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東山手洋風住宅群(ひがしやまてようふうじゅうたくぐん)は、長崎県長崎市東山手町にある7棟の洋風住宅の総称。7棟全てが長崎市指定有形文化財に指定されている。
概要
[編集]長崎市東山手の旧外国人居留地の高台に位置する。
各住宅は明治30年代に、日本人の貿易商が外国人向けの貸家として建てたもので、当時は「片岡貸家」の通称で呼ばれていたという[1]。 日本人の住宅として用いられたため改造により原型は損なわれ、老朽化も進んでいた。 そうしたなか、1980年(昭和55年)に長崎市が敷地ごと買収し同市教育委員会の管轄となり[2]、80年代末より解体を伴った大規模な修復工事が実施され、明治時代の姿に復元された。
A棟
[編集]B棟
[編集]C棟
[編集]D棟
[編集]E棟
[編集]F棟
[編集]G棟
[編集]保存までの経緯
[編集]明治時代、長崎に800棟ほど存在した洋風住宅は、老朽化もり昭和40年代以降急速に解体が進み数を減らしていた。 長崎市は1976年7月に「市伝統的建造物群保存対策協議会」を発足し、同年8月から1年をかけて東山手・南山手地区の洋風住宅の実測調査が行われた。 ところが、同年11月、7棟の洋風住宅の敷地と建物を所有する長崎市内の企業が長崎市に対し、経済的な理由でこれ以上の維持は困難であり、年内に結論が出なければ洋風住宅を解体して跡地にマンションを建てると通告。 洋館群が失われると東山手の町並み保存計画が消滅しかねないと判断した長崎市は、1979年2月付で住宅群の敷地および建物を1億9560万円で買収する契約を企業と結んだ。 住宅群の補修が実施された。1990年7月に長崎市議会で重伝建への登録に必要な長崎市の伝建地区指定に関する条例が可決され、東山手地区は南山手地区と共に同年10月30日より市の伝建地区に指定され、1991年4月30日には国の重伝建に登録された。
アクセス
[編集]脚注
[編集]注釈
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出典
[編集]参考文献
[編集]- 『東山手の洋館』長崎市教育委員会管理部文化課、1977年8月。
- 『長崎居留地‐伝統的建造物群保存対策調査報告書』長崎市教育委員会、1990年10月。
- 松葉一清『近代建築ガイドブック』鹿島出版会、1984年。ISBN 4306041689。