利用者:GURAX/構造的バイアス
この文書は私論です。一部のウィキペディアンが助言や意見を記したものです。広く共有されている考え方もあれば、少数意見の見解もあります。内容の是非については慎重に検討してください。 |
この文書の要旨: ウィキペディアには偏りがあります。 |
構造的なバイアス ( Systemic bias ) とは、日本語版ウィキペディアのシステムが有する「偏り」のことです。
日本語版ウィキペディアのプロジェクトには、システム上、参加者の統計や、参加することのできる人々の不均衡、或いは参加者自身の思想などによる、除去や解消が困難な偏りが存在します。これらは時に、個人の偏見をプロジェクト全体で増幅させたり、参加者同士の間に不平等を生んだり、ある記事の内容を偏らせたりします。
このことは、「ウィキペディアはどんな風にも偏っているべきではない」とする中立的な観点の方針が、ウィキペディアそのものの構造によって充足しないことを意味します(NP完全問題)。読者によっては、バイアスを理由に「ウィキペディアは中立的ではない」と批判する声が上がるかもしれません。それらの批判は、全く根拠の無いものではなく、時には強い真実性を帯びることもあります。そのためにウィキペディアンは、ウィキペディア全体で、問題となるバイアスの解消に努める必要があります。
ただし、バイアスの中には、場合によっては特に問題のないものや、緩和することが不可能なものなども含まれます。これらのバイアス全てを問題視する必要はありません。
構造的バイアスの問題
[編集]「中立的観点が成立しない」
[編集]ウィキペディアの障害によって、日本語を書けない人間、インターネットを利用しない人間、ウィキペディアに参加しない(もしくはできない)人間は、直接ウィキペディアに意見を反映することが出来なくなります。またこのことから、多くの日本人以外の外国人や、障害者・高齢者などは、日本語版ウィキペディアに参加することが難しくなります。
つまり、ウィキペディア・プロジェクト内で「中立的」と思われる記事は、事実上の中立とは異なったものとなります。この差異は自分自身の記事である「ウィキペディア」や、「日本語」などで特に顕著になるでしょう。このことから、ウィキペディアが中立的観点を持つことは、事実上不可能となります。
「多くの利用者は、構造的バイアスを認識できない」
[編集]人間や集団は、それ自身では、自分自身のバイアスを認識することができません。つまり、一般的な日本語版ウィキペディアの執筆者(健常者であり、ある程度の日本語能力や技術力などがあるウィキペディアン)がウィキペディアを利用する際、これらのバイアスを直接認知することは困難になります。一般のウィキペディアンがこれらのバイアスを確認し、対策を立てるためには、「メタ認知」による判断が必要でしょう。
「悪循環」
[編集]ウィキペディア日本語版では、「参加者の持つ偏見」「ウィキペディアの統計的な偏り」「ウィキペディアの障害」という三つの要因が、互いに増幅し合います。具体的には、「目立った発言はより支持されやすく、一部の人間に支持することで他の人間が同調し、その同調によって最初の発言者が自信を持ち、より目立った発言を行う」といったような集団思考などが挙げられます。この相関による増幅も、たいていの一般利用者は直接認知することができません。
例としては、携帯キャリアからの荒らしが多発した場合に、「携帯キャリアからの荒らしをブロックすべきだ」という個人の意見が生まれ(利用者の偏見)、実際に全ての携帯キャリアからの投稿がブロックされ(ウィキペディアの障害)、結果的に携帯電話利用者がウィキペディアに書き込みにくくなる(ウィキペディアの統計的な偏り)などの事例が挙げられます。
ウィキペディア日本語版における代表的なバイアス
[編集]構造的バイアスの要因
[編集]参加者の持つ偏見
[編集]構造的バイアスの要因のひとつは、ウィキペディアの参加者自身が持つ偏見や先入観です。
