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利用者:Fcp~jawiki/本当に書きたいのは「日本語の誤用」ではないのでは?

日本語の誤用」およびそこから参照されている「日本語の乱れ」「日本語の変化」等の項目について、削除か大幅な見直しが必要ではないかと、以前からノート:日本語の誤用#この項目「日本語の誤用」は必要かにおいて提案していました。その後、じつはこれらの項目を執筆している人が本当に書きたいのは日本語の誤用・乱れ・変化等ではなく、「日本語を見直そうという機運」についてではないか、と思うに至りました。長くなったので、結論だけノート:日本語の誤用に書き、そう思うに至った経緯をここに書きます。

背景: 言語規範と標準的言語規範

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まず、背景として、言語規範は複数あるということと、その中でも標準的な規範というのがあるということを述べます。

僕は「ある言葉の用法が正しいか誤りかは、使われている意味や状況に依存する」と考えます。テレビのニュースのアナウンサーの話す日本語と、ヤクザがヤクザ同士の会話で話す日本語は、異なります。ヤクザの会話の日本語をアナウンサーが話したら誤りだし、アナウンサーが話す日本語をヤクザが会話するときに使ったらやっぱり誤りです。これは両者が異なる言語規範を持っているからです。

(言語学を知っているわけではないので、このことを「言語規範」という言葉で表現するのは誤りかもしれませんが、もし必要なら「言語体系」とか「言葉の使い方の手本となる構造」とか何とか読み替えてください。すぐ下で述べる「標準的言語規範」も、たぶん本当は専門用語があると思うのですが知らないのでこれで書きます。)

では、日本語の言語規範はみな平等で、どの言語規範も等しく取り扱われているのでしょうか。そんなことはありません。標準的な言語規範というものが存在します。日本語に限らず、一般にある言語の標準的な規範といえば、教養のある人が書いたり話したりするややフォーマルな言葉が従っている規範のことです。外国語教育ではこれを教えるのが普通です。例えば、日本の英語の授業で ain't が出てこないのは、標準的言語規範に従った英語を教えるのが目的であって、教養のない人の使う英語を教えるのが目的ではなく、英語の標準的言語規範では ain't は誤った語だからです。

「焼きを入れる」の誤用?

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項目「日本語の誤用」では「焼きを入れる」という句を集団のおきてを破った者に罰を与える意味で使うのは誤用であるとしています。これは標準的言語規範に照らして誤用という意味だと考えるのが妥当でしょう。例を挙げれば、アナウンサーは、裁判で有罪判決が出たというニュースを伝えるときに「○○裁判長は××と述べ、被告人に焼きを入れました」とは言わない、ということです。

ヤクザがヤクザ同士の会話で「焼きを入れる」という句を罰を与える意味で使うのは、正用法です。一方、普通の会話 (意味はわかると思います) で「焼きを入れる」という句を罰を与える意味で使うのは誤りですが、僕はこの誤りをする人がそんなにいるとは思えません。

この句に関しては、執筆者の言いたいことと書いてあることが違うのではないかと思います。事実はこうではないかと推測します。

「焼きを入れる」というのがヤクザの言語規範で罰を与える意味で使われることは広く知られているが、それがこの句の本来の意味だと思っている人が多い。これは誤りである。なぜなら、この句はもともと標準的言語規範において「鉄をあぶって打つ」という意味を持っており、ヤクザの用法はそこから派生したものであるから。

「焼きを入れる」という句を誤った意味で使っている人などいないのです。これは、「焼きを入れる」という言葉の「誤用」ではなく、この言葉に対する誤った理解、「誤解」です。よって、この事実にウィキペディアに書くだけの価値があるかどうかは別としても、「日本語の誤用」という見出しの下に書くのは不適切だと思います。

注意: 短絡的に理解しないでください

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本題から外れたことを二つ書きます。一つ目。僕がこう書いたからといって、短絡的に「日本語に関する誤解」という項目を立てないでくださいね。僕は「ウィキペディアに書くだけの価値があるかどうかは別としても」という留保をつけています。僕は下で違う提案をします。

また、本当に上の理解が誤っているのかどうか、上のような理解が広がっているのかどうかについて、僕は情報を持っていません。検証できないことは書かないでください。

ノート:日本語の誤用#この項目「日本語の誤用」は必要かで「ご参照いただきたい」が百科事典という場では誤りだと書いたら、「些細な」誤りだと書いたのに、そこだけ表面的に直すという愚を犯したかたがいるようなので念のため。

お願い: 「焼きを入れる」の記述一つでこれだけ疑問があることについて

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本題から外れた話の二つ目。上で「焼きを入れる」について書いたような疑問が、現在「日本語の誤用」に述べられている各々の事例に対してあるのです。いちいち書いていたら身が持たないので書きません。ウィキペディアの項目に書くなら調べてください。

本当に書きたいのは「日本語を見直そうという機運」についてでは?

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本題に戻ります。「焼きを入れる」について存在しているのは誤用ではなく誤解なのではないかと考えると、この事例に限らず、本当に執筆者のかたが書きたいのは「日本語の誤用」についてなんだろうか、というところに疑問を覚えます。これは各執筆者のかたがご自分で考えていただければいいのですが、僕にはむしろノート:日本語の誤用#言い訳がましいですが・・・で 210.155.225.210 のかたが書かれている「日本語を見直そうという機運」について書きたいのではないか、と見えます。そうであれば、項目の立て方が間違っていると思います。

(なお、僕はこの機運は一過性のブームだと思っており、しかもこのブームの一環として一部で流行している「日本語を正しい日本語と間違った日本語の二つに分ける」という風潮があまり好きではありません。そのことは文章に表れていると思いますが、個人的な好悪はいったん脇において書いているつもりです。)

稚拙ですが、「日本語を見直そうという機運」という項目名なら間違ってはいないと思います (もっと良い名前があると思いますが……僕は「『正しい日本語』ブーム」のように否定的な言葉しか思いつきません)。そのように項目を立て直して、必要な情報を適切な形で「日本語の誤用」等から移動していけば、めでたく「日本語の誤用」等の項目は発展的に役割を終えるのではないかと思います。

もっとも、この機運がウィキペディアの項目とするに値する重要な概念かどうか僕は判断しかねますが。「この項目は現在進行中の事象を扱っておりますが、Wikipediaはニュース速報ではありません」等と言われる可能性もあることを念頭に置いて、ウィキペディアの項目にふさわしいかどうか判断してください。