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利用者:GAVVA/作業4

 
吉良持助
時代 室町時代中期
生誕 不明
死没 不明
戒名 功徳寺殿
官位 右兵衛督
主君 足利義政
氏族 後期東条吉良(下吉良)氏
父母 父:吉良持長
兄弟 持助頼高
義藤等康[1]端東[1]
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吉良 持助(きら もちすけ)は、室町時代中期の武将後期東条吉良(下吉良)氏4代当主。三河国東条城主。

吉良持長の子として誕生。生年は不明であるが、『新編西尾市史』では持助の息子である等康が喝食から得度・出家して度僧になったという長禄2年(1458年)の記録[2]をもとに、応永31年(1424年)頃かとしている[3]

同年12月2日、8代将軍足利義政に対し、古河公方足利成氏討伐のための関東出陣について季瓊真蘂を通じて意見書を提出している[4]


脚注[編集]

  1. ^ a b 僧籍。
  2. ^ 『蔭凉軒日録』長禄2年10月25日条。『新編西尾市史 資料編2 古代・中世』p.440-441。
  3. ^ 等康が16歳で度僧となったと仮定し、その生年を嘉吉3年(1443年)、持助が20歳の時の子と考え、持助の生年は応永31年(1424年)という計算。『新編西尾市史 通史編1 原始・古代・中世』p.435。
  4. ^ 『蔭凉軒日録』長禄2年12月2日条。

出典[編集]

  • 『吉良町史 中世後期・近世』