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利用者:G-Sounds/適切な漢字の使用は、文意を明確にする

「適切な漢字の使用は、文意を明確にする」は、Wikipedia日本語版に関するG-Soundsの私論です。日本語の特性に関係した話なので、基本的にはWikipedia日本語版にしか通用しない事項です。ただ、他言語版の編集に応用できる部分も有ります。いずれにしても、本稿は日本語文を書く際に、その品質を高めるために重要な点だと、G-Soundsは考えています。

要旨[編集]

基本的に漢字は、表意文字です。ですから、当て字ではなく、その漢字の字義を活かした使い方をしていれば、それだけで文の意味も確定する傾向が出てきます。

これに対して平仮名は、表音文字です。日本語には同音異義語も多数存在するなどの理由で、平仮名では文の意味がボケてしまい、曖昧性が生じ易い傾向が出てきます。

ですから、不用意に平仮名を使うのではなく、適切に漢字を併用した方が、文の意味を明確にし易いと言えるでしょう。特に、意味の限られた熟語を使用すると、この効果を高められます。きっと文意を明確にするために、役立つでしょう。

もちろん、だからと言って、何でもかんでも漢字にすれば良いわけでは、決してありませんので、機械的に全てを漢字にしてしまうといった編集は、行ってはなりません。逆に、それなら全て平仮名にしてしまえと、杓子定規に編集してもなりません。どちらも行き過ぎです。

大切な事は、なるべく文意を明確にしつつ、曖昧性を排して、論理的な日本語文の作成を行いつつ、可能な限りヒトにとって読み易いように工夫して文章を書く事です。

本文(第1部)[編集]

要旨を読んでいただければ、だいたい本稿で何を言いたいか御理解いただけたと思いますので、本文では、具体例を挙げて話を進めてみましょう。

「物」なのか「者」なのか、文章中に現れた単なる「もの」という表音文字の並びなのか[編集]

日本語において「もの」は便利な単語です。しかし、これは日本文の意味を曖昧にする要素の1つでもあります。

もしも全ての箇所で「もの」と平仮名で書くと、きちんと「物」や「者」も使っている日本語文と比べて、意味が曖昧である事に、議論は不要でしょう。

もちろん日本語に慣れていれば、瞬時に文中に登場した「もの」の部分が、実際は「物」なのか「者」なのか「もの」なのか、そんなに悩まないでしょう。ただ、敢えて漢字にしてみると、そこに「もの」という表現を使用する事が適切なのかどうかも見えてきます。

そもそも「あれ、それ、これ」などと同じように「(そのような)もの」「(このような)もの」と使っている箇所は、意味が曖昧です。たとえ「もの」と同じ2文字以内でも、もっと端的に「物資」だったり「物質」だったり「者」だったり「事柄」だったりと、より意味を明確にできる場合が、多々有る事に、気が付くと思います。

論理的に日本語文を書くためには、敢えて「もの」という表現を避けて、必要最低限の使用に留める事を薦めます。

その「ある」は、一体どの意味なのか[編集]

本稿のような私論などのWikipedia関連文章は敬体で書いてある事が多いようです。これに対して、Wikipedia日本語版の記事は常体の文章で書く、つまり「常体で書くと定められているのである」わけです。ある意味において、これは記事と関連文章を明確に区別するためにある規則なのでしょう。あるいは別な意味があるのかもしれませんけれど、この節には、あまり関係のある事ではありません。

……ところで、ここまでのこの節の文章で「ある」という部分に、曖昧性が含まれている事に、お気付きでしょうか?

では、その曖昧性を解消するために、少し書き換えてみましょう。

本稿のような私論などのWikipedia関連文章は敬体で書いた事例が多いようです。これに対して、Wikipedia日本語版の記事は常体の文章で書く、つまり「常体で書くと定められている」わけです。ある意味において、これは記事と関連文章を明確に区別するために有る規則なのでしょう。あるいは別な意味を有するのかもしれませんけれど、この節には、関係性の薄い話です。

如何でしょうか。これで「ある」の部分の意味が、幾分ながら明確になりました。

これに加えて、私、G-Soundsは、Wikipedia日本語版の記事の文体に「である。」だけでなく「だ。」も併用すれば良いと考えています。

そうすれば「ある」が連続する事例も減りますね。そして「ある」の部分の曖昧性も下げられます。何しろ文末だけに限っても、例えば、次のように「有る」と「である」が混じる場合すら見られるのですから。

