し、ナチス高官の前でも演奏を行なった(しかしナチスには反発していた)指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーが、1949年から1950年のシーズンにシカゴ交響楽団に客演する可能性があるという話が持ち上がったときには、ウラディーミル・ホロヴィッツアルトゥール・ルービンシュタインヤッシャ・ハイフェッツナタン・ミルシテインらとともに、抗議の嘆願書に署名している[2]。なお、同じくナチスを嫌ったアルトゥーロ・トスカニーニの後継者として、1933年にはバイロイト祝祭音楽祭音楽監督の候補の1人ともなったが、ブッシュはそれについて「問題外」と述べている[3]。亡命後も、優秀な芸術家が出払ってしまったドイツへ戻ってくるよう誘われたが断っている[4]

ドイツを去ったのちは北欧や南米で活躍し、デンマーク放送交響楽団ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団を指揮した[1]

また、1934年から1939年にかけて、ジョン・クリスティが創設したグラインドボーン音楽祭の音楽監督を務め、モーツァルトのオペラの世界初録音などを行なった[1]

1939年には、ナチスを嫌ってザルツブルク音楽祭から離れたトスカニーニが開催したルツェルン音楽祭に参加している[5]

戦後にはドイツでの客演も再開した[6]。戦後にはウィーンにも客演するようになった[7]

1951年9月14日、イギリスにて死去[1]

第一次世界大戦期には歩兵部隊に志願している[8]

先人からの影響[編集]

自身が全く興奮していなくても観客を熱狂の渦に巻き込む指揮者リヒャルト・シュトラウスについて、ブッシュは「巨大な才能に飲み込まれることなく、それをコートのように羽織っている」と語った[9]。なお、シュトラウスが作曲したオペラ『アラベラ』を、ブッシュは1933年にドレスデンで世界初演する予定であり、手紙のやりとりを行うなど作曲過程にも携わったが、ナチスによりドレスデンの職を追われたため、急遽クレメンス・クラウスがウィーンから歌手たちを連れてきて代理を務めた[10][11]

後進への助力[編集]

ナチスの台頭により、故郷のハンガリーや、以前ポストを得ていたドイツにおける演奏活動が難しくなった指揮者のゲオルグ・ショルティに対し、スカンディナビアで活躍できるよう取り計らっていたが、若きショルティよりも有名な亡命音楽家が他にも多くいたため、うまくいかなかった[12][13]

初演作品[編集]

著書[編集]

レコーディング[編集]

評価[編集]

指揮者からの評価[編集]

指揮者のゲオルグ・ショルティは、ブッシュについて「ドイツ音楽の伝統を体現する名指揮者」と評している[12]。また、指揮者のヴィルヘルム・フルトヴェングラーも、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を率いてストックホルム公演を行なった際、リハーサルにおいて「ストックホルムではとくにいい演奏をしないといけない。ここにはドイツの偉大な指揮者がいるのだから」と、オーケストラに言い聞かせている[12]

オーケストラからの評価[編集]

ブッシュはいくつかのオーケストラの音楽監督を務めたが、それ以外のオーケストラからも音楽監督候補として注目されていた[1][15]アルトゥール・ニキシュ亡き後のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団では、後継者候補としてブッシュの名前が挙げれられていたほか[15]ニューヨーク・フィルハーモニックバイロイト音楽祭からは、アルトゥーロ・トスカニーニの後任となるよう実際に打診されているが断っている[1]

参考文献[編集]

  • 大谷隆夫編『ONTOMO MOOK 最新 世界の指揮者名盤866』音楽之友社、2010年、ISBN 978-4-276-96193-7
  • 岡田暁生『作曲家 人と作品 リヒャルト・シュトラウス』音楽之友社、2014年、ISBN 978-4-276-22195-6
  • スティーヴン・ギャラップ『音楽祭の社会史 ザルツブルク・フェスティバル』城戸朋子、小木曾俊夫訳、法政大学出版局、1993年、ISBN 4-588-02141-9
  • オットー・シュトラッサー『前楽団長が語る半世紀の歴史 栄光のウィーン・フィル』ユリア・セヴェラン訳、音楽之友社、1977年。
  • ゲオルグ・ショルティ『ショルティ自伝』木村博江訳、草思社、1998年、ISBN 4-7942-0853-7
  • ヴァルター・デピッシュ『大作曲家 リヒャルト・シュトラウス』村井翔訳、音楽之友社、1994年、ISBN 4-276-22160-9
  • ヘルベルト・ハフナー『ベルリン・フィル あるオーケストラの自伝』春秋社、2009年、ISBN 978-4-393-93540-8
  • エリック・ライディング、レベッカ・ぺチェフスキー『ブルーノ・ワルター 音楽に楽園を見た人』高橋宣也訳、音楽之友社、2015年、ISBN 978-4-276-21799-7

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k 大谷隆夫編『ONTOMO MOOK 最新 世界の指揮者名盤866』音楽之友社、2010年、49頁。
  2. ^ ライディング、ぺチェフスキー (2015)、459-460頁。
  3. ^ ギャラップ (1993)、135頁。
  4. ^ ハフナー (2009)、143頁。
  5. ^ ギャラップ (1993)、195-197頁。
  6. ^ ハフナー (2009)、179-180頁。
  7. ^ シュトラッサー (1977)、255頁。
  8. ^ ハフナー (2009)、81頁。
  9. ^ 岡田 (2014)、114-115頁。
  10. ^ 岡田 (2014)、167頁。
  11. ^ デピッシュ (1994)、212-213頁。
  12. ^ a b c ショルティ (1998)、59頁。
  13. ^ ショルティ (1998)、60頁。
  14. ^ ライディング、ぺチェフスキー (2015)、236-237頁。
  15. ^ a b ハフナー (2009)、90頁。