ウィキペディアンは、大小の差異はあれ、おのおのが偏見や先入観を持っています。主な原因としては、階級、営利目的、民族または人種、地理、国家、性別、政治、宗教上の理由が挙げられます(これらのバイアスを個人の認知バイアスと言います)。個人の偏見や先入観は、ウィキペディアの統計的な偏りや、ウィキペディアの障害などによって、プロジェクト全体の偏見となる場合があります。
相手個人の思想を変えたり、偏見を持つ投稿者をブロックしたりすることは、この問題の根本的な解決とはなりません。これらの偏見は、つまるところ人間の(ひいてはウィキペディアンの)多様性によるものだからです。極端な話、これらの偏見を排除するべきであるとする思想と、これらの偏見を容認すべきであるとする思想は、双方とも偏見となり得ます。
また、別の問題として、執筆者がしばしば偏見や先入観のため、自説と異なる思想を持つ意見を無視したり、時には排除しようとするバイアスがあります。(このような考え方による認知バイアスを特に「確証バイアス」と言います)。ノートなどでの議論では、偏見を持つ人は、相手の主張よりも自らの先入観を優先させることがあります。このような議論を進めることは、特に文化的・宗教的・政治的思想の見解などをテーマとする場合に、困難を伴うでしょう。そのため、思想に関する内容は編集することが難しくなります。
特定の思想を持った執筆者との議論は、合意形成のためのコメント依頼などによって決着させることが可能です。その後の編集は方針に沿って行うのがよいでしょう。
関連:Wikipedia:中立的な観点#偏った意見を削除して良いか、Wikipedia:中立的な観点#どうしようもなく偏った執筆者がいる
ウィキペディアの統計的な偏り
[編集]構造的バイアスの要因のひとつは、ウィキペディアに存在する参加者の統計的な偏りです。このような統計的な偏りは、時にウィキペディア全体の思想を一定の方向へ偏らせる集団心理を生み出します。これらの統計は、主に下で説明する「ウィキペディアの障害」などによって偏るため、根本的な解決は困難になります。
以下で挙げるのは、統計的な偏りの一例です。
「民族」
[編集]大半の国では、一部の少数派の民族が、情報・技術・教育・政治を独占し、より大多数のグループとの間で共有する知識に大きな不均衡が生じています。このため、ウィキペディアを含め、インターネット上に存在する情報は、一部の民族にとってのみ有益なものである可能性があります。民族やその歴史に関して執筆する場合は十分に注意が必要です。
ウィキペディア日本語版では、特に日本人が利用者の大半を占めています。例えば日本の歴史について執筆する場合、それは日本人という民族による視点が主となり、先住民であるはずのアイヌや琉球王国の視点、中国人や韓国人による戦時中の視点などは、その大部分が失われてしまう虞があります。また、多くの時事トピックや人物などへの意見も、日本人よりのものとなるでしょう。
「地域分布」
[編集]日本語版ウィキペディアでは、執筆者が住む地域の分布による偏りも発生します。その中でも最大のものは、緯度による「北半球と南半球の違い」です。地球の人口分布は北半球側へ大きく偏っており、その中で日本語の利用者は、主に北半球に存在する日本列島を中心に分布しています。このため、日本語版ウィキペディア内で地球の自転による季節(四季)や天文について触れる記事は、しばしば南半球的な視点を欠いたものになり、時にはその内容は日本中心の記述ともなります。このような部分は当該ノートで指摘し、その内容を修正する必要があります。
また、日本語版の記事内で書かれる日付や時刻は、たいていの場合日本標準時のものです。これらも日本中心と言えます。
「国家」
[編集]日本語利用者は、その多くが日本に居住しています。つまり、参加者の多くは日本の憲法、法律、また多くの国際法の下に安全を保証されています。そのために日本の法律を守る必要が生じます(GDFLなど)。
また例えば、現在の国際社会ではテロ支援国家やテロリスト、およびその他の犯罪者・犯罪組織、戦争など、一般人の生活基盤を脅かす存在はしばしば批判や非難を浴び、テロリストや犯人側からの考えが無視される傾向があります。
「多数決」
[編集]ウィキペディアンの方針は、多くの場合多数決で決められます。そのため、ウィキペディアンの多くは多数派の意見に従う人間となります。
