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元普甲道(もとふこうみち、元不甲道とも表記)は、京都府福知山市大江町の毛原峠を越え宮津市へ向かう旧街道。古くは毛原を通り、栃葉(現舞鶴市)、辛皮(現宮津市)から普甲山と杉山の鞍部から小田の方へ越える道が元普甲とされる[1]。江戸時代初期に今普甲道(宮津街道)が整備されるまで使用されていた[2]。現在は使われていないが、2011年3月に舞鶴市境まで片道約40分の散策道が整備された[3]。
概要
[編集]古代の山陰道で
大江町毛原地区は元不甲道の入口にあたり、古い石の道しるべが残る[4]。また、昭和初期に火災で焼失するまでは「カイド」と呼ばれた宿がこの場所に建っていた[4]。
『今昔物語集』には元普甲道で起きたことを題材とした逸話が残っている[1]。
また、市指定文化財に登録されたアカガシ群生地などがある毛原地区は、スギやヒノキ等の木材の産地だった。戦後の頃には巨大な杉の木を伐採するため他県から作業した木材を土場まで運搬する様子などが記録に残っている[5]。
名所
[編集]毛原集落の一番奥にある神社。石段の参道を上って右手に古びた舞堂があり、その中には慶応4年の太政官布告や宮津県の掟といった古い高札が3枚残っている[6]。参道の左手にある森にはアカガシの巨木がそびえる[6]。「大岩神社のアカガシ郡」と呼ばれ、府内でも貴重な群生地として福知山市天然記念物に指定される[7]。
岩姫神社
[編集]幅約3m、高さ約1.5mの岩を御神体とし、毛原地区の住民からは「岩神さん」と呼ばれ古くから信仰されている。御神体の横には小さな鳥居と石灯籠が設置されている[6]。祀られた時期は不明[8]。
袈裟切地蔵
[編集]戦国期の剣豪・岩見重太郎が追手と戦った際に切ったと言われる。元普甲道の整備の際新しく祠が建てられた。
- ^ a b 大江町教育委員会『大江ふるさと学 大江町発足50周年記念』大江町・大江町教育委員会、2002年、25頁。
- ^ “元普甲道を歴史の道に 大江町 住民が毛原峠の整備進める”. 両丹日日新聞. (2011年9月16日)
- ^ 中尾悠希 (2011年9月27日). “元普甲道よみがえる 大江山に新散策コース”. 京都新聞
- ^ a b “シリーズ 再発見 ふるさと探訪(43) 元普甲道”. 広報おおえ: p. 第436号12面. (1994年7月)
- ^ 中尾悠希 (2011年10月17日). “60年ぶり住民と再会 巨木運搬、往時懐かしむ”. 京都新聞
- ^ a b c “新 ふるさと紀行(2) 元普甲道を歩く”. 広報おおえ: p. 第495号16面. (1999年6月)
- ^ 福知山市天然記念物等総合調査実行委員会『福知山の自然遺産~伝えたいふるさとの自然~』福知山市教育委員会、2014年、87頁。
- ^ “街角ウォッチング 岩が御神体の神社”. 両丹日日新聞: p. 4面. (2017年7月3日)