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利用者:GrayOwl/指揮の草稿

指揮を以下のように曖昧さ回避[編集]

指揮

以下、指揮 (軍事)の内容[編集]

指揮(しき、Command)は、多数の人間を一人の人間(指揮官)が指図すること。本稿では特に軍事分野における指揮を扱う。軍事上では部隊を取りまとめて動かす統制(Control)とあわせて指揮統制(Command and Control=C2)と呼称されることも多い。

歴史[編集]

歴史のどの段階において指揮が開始されたのか明確な線引きを引くことは不可能であるが、少なくとも知性を持ち始めた極初期段階から集団を導く存在がいたと考えられる。初期の生産形態である狩猟を例にとっても、効率的に獲物をしとめるためには指揮と連携が求められた。紀元前15000年から紀元前10000年頃に開始された農耕は、指揮が確立されるひとつの契機となったと考えられる。農耕のような大規模な土地開発においては、多数のマンパワーを効率的に運用するための計画を立て、それを指揮する人間が求められた。紀元前4000年頃、多数の人間を領域内に糾合する文明と呼ばれる社会形態が誕生すると、強大な権限を持つ王や将軍が集団内に発生し、莫大な人員を指揮統制することとなった。

戦争において指揮統制は特に重要であると考えられてきた。人間は集団になってこそ力を発揮するからである。軍事的には一人の人間が戦場で統御できるのは、声の届く範囲内の人間のみとされている。古代ギリシアのファランクスでは、100人から200人程度が一つの基本単位とされていたが、これは密集隊形を組んだ際に指揮官の号令が届く範囲内に収まる人数である。現在に至るまで各国軍隊の基本単位となっている中隊は、おおむねこの人数で構成されている。

動員兵力が増加するに連れて、指揮官はより多数の兵員を統制することを求められた。指揮官は自身の命令を伝達するために、旗(指揮の揮はさしばたの意)や伝令、狼煙、鐘や太鼓のような楽器を用いた。こうした手法は古代から近世までほぼ変わることはなかった。オスマン帝国では大規模な軍楽隊によって部隊を指揮統制すると同時に、敵への威嚇効果も備えた。

近世に入り火器が登場すると、戦場の指揮統制は困難さを増した。号令は火器の発する轟音に阻害され、発砲煙に視界をふさがれ旗や狼煙は見えなくなった。指揮官は、軍事教練に基づく反復動作を兵士にとらせることにより、号令が聞こえずともある程度自立して戦闘を行えるようにした。近世には広範な戦域をカバーするための通信方法も発展した。18世紀にフランス軍は腕木信号と呼ばれる通信方法を採用し、効率的な命令伝達や兵力の移動を行った。同時期に、プロイセン軍は参謀本部からの訓令を部隊付きの参謀将校に送る訓令方式によって、軍全体での統一した指揮を実現させた。

19世紀にモールス信号のような電気通信が登場すると、指揮官は遠隔地からでも命令を伝達することが出来るようになった。兵士は密集の必要性が無くなり、散開してより広い正面を担当することが可能になった。20世紀には電気通信はさらに発展して無線通信となり、部隊の自由度や指揮効率はさらに上昇した。

現在では指揮(Command)、統制(Control)に通信(Communication)加えたC3(シースリー)。さらに情報(Intelligence)を加えたC3I(シースリーアイ)。さらにコンピューター(Computer)を加えたC4I(シークフォーアイ)が部隊の指揮統制に求められる要素となっている。

関連項目[編集]

  • 軍事指揮官の一覧
  • 通信
  • 情報
  • コンピューター