ウィキペディアの障害
[編集]構造的バイアスの要因のひとつとして、ウィキペディア・プロジェクトに存在する様々な障害が挙げられます。これらの障害は、時にウィキペディア内から、ある特定の視点のほとんど全てを排除、或いは制限してしまいます。
これらの障害は、日本語版ウィキペディアのシステムそのものに原因があります。そのため全てを取り除くことは困難です。
「接続」
[編集]もっとも重要な制限として、日本語版ウィキペディアに書き込むために、インターネットに接続可能な端末が必要とされることが挙げられます。つまり、執筆者はインターネットに接続できる環境に、その身を置かなければなりません。しかし、地球の人口の大半は、これらの条件を満たしていません。ここでいう「地球の人口の大半」とは、多くの国々の貧困層、発展途上国の大半の国民、また多くの障害者・高齢者・子供、ほか収入が少ない人々などです。彼らの視点と経験の大部分は、日本語版のウィキペディアに反映されません。
このような環境によるバイアスをウィキペディアの活動によって改善することは、現状では困難です。これらの制限を緩和するためには、例えば、身体障害者や高齢者などのために、電話やFAXなどによるウィキペディアへの意見投函などの制度を作るなどするしかありません。この例のように、時にはウィキペディアのシステム自体を柔軟に変更していくことも求められるかもしれません。
また他にも、インターネットはその構造上「サーバから遠くへ離れるほど接続が遅くなる」ため、海外からの日本語版へのアクセスが難しいという問題もあります。この問題には、やはり長いページを分割したり、不要な記事やリダイレクトを削除したりして、通信にかかる負荷を分散・軽減させる取り組みを行うしかありません。
「機器」
[編集]日本語版ウィキペディアに書き込むためには、インターネットに接続可能な端末が必要とされます。記事を執筆するためには日本語の入力も可能でなければなりません(ただし携帯電話・PHSを除きます。また、一部の可変IPは、広域のIPブロックがされている場合があります)。これらを使用する以外にウィキペディアへ参加する方法は無いので、例えばパソコンを持っていない人間や、携帯電話しか持っていない人間の意見は、ウィキペディアには反映されにくくなります。彼らがウィキペディアに書き込むには、インターネットカフェや知人を頼るしかないでしょう。
別の問題として、古いWebブラウザでは32キロバイト以上の文章を投稿することができません。また処理速度の遅い端末では、性能上、大容量のファイルの送信が行えない場合があります。つまり、金銭的な理由などで低性能の機器を利用するしかない人々にとって、長いページの定義部分などを編集することは非常に困難です。この問題は、過剰な執筆の行われている記事を分割したり、不要な記事やリダイレクトを削除したりして、通信にかかる負荷を地道に分散・軽減させることで、一応解決することができます。
「意思疎通」
[編集]大前提として、ウィキペディアに参加するためには、言葉による意思疎通が可能でなければなりません。多くの知的障害者や、老人・乳児・幼児、マイナーな言語の利用者などと、一般的な利用者との間ではコミュニケーションは困難となるでしょう。地球人以外の動物・植物・鉱物、その他の有機物・無機物との対話も、将来的には可能かもしれませんが、今のところ方法は確立されていません。
また、多くの場合には理性的な活動ができることも必要とされます。見苦しい活動を行ったために投稿ブロックや追放された利用者は、意見をウィキペディアに反映することが難しくなります。
ただし、これらのバイアスは、ウィキペディアが百科事典である限り無視できる、とする意見もあります。つまり、ウィキペディアは言葉による知的交流が可能な相手との相互間プロジェクトであり、ウィキペディアに書かれている内容について理解できない相手との交流を考える必要はない、それはウィキペディアの目的とそぐわない、とする考え方です。
「言語」