この都市は、アメリカ合衆国南東部にある主要都市である。フロリダ州の港湾都市である。空港もある。

これは、典型的な日本語文の作成の失敗例でもありますけれど、きちんと「有る」を使っていないせいで、余計に「ある」が連続する頻度を高めています。この結果、その「ある」は、一体どの意味なのか考えながら読む必要を読者に強いるのです。きちんと漢字の「有る」を上手く織り込めば、少しは改善できるのですけれど、漢字変換の手間のせいか、全て平仮名にしてしまう編集者が、2021年現在も目立ちます。仮に、漢字変換の手間の問題が有るのであれば、文末に「だ。」の使用も積極的に行えば良いはずです。しかし、文末の「だ。」は、どうやらWikipedia日本語版では、あまり好まれないようです。日本語話者は、文末を曖昧にしたがる癖が有るように見受けられますけれど、その影響かもしれません。

それは本当に「なる」のですか?[編集]

日本語文の文末と言えば「なる」は、誤用が多く、さらに、日本語文の曖昧性を高める「悪しき表現」の1つです。

きちんと「為す」と「鳴る」と「なる」を使い分けていれば、まだ状況は改善するのですけれど、それすら2021年現在も充分に行われていません。

さらに問題なのは「(そのように)なる」わけではないのに、不適切に「なる」を使う「なる」の誤用が、2021年現在も後を絶たない点です。概ね「なる」は「(状態や状況がが)変化する」際に使用する語なのに、それが守られていないのです。恐らく、敬語の「お(適切な動詞)になる」などとの混同も、この現象に拍車をかけているのでしょう。この誤用についての説明は成書に譲る事にします。

ただ、1点だけ指摘しますと、日本語に慣れている者であればある程、この「なる」の誤用に毒されていたりするので、注意が必要です。ですから、Wikipedia日本語版の編集者は、文中での「なる」の使用は可能な限り避けて、別な言葉に言い換えたり、そもそも冗長で曖昧な表現として編集除去する事を薦めます

それこそ、日本語に慣れているのなら、語彙も豊富で、多くの表現手法も習得しているはずです。誤用の多い「なる」を避けても、充分に日本語文を成立させられる能力を、きっと有しているでしょう。如何に「なる」を誤用してきたかに気付くためには、暫くの間「なる」を使用禁止にして文章を書き続ける事は、有効な手段の1つですので、是非、お試しください。文章に「なる」を使わないでいると、どうしても「なる」を使う必要の有る箇所は、思いの外、少ないと感ずると思います。

逆に、この文章を読んでいる今、あなたが日本語文に「なる」は欠かせないと御考えでしたら、きっと、あなたは「なる」の誤用に陥っています。

その「つくる」の適切な漢字は?[編集]

いわゆるスローガンや公官庁の広報の文章に影響されてなのか「つくる」を平仮名にしたがる編集者が、2021年現在も目立ちます。

しかしながら、例えば「町づくり」などの表現はスローガンなどとして多用される語であって、意味の具体性に乏しい事に、すぐに気付くと思います。Wikipediaは、スローガンを書く場ではなく、論理的に物事を解説した百科事典です。したがって、このような曖昧で具体性に乏しい言葉は、殊にWikipediaでは、使うべきでありません

この「町づくり」の例で言えば、文脈によって、人員配置改善の話だったり、区画整理の話だったり、施設運営改善の話だったり、具体性の無い単なる演説や宣伝の文言だったりと、挙げればキリが無い位に様々な使われ方をしています。もちろん、とある町が憲章などで「町づくり」という文言を使用していて、その憲章について述べている箇所なら、そのまま書くべきです。しかし、そうではないのなら、もっと具体的な言葉で論述するべきです。

考えてみてください。

生産する、栽培する、製造する、制作する、製作する、創作する、作出する、調理する、形成する、醸造する、醸成する……

キリが無い位に語彙が存在するのに、全て「つくる」と書いていては、それこそ語彙が貧弱ではないでしょうか。そして、これら全てを「つくる」と書いていては、その分だけ、曖昧性が増してしまいます。

「すべて」にも「全て」と「統べて」と複数の同音異義語が有る[編集]

小学生でも読める漢字の1つに「全て」が挙げられます。確かに「すべて」は「全部」の意味で、つまり「全て」の意味で使う場合が多いですけれど、それでも同音異義語の問題が有ります。

Wikipediaは義務教育を受ける前の幼稚園児のために作られているわけではありません。小学生や中学生が読めるような漢字は、使用してしまえば良いのです。Wikipediaは義務教育の場ではありませんから、義務教育を修了したレベルを、読者の最低限の知識レベルと考えて構いません。もし義務教育の期間中の児童や生徒が読んで判らなくとも、義務教育期間中ならば教師に質問できるので大丈夫です!

