利用者:G-Sounds/宣伝は記事の中立性を失わせる

「宣伝は記事の中立性を失わせる。」は、Wikipediaに関するG-Soundsの私論です。ここには、Wikipediaの記事の記述内容に関して気を付けるべき事項について書かれています。記事の編集や執筆の際に、気に留めていただければ幸いです。

要旨[編集]

宣伝記事を増やしてはなりません。また、宣伝を書き込む編集もしてはなりません。なぜなら、宣伝は、情報発信者にとって好都合な記述であって、中立な記述ではないからです。したがって、宣伝が存在する限り、Wikipediaは中立になり得ません。Wikipediaの記述は中立的である事が求められているわけですから、宣伝に限ってはWikipediaから積極的に排除しなければならないのです。もしも宣伝色の強い記事であれば、積極的に削除を行うべきです。

用語の定義[編集]

この私論において、宣伝記事とは、明らかな宣伝目的の記事、ステルスマーケティングも含めた特定の営利企業にとって都合の良い記事、売り出し中の人物やグループや企業に関する記事、売名目的と考えられる記事、イベントなどの告知を記事で行った場合、何者かによる情報操作、プロパガンダなど、これら全てを内包しています。また、記事の一部に、宣伝的な記述が入っている場合も、全てひっくるめて「宣伝記事」と定義します。

本文[編集]

数量の少ないブロックは使い勝手が悪いでも述べたように、Wikipediaの発展のためには記事数の増加が必要です。知りたい内容に関する項目がWikipediaに存在する可能性を上げ、既存の記事や新たに増えた記事の質を上げ易くなるなど、記事数増加の効用は色々と挙げられます。

しかしながら、いくら記事数増加が必要だとは言え、宣伝記事を増やしてはなりません。これを忘れてはイケマセン。なぜなら、宣伝記事に書かれている内容は、特定の情報発信者にとって好都合な記述だからです。特定の情報発信者にとって好都合な記述は、大抵の場合、中立な記述ではありません。中立でない記述は、Wikipediaの方針に反する記述であって、すなわち、Wikipediaにはそぐわない、排除すべき記述です。つまり、宣伝記事に限っては、削除は最終手段ではなく、削除こそ積極的に行うべきなのです。宣伝記事を排除しない事は、Wikipediaの趣旨に賛同してWikimedia財団に寄付を行ってくださった人々に対する背信行為でもある事を、忘れてはなりません。

ただ、ここで1つ問題が有ります。それは真に「中立」な記述など書ける者が、存在するのかという事です。結論から言えば、そんな者は存在しないでしょう。誰であれ、必ず偏った視点で物を見ています。なるべく中立に近付けるには、1つの記事に対して、複数の人物が元々の記述は最大限活かしながら編集を行う事も必要でしょう。そして、議論が分かれている事象であれば、1つの立場からだけ記述するのではなく、両論併記を心掛ける。複数の有力な仮説があれば、それらを書いておく。他に、なるべく広い視野から記述する事を心掛けるなどといった事も必要でしょう。

無論、両論併記と言っても、宣伝だけは取り除く必要があります。もちろん、利点と欠点が有る事物について、利点を消せと言っているのではありません。両論併記や、利点と欠点を併記する事は、大切ですから。

あくまで「宣伝を消すべきだ」と言っているのです。

そして、宣伝色が強い場合は、ためらいなく記事自体を削除すべきだと言っているのです。「記事の削除は最後の手段」という声も有りますけれど、殊に宣伝記事に至っては、例外とすべきです。「この記事は宣伝的である」とのタグを貼り付けて放置すべきではありません。なぜなら、宣伝記事はWikipediaの中立性を損なわせる、Wikipediaとは相容れない記事だからです。