[編集]日本語版ウィキペディアの記事は、表記の方針に沿って執筆されます。そのため、多くは現代現代日本語の標準語で書かれており、それ以外の一般的な日本語でない文章は記事から排斥される傾向にあります。一般的な日本語でない文章には、アイヌ語や琉球王朝の言葉、またそれらを含む様々な方言や古語なども含まれます。このため方言や古語の持つ標準語と異なるニュアンスなどは、記事には反映されにくくなります。多くの差別用語などにも自主規制が行われるでしょう。また、多くの外国語も記事の執筆には使用されず、使用される場合でも記事内ではカタカナ表記に改められ、本来の形を歪めてしまうでしょう。単位系も現代の日本中心となり、昔ながらの尺貫法やヤード・ポンド法などは使用される機会が減るでしょう。
このような制限は、ウィキペディア日本語版の利用者統計を、自ずと日本語利用者中心に偏らせる問題をも含みます。
言語によるバイアスは、日本語版が日本語版であるための必要から生まれる問題であり、根本的な解決は難しくなります。
「文字と画像」
[編集]ウィキペディアは文字と画像を主な表現の媒体としています。しかしながら、多くの視覚障害者は、ウィキペディア上に存在する文字や画像を視認することが能力的に困難です。
この制限は、できるだけページを見やすくすることによりある程度の緩和が可能です。また、彼/彼女らが音声変換ソフトを利用している場合のことを考え、記事ではできるだけ Template:SpoilerH などによるレイアウトの変更を控える必要があります。しかしながら、視覚障害が重度であればあるほど、彼らが直接ウィキペディアを編集することは困難になっていくでしょう。
「読解と記述」
[編集]ウィキペディア日本語版の記事を正しく執筆するためには、日本語による文章をタイピングで作成できること、ある程度日本語版ウィキペディアの方針を理解できること、など、いくつかの条件が必要です。日本語が利用可能でも、これらの能力を持たない人々の意見が、直接記事に反映されることは難しくなります。
「技術」
[編集]ウィキペディアに参加するためには、最低限、ウィキペディアのシステムをある程度理解できなければなりません。多くの技術的な教育を受けていない人間は、これらの条件を満たしません。これらの中にはほとんどのインターネット初心者なども含まれます。また、実際に自分の接続機器からウィキペディアを利用する場合、OS のインストールやインターネットへの接続などの作業も必要である可能性があるため、技術によるハードルは実際にはこれよりも高くなるでしょう。
「知識」
[編集]正しく記事を編集するためには、有る程度その記事の内容についての知識を持つ必要があります。知識の無い人間が記事を編集することは難しいでしょう。
「時間」
[編集]記事を執筆するためには、そのための時間的な余裕を持つことが必要です。忙しい人がウィキペディアを執筆するのは難しくなるでしょう。身体障害者の場合は、記事の執筆のために大きな時間を取られることが予想できます。彼らの意見がウィキペディアに反映されるのは難しくなります。
「権限と多数決」
[編集]ウィキペディアには、一般利用者よりも大きな権限を持つ人間がいます。管理者・選挙管理委員・チェックユーザ・スチュワードなどです。削除や復帰などの決定権の多くは彼らが持ちます。各種の依頼の議論では、半数以下の利用者の意見は、彼らに受け入れられず、ウィキペディアに反映されない場合があります。
「プロジェクトと自己言及」
[編集]ウィキペディアはプロジェクトであり、すべての執筆者は例外なく、個人的に「ウィキペディア」に関わっていると言えます。つまり、ウィキペディア・プロジェクトに関連することがらを記事空間で記述する行為は、どのような方法を取ったとしても必ず「自己言及」となり、自己認知のバイアスがかかります。ウィキペディアプロジェクトでは、プロジェクト参加者以外の意見を直接反映させることができないためです。全てのウィキペディアンが例外なくウィキペディアに関わっている以上、ウィキペディアに対して中立的な意見を、ウィキペディアの記事の中に形成させることはできません。同じようなことがインターネットや日本語の項目にも言えます。このような記事はタグなどで「自己言及」であることを明記して、読者に対しその問題を提示する必要があるかもしれません。