利用者:Harachang/作業場

今度旅行に行くハンガリーに関しては、地球の歩き方などのガイド本のほうが、wikipediaの記事より詳しいのばっかり。 他に日本語の本がない…。


概要[編集]

エステルハージ宮殿 Das Schloss Esterházy)はオーストリアブルゲンラント州の州都、アイゼンシュタットにある宮殿である。13世紀後期に建てられ、1622年にハンガリーの貴族エステルハージ家の所有となった。エステルハージ・パールのもとでバロック式の大邸宅に改築され、300年以上に渡って[1]エステルハージ家本宅として一族の中心であり続けた。

宮殿内にある音楽ホールハイドンザール(独:HaydnSaal)についても、本項で合わせて記述する。

歴史[編集]

1364年、有力な一族カニジャイ家(Kanizsai)が所有し、その結果大きな発展を遂げた。1371年にラヨシュ1世が所有、この建物をアイゼンシュタット市の北西の周辺部を含めて「中世の都市城」へと発展させた。1622年、エステルハージ家に所有権が移った。

1652年、ヴェスケーニ(Veszkény)での戦いでエステルハージ・ラーズロー侯が戦死し、弟のエステルハージ・パールがこの宮殿を相続した。彼は10年の年月をかけて増改築し、今日ある姿になった。豪奢な漆喰の装飾は、イタリア人職人のアンドレア・ベルティネッリ(Andrea Bertinalli)によるものである。

バロック時代の絶頂期と末期に、わずかながら改築がおこなわれた。18世紀に内装と階段が全て改装され、ほとんどの部屋に暖房炉と化粧漆喰の天井が備わった。この宮殿唯一の大改築は2つあるメインの大階段のリニューアルで、これは現在まで残っている。フランツ・ヨーゼフ・ハイドン[2]が楽長を務めていた頃、この宮殿はエステルハージ家の避暑地であった。

エステルハージ・ミクローシュのもと、宮殿は古典主義様式に改装された。ミクローシュは、古典主義革命で最も著名なフランス人建築家チャールズ・モロー(Charles Moreau)の獲得に成功。モローは、宮殿の重要な部分だけをバロック様式のままに残し、建物を大部分を改築、古典主義様式の要素を加えた。建物の東棟は劇場が、西棟はミクローシュが各国から集めた絵画を飾るギャラリーが設けられた。北の二つの塔の間にあるホールは、今日ある、優れた音響で知られるハイドンザールの先駆けとなった。このホールへの入口に、モローはコリント式の20本の柱に支えられている広々としたスロープのある巨大な玄関を作った。

1809年の不況により、修繕計画は大幅に縮小された。19世紀後半に、ようやく修繕作業は始まった。

  1. ^ General”. Schloss Esterházy Official website. 2009年5月24日閲覧。
  2. ^ Clark, p. 19

参考文献[編集]

  • Clark, Caryl Leslie,The Cambridge companion to Haydn,ケンブリッジ大学出版局(en),1995,ISBN 9780521833479