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利用者:IDANVANDAALI

9代目 R33型(1993年-1998年)[編集]

日産・スカイライン(9代目)
GT-R
GT-R LM
ボディ
ボディタイプ 4ドアセダン
2ドアクーペ
駆動方式 4WD / FR
パワートレイン
変速機 4速AT / 5速MT
マルチリンク
マルチリンク
車両寸法
ホイールベース 2,720mm
全長 4,640-4,720mm
全幅 1,720mm
全高 1,340-1,360mm
その他
総販売台数 217,133台(GT-Rの16,435台を含む)
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通称:R33(アールサンサン)、GT-9(ジーティーナイン)

キャッチコピー:

SKYLINE GT-9 (スカイライン ジーティナイン)・スーパーGT-R、・あした、スポーティーに生きる/日本のグランドツーリングカー(前期型)
男だったら、乗ってみな。→キメたかったら、乗ってみな。・好きだったら、乗ってみな。(後期型)
マイナス21秒ロマン最新のGT-Rが、最高のGT-Rだ。私たちの国には、GT-Rがあることを誇りたい。(GT-R)

ボディをふたたび大型化。主力は2.5Lとなり、全車3ナンバーとなった。GT-Rは1995年1月に発売された。R32型に比べて全体的に大型化された事により、居住性は大幅に上がったが同時に車両重量も増加した。特に発売初期の頃はGT-Rも含めR31型程ではないが評価・評判共にあまり芳しくなかった。R33が発表されたとたんに、在庫のR32に注文が殺到したというエピソードもある。しかし今となってはその大柄なボディが生み出す直進安定性と、当時の不人気ぷりから来る値ごろ感(R32、R34が年式から考えられる値段より遥かに高値安定状態)から、お買い得モデルとして認識され始めている。購入後の整備等を鑑みると歴代スカイラインの中でも、最も安く遊べるモデルである。

サスペンション形式はR32と同じくマルチリンクだが、前アッパーアームをI型からA型に変更、後ダンパーのストローク増、などの改良が図られている。

GT-R含むクーペ全てとセダンの前期モデルは、バッテリーをトランク奥に設置するハイトラクションレイアウトを採用している。搭載される専用バッテリーは高価だが大した容量を持っていない。

開発当初はクーペをショートホイールベースにする予定だったが、終盤でセダンとのシャシー共用によるコストカットを求められた。そのためかクーペの外観は間延びしたものとなっており、ドアもかなりの大きさを持つ。

エンジンのラインアップはGT-R専用となる2.6L RB26DETT型、2.5L RB25DET型とRB25DE型、および2.0L RB20E型(R33型唯一のSOHCエンジン)の4タイプであった。トランスミッションは5速MTと5速AT(5速ATはマイナーチェンジにて4速ATに変更される)であった。RB25DET型エンジンは『リニアチャージコンセプト』により過給圧を抑えレスポンスの向上を図っていたが、市場からの評価はターボらしくないと芳しいものではなかった。

R33型デビュー直後、東京モーターショーでGT-Rのプロトタイプが発表されたが、市販モデルではフロント周りを見直された。そして一般車にしては前代未聞の東京オートサロンにてデビュー。

歴代のGT-Rでは初めてテレビCMがつくられ、ニュルブルクリンクオールドコースでのラップタイムが7分59秒だったことから、R32型GT-Rとのタイム差を元に「マイナス21秒ロマン」というキャッチコピーが用いられた。[1]

一般的には問題が無いが、チューニングした上で非常にハードな走行を繰り返すと、Cピラー根元がストレスに耐え切れず、曲がってしまうというトラブルが報告されている。

GT-Rの車両形式が前回のBNR32からBCNR33へとアルファベットが変更された。前回はB=RB26DETT、N=アテーサ+HICAS、R=スカイラインの意味を持たされていた。R33ではB=RB26DETT、N=アテーサ、C=HICAS、R=スカイラインの意味なのだが、このモデルにだけ"C"がつくのは、R32型・R34型共にアテーサ装着車にはHICASが自動的に装着されていたのに対し、R33型GT-R以外のモデルではアテーサ装着車でもHICASが装着されていないモデルも存在したことにより、差別化のためCが表記されている。

