利用者:Eugene Ormandy/sandbox93 オトマール・スウィトナー

ユリウス・ルーデル
生誕 1921年3月6日
出身地 オーストリアの旗 オーストリアウィーン
死没 (2014-06-26) 2014年6月26日(93歳没)アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国マンハッタン
学歴
ジャンル クラシック音楽
職業 指揮者
担当楽器 ピアノ

ユリウス・ルーデル(Julius Rudel, 1921年3月6日ウィーン - 2014年6月26日マンハッタン)は、指揮者である。

生涯[編集]

1921年3月6日、ヤコブとヨゼフィーネのもとウィーンで生まれる[1][2]。父は法律家で、保険会社の役員も務めていた[2]。3歳でヴァイオリン、7歳でピアノを始め、ウィーン音楽アカデミーで学ぶも、1938年のナチス・ドイツによるオーストリア併合を受け、17歳の時に母と弟とともにパリ経由でニューヨークへと渡った[1][2]。なお、父はオーストリア併合の2ヶ月前に死去している[2]。その後、マネス音楽大学で勉学を続け、1942年に卒業[1]。なお、ルーデルは音楽の勉強の傍ら、家計を助けるために配達員や在庫係として働いていた[2]。また、1942年にはリタ・ギリスと結婚した[2]

1943年、練習ピアニストとしてニューヨーク・シティ・オペラに入団[3]。アメリカ合衆国の市民権を得た1944年に副指揮者へと昇格し、同年『ジプシー男爵』を指揮してデビューを果たした[3]。その後も副指揮者として活動を続け、1957年に音楽監督兼首席指揮者に任命された[3]。ルーデルはニューヨーク・シティ・オペラに黄金期をもたらしたと評されている[2][註 1]。ルーデルはレパートリーを拡大し、〜を取り上げた。ルーデル時代には、〜件のアメリカ初演が行われたほか、同時代にはあまり演奏されていなかったゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルの作品を取り上げた[4]。また、ルーデルは才能の発掘にも取り組み、ホセ・カレーラスプラシド・ドミンゴシェリル・ミルンズビヴァリー・シルズらの若手歌手を育てた[2]

なお、ルーデルはニューヨーク・シティ・オペラ以外の団体にも登壇し、1971年から1975年にかけてケネディ・センターの音楽監督を務めた[2]。また、1978年にはバッファロー・フィルハーモニー管弦楽団の〜に就任し、〜まで務めたものの、新作を取り上げないという理由でファンからは不評だったという[5]。上地隆裕は「ルーデル時代のバッファロー・フィルハーモニー管弦楽団は、荒廃の極に達したような惨状を呈することになる。何故なら、新監督が情熱を傾けたのは、高度な演奏水準を守ることよりも、経営面での指導助言を与える方だったからだ」と指摘している[5]

2014年6月26日、マンハッタンの自宅にて死去[1][2]。93歳だった[2]。ルーデルの死は、息子のアンソニーによって発表された[2]

レパートリー[編集]

クラウディオ・モンテヴェルディの作品から、同時代を生きたアルベルト・ヒナステラの作品まで、幅広いオペラを指揮した[3]。また。オペラ以外にも、オーケストラ作品の指揮も行なっている[3]。なお、ルーデルは熟練したピアニストでもあり、チャリティコンサートでアリシア・デ・ラローチャホルヘ・ボレットとともにピアノを弾くこともあった[1]

顕彰歴[編集]

1961年、オーストリア政府から芸術と科学の名誉勲章を贈られた[3]。また、ドイツ、イスラエル政府からも表彰されている[3]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ ルーデル時代のニューヨーク・シティ・オペラについて、浅里公三は「メトロポリタン歌劇場に匹敵する存在」にまでなったと述べているが[3]、一方ロバート・マクファデンは『ニューヨーク・タイムズ』紙上で「メトロポリタン歌劇場に比肩することは一度もなかった」と述べている[2]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e Julius Rudel - obituary” (英語). The Telegraph (2014年9月8日). 2024年2月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年2月15日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m Julius Rudel, Longtime Impresario and Conductor of City Opera, Dies at 93” (英語). The New York Times (2014年6月26日). 2023年7月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年2月17日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h 浅里公三「ルーデル、ユリウス Julius Rudel」『名演奏家事典(下)フレイン〜ワ』1982年、1125頁、ISBN 4-276-00133-1 
  4. ^ Anne Midgette (2006年10月19日). “City Opera’s Great Innovator Returns, Baton at the Ready” (英語). The New York Times. 2024年2月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年2月26日閲覧。
  5. ^ a b 上地隆裕『アメリカの交響楽団1』泰流社、1987年、35頁。ISBN 4-88470-607-2 

外部リンク[編集]