残念ながら、日本語には同音異義語が多数存在しますので、漢字を適切に使用する事は、どの意味なのかハッキリさせるために有効な手段の1つなのです。これは「すべて」に限らない事ですので、是非、この意味をハッキリさせるために漢字を使用するという視点は、忘れずに編集を行ってください。

本文(第2部)[編集]

実は、漢字を使用していても、より狭い意味の単語を使用する事で、日本語文の曖昧性を排除する方向に持ってゆける場合が有ります。本文の第2部として、全てを挙げていてはキリが無いので、幾つかの事例を挙げてみましょう。

「十分」ではなく「充分」を優先すると良い[編集]

「十分」には、10分間の意味も有る事に、異論は無いでしょう。しかし「充分」には、10分間の意味は無いのです。

例えば「十分光に当てる」とか「十分撹拌する」とか「十分待つ」とか「十分乾燥させる」とか「十分醗酵させる」などという表現も、日本語として誤っていません。しかし、これらは一体「10分間」なのか「充分」なのか判断が付くでしょうか?

化学などの実験の経験が有れば、10分間の事も本当に有り得ると気付くはずです。さらに、料理の経験が有っても、10分間の事も本当に有り得ると気付くはずです。その他のシチュエーションでも、10分間の事も本当に有り得ると気付くはずです。

これはマニュアルなどを作成した際に、そのマニュアルを参照した者がミスをしないようにする事にも関わりますね。10分間の意味である場合には、漢数字の使用は行わず、きちんと「10分」と書いた上で、そのマニュアルの参照者の判断に委ねる「充分」だけしか使わないでおけば、つまらないミスを防止できます。

「開く」と一口に言っても、色々と有る[編集]

例えば「開く」という日本語もまた、色々な意味で使用できるので、便利です。そして「開く」は、2021年現在においては、漢字を使用して書く場合が多いようです。

ただ、ここで少し考えてみてください。

開催する、開帳する、開門する、開封する、開放する、開設する……

これらで言い換えられないでしょうか。これらの単語のように、可能な限り、狭い意味の単語を選んだ方が、文章から曖昧性を排除できます

逆に、本当に「開く」を使わないと不自然なのは、

(口を)(目を)開く

などではないでしょうか。確かに「開口」とか「開眼」といった単語も有りますけれど、特に「開口」と書くと、例えば「開口部」などのように、別な意味で使われる単語に関連してしまうので、必ずしも「開口」を使う事に利点が出ない可能性が有ります。杓子定規に、編集を行うと良くない例ですね。このような場合は、そのまま「口を開く」と「開口部」とで使い分けた方が良いでしょう。

なお、曖昧性の排除はWikipediaで求められている事の1つですから、比喩表現なども可能な限り避けるべきです。例外は、比喩表現を使って説明した方が判り易いと判断できた場合のみでしょう。つまり、敢えて比喩表現を使うかどうかについては、極めて人間的な判断が求められるのであって、機械的に決めて良い事ではない事を、付記しておきます。

しかし常に、漢字を使えば良いとまでは言えない[編集]

ここまでの話だけだと、まるで漢字を使えば万事解決に見えてしまうかもしれないので、少しだけ補足します。漢字を使用する事についても、漢字を使用しない事についても、やはり機械的に決めて良い事ではないですから。

ここで重要な点は、日本語に分かち書きの習慣が、基本的に無いですから、漢字と平仮名・片仮名を混交させる事は、読み易さの上でも重要な要素の1つだという事です。

しかしながら、漢字を使うにしても、固有名詞を除くと、まるで自分の知識をひけらかしているかのように、難読漢字を並べるという事も問題です。

やはり、どれだけ漢字の割合を増やすかという加減も、極めて人間的な判断が求められると言えそうです。

むしろ使わない方が良い漢字の例[編集]

次のような漢字は、使わない方が良いでしょう。

  • 固有名詞でもなく、引用文でもない場所の「当て字」
  • 読みや意味が連想し難い、難読漢字

漢字には音や意味を表す部分が、意味の理解を助けてくれるという機能が有りますけれど、これらは、それが機能しないからです

私、G-Soundsが、絶対に廃止すべきだと考えている物の1つに、言語や国名などの短縮表示の当て字が挙げられます。例えば「拉」「仏」「米」などですね。紙媒体の新聞などでは字数制限が存在するため、やむを得ない側面は有るかもしれません。テレビ放送などでも画面のサイズの問題が有るため、やはり字数が限られるため、やむを得ない側面は有るのかもしれません。しかし、そのような媒体でないWikipediaでは、当て字の短縮表示を使う必要性など無いのです。

せいぜい表記揺れの範囲と考えられる場合は、どうするか?[編集]

ここまで挙げてきた例の中には「それは表記揺れの範囲ではないのか?」と思われた事例も有るかもしれません。

他にも、例えば「そういう事」を小学生でも読める漢字だからと「そう言う事」と書くかどうか考えた場合に、時に、事実上の当て字のような場所も出現してしまいます。繰り返しですけれど、当て字は、好ましくありません。基本的に、漢字は表意文字ですから、その特長を活かすためには、きちんと、その漢字の意味に該当する箇所で、その漢字を使用する事が重要と言えるでしょう。