しかし、OptionではR34でまたC=HICASが社内記号での判断となり消滅した事と合わせ、「C=C34ローレルとのシャーシ共用を意味してるのではないか?」と書かれていた。しかし実体は上記の通りであり、単なる都市伝説と考えるのが正解である。

発売後、NISMOからは400Rと呼ばれるコンプリートカーが限定車として44台販売された(限定台数は99台であったが、その前に販売が終了)。当時の販売価格は1200万円である。この400Rの名前の由来は搭載されたエンジン、ニスモが「RB-X GT2」と呼ぶ2.8L排気量アップ版の最大出力400psに由来する。

1995年1月 一部変更。運転席SRSエアバッグ、およびテールパイプフィニッシャーを標準装備としたほか、外装を一部変更。セダンのラジエータグリル、ヘッドランプ周りをスモークシルバーに変更し、GTSタイプG系にアルミホイールを標準装備化。クーペのラジエータグリルをボディカラー化し、「エアロパッケージ」を設定。「セダンGTS25タイプG・SE」および「セダンGTS-4タイプG」を追加。さらに、BNR32型が継続販売されていた「GT-R」がフルモデルチェンジしBCNR33型となる。桟の無いラジエータグリルにGT-Rのエンブレムを配し、角度変更可能なリアウイングを採用した。RB26DETT型エンジンの出力は280ps/6800rpm、37.5kgm/4400rpmとなる。グレードは標準車のほか「GT-R Vスペック」、「GT-R VスペックN1」の3種類。N耐参戦ベース車である「Vスペック N1」ではリアウイングがカーボン製となる等、差別化が図られている。

1996年 ビッグマイナーチェンジ。外装が大幅に変更された。発売当時、テレビCMで「男だったら、乗ってみな。」というセリフとキャッチコピーを展開したところ、クレームがつき、映像はそのままで「キメたかったら、乗ってみな。」に差し替えられ、その後「好きだったら、乗ってみな。」というバージョンも作成された。

後期型GT-RにもCMが作られたが、「最新のGT-Rが、最高のGT-Rだ。」という、R32以前のコアなファンの心理を逆なでするコピーが不評で、後に「私たちの国には、GT-Rがあることを誇りたい。」となるなど、パブリシティにおいても紆余曲折のあったモデルであった。

1997年10月 第32回東京モーターショーに「GT-R オーテックバージョン 40thアニバーサリー」を出展。スカイライン生誕40周年を記念した限定車。BCNR33型GT-Rをベースに4ドアのボディを載せた、PCG10型GT-R以来の4ドアGT-Rである。2ドアGT-Rのブリスターフェンダーを再現するために、わざわざリアドアとリアフェンダーのプレス型を作り直す程であった。

1998年1月 「GT-R オーテックバージョン 40thアニバーサリー」を発売[2]。型式は「BCNR33改」となる。村山工場で組み立てされた後、座間事業所にて仕上げを施され、出荷された。神奈川県警が白黒、埼玉県警が覆面パトカーとして2台ずつ導入している。

GT-Rのみ100台限定でイギリスへ輸出されている(下記「GT-Rとは」参照)。そして、日産がル・マン24時間レース参戦用に「GT-R LM」と呼ばれるホモロゲーションマシンも1台だけ製作された。

この頃のGT-RやJZA80スープラRZ等のスポーツモデルは出力こそ自主規制値の上限である280psとなっているが、実際にはマフラー等で出力を絞っているだけであり、マフラー等の吸排気系を社外品に変えるだけのライトチューンでも実測値で400ps弱という出力が発生してしまうため[3]、自主規制は有って無いような物となっている。

  1. ^ このマイナス21秒と言うラップタイムは本来ならば一般に市販車として量産されているフルノーマルでと言う意味であるが、(後にR34型のニュルラップタイムが公表されなかったのと重なり)、過給圧アップや足回りのチューンを施していたと言う疑惑が持たれていた事もあった。この事についてはベストモータリング1995年4月号 で土屋圭市も自身が所有していたフルノーマルのVスペックと広報車と比較して車高・キャンパー角が明らかに違う事を言及しており、激怒したというエピソードがある
  2. ^ スカイラインGT-R 40th ANNIVERSARY AUTECH VERSION 公式サイト
  3. ^ driver 2007年4月5日号「やっぱりスポーツカーに乗らなきゃ」57ページを参照。