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小脇
小脇の位置(京都府内)
小脇
小脇
北緯35度42分53.8秒 東経135度09分59.2秒 / 北緯35.714944度 東経135.166444度 / 35.714944; 135.166444
日本の旗 日本
都道府県 京都府
市町村 京丹後市
大字 丹後町小脇
人口
(年国勢調査
 • 合計 0人
郵便番号
627-0000

小脇(こわき)は、京都府京丹後市丹後町宇川地域の廃村地名。(一番の特徴を1つ述べる)。元々地理的に交通の便も悪く、1963年(昭和38年)の豪雪をきっかけに離村が進み[1]、1989年(平成元年)に廃村となった[2]。2004年(平成16年)京丹後市移行後の大字は「丹後町小脇」。元住民によって組織されている「小脇会」があり、2015年(平成27年)には8世帯で構成され、懇親会を行い、公民館や神社の整備や交流を続けていた。

Tango-cho Kowaki 2021-11 ac (9)
2021年11月の小脇集落 土蔵
2021年11月の小脇集落 廃村直前まで使われていた共同作業場
小脇集落につながる道(左)
虎杖小学校(廃校)

地理[編集]

丹後半島を南北に流れる宇川中流右岸に位置し、東側山上は「竹久僧」に接していた[1]

歴史[編集]

1888年(明治21年)には16戸であった。耕地は少なかったが、農業や養蚕を生業としていた。また、農閑期には男性は杜氏として伏見などに出稼ぎに行った。小脇には「地蔵尊縁起」が伝承され、地内にある高禅寺に祀られていた地蔵菩薩立像が「子安地蔵さん」として信仰を集めていた。地蔵菩薩の逸話を題材に郷土史家の東世津子が著した『小脇の子安地蔵さん』という絵本の中では、付録情報として子安の民話や廃村の経緯の調査記録を知ることができる。1963年(昭和38年)の三八豪雪をきっかけに離村が進んだ[1]。もともと小脇は雪が多く、雪崩も発生しやすい場所であり、通学や生活の弁も悪い地域であった[1]。離村は各戸でぽつぽつと進行し、移転先は親族の居住先をたよりにすることもあった。 1989年(平成元年)に廃村となり、最後の住民は、21年間お地蔵さんのお世話を続けた老夫婦だった[2]



世帯数と人口の変動[編集]

明治1955年(昭和30年)には10世帯54人、1975年(昭和50年)には1世帯2人まで激減した[3]

人口の変遷
1955年(昭和30年) 54人
1975年(昭和50年) 2人
世帯数の変遷
1884年(明治17年) 13戸
1888年(明治21年) 16戸
1955年(昭和30年) 10戸
1965年代(昭和40年代) 1戸
1975年(昭和50年) 1戸

戸数の最盛期は〇〇時代の〇〇年間(あるいは西暦〇年頃)であり、〇戸程があったとされる。

近年の動向[編集]

(廃村後の跡地の活用)


離村後の人々[編集]

(移住先での暮らし)



脚注[編集]

  1. ^ a b c d 小山元孝、林直樹、関口達也、齋藤晋『『消えない村 京丹後の離村集落とその後』』林直樹、2015年、41頁。 
  2. ^ a b 東世津子、織戸昭徳(絵)『『小脇の子安地蔵さん』』あまのはしだて出版、1997年、47頁。 
  3. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会、竹内理三『角川日本地名大辞典 26 京都府 下巻』角川書店、1982年、630頁。 

参考文献[編集]

  • 『日本歴史地名大系 26 京都府の地名』平凡社、1981年、ISBN 4582490263
  • 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 26京都府 上巻』角川書店、1982年
  • 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 26京都府 下巻』角川書店、1982年、ISBN 4040012623