あくまで私、G-Soundsの判断ですけれど「言う」の場合は、そのように「(誰かが)発言した」という意味の場所と、そのように「(名称を)呼ぶ」という意味の場所のみを、漢字で「言う」としています。逆に「そのような事」の意味で「そういう事」と書いた場合などのように、別に「(それを一般的には、そのように)呼ぶ」とか「(誰かがそのように)言った」わけではない場所は「そういう事」と平仮名にしています。ただ、やはり判断に迷う場合も、稀に有ります。

さらに「ある」について言えば、2021年現在、私、G-Sounds自身が、より曖昧性を排除した論理的な表現をすべく、試行錯誤を行っている段階です。参考までに「(それが)存在する」という意味の場合にのみ「有る」と漢字にするようにしている状態です。

明快な基準を示せるまではと、長らく本稿の公表を見送ってきたのですけれども、これを公表しない事による損失の方が大きいと判断し、公開した形です。そのような状態ですから、本稿は、特に「私、G-Sounds」と断っている場所については、今後、変更が行われる可能性も高い事を、申し添えておきます。

それでも、1つハッキリとしている事は、基本的に日本語には「分かち書き」の習慣が無いため、平仮名が連続し過ぎると、大変に読み難いという事です。ですから、平仮名が連続し過ぎている場所については、漢字の使用を検討する事も、1つの方法と言えるでしょう。

加えて、もう1つだけ言える事は、音声読み上げsoftwareに気を使う必要は無いという点です。音声読み上げsoftwareで読み間違いが出るから、そこは平仮名にしてしまおうという判断は、明確に誤りです。これは単純に、音声読み上げsoftwareが持つ、構文解析機能・先読み機能が不充分なだけの話だからです。あくまでWikipediaを読むのは、ヒトだという点を忘れるべきではありません。ヒトが読み易いように、人間的に判断して、表現を工夫してゆく事こそ、読者への粋な計らいでもあると言えましょう。

他言語版への応用[編集]

ここまでは、日本語文の品質を向上させるための話を書いてきました。ただ本稿を終える前に、ここまでの話を他言語版のWikipediaの編集を行う際に、応用する事を少しだけ書いておきます。恐らく、この「他言語版への応用」も読んでいただければ、ここまで書いてきた内容の意味が、より判り易いと思います。

もっとも、この「他言語版への応用」の節の要旨は「可能な限り、意味の少ない単語を使う」さらに「可能な限り、有名な専門用語を織り込む」の2点に集約されます。

つまり、alphabetのような表音文字だけを使う言語において、スペルは「漢字」のような「表意文字」とも考えられます。もちろん、象形文字が混じっていたり、偏や旁などが整備されている漢字とは異なり、そのスペルの意味は1つ1つ覚えておく以外に類推が難しい側面が有るのですけれど、それでもスペルは「表意文字」のような物と捉えて良いでしょう。

ただし、例えばalphabetならば、その1文字1文字には意味が無いですから、象形の意味や、偏や旁などの意味に引きずられる漢字とは異なり、1つの単語でも派生義が多いように思われます。英語でも、スペイン語でも、alphabetを使う言語の辞書を引いてみてください。同じ単語に、全然違う意味、まるで、連想ゲームを無理に行ったかのような意味が並んでいる事例が、幾つも見付かるはずです。

ここで、意味の多い単語を多用すると、文章の意味が曖昧になる場合が有ります。この事は、あまり慣れていない言語を読んだ際に「これは、この単語が持つ意味の中で、一体、どの意味で使っているのだろうか?」と詰まった時に、実感できると思います。

これに対して、意味の少ない単語や、有名な専門用語であれば、辞書を引いた途端に「この意味しかない!」と判る場合が、ほとんどです。ちなみに、これは例えば英語の動詞の場合の話ですけれど、その変化が不規則な結果として、過去形や過去分詞形にすると意味が限定される場合も有りますので、それを上手く利用しても良いでしょう。

すなわち、意味が限られた「漢字」を使用したような効果が、意味の少ない単語や、有名な専門用語を用いる事で、実現できる側面も有るのです。文章を書く際の単語の選び方の基準の1つとして、一考に値するのではないでしょうか?

まとめ[編集]

本稿のような事例ばかりが続き、まとまりに欠ける長い文章を、ここまで辛抱強く読んでいただき、ありがとうございます。

まとめは、「要旨」の節に書いた通りです。

ここまで読んでいただいた上で「要旨」の節を、もう1回読んでいただければ、判り易いと思われます。

できましたら本稿を参考にしていただき、より曖昧性を排したWikipedia日本語版の記事を、一緒に作ってゆく事ができましたら幸甚です。