コンテンツにスキップ

利用者:J-ishikawa/swork00a

ヘルマン・ワイル

ヨハネによる福音書

罪の女


姦通の女の物語かんつうのおんなのものがたりラテン語:Pericope Adulterae)とは、『ヨハネによる福音書』7:53(第7章53節、以下同様)から8:11に伝えられている、有名な物語である。新共同訳聖書では、「わたしもあなたを罪に定めない」との小見出しがついている。

レンブラントなど、この逸話を描いた画家も多い。

ただし、現在の本文批評によれば、この物語は、『ヨハネによる福音書』の元来の本文にはなかった4世紀の加筆であるとされる。したがって、『ネストレ・アーラント』では二重括弧([[...]])で括られており、多くの邦訳聖書でも括弧で括るなどの形で、後代の付加であることが示されている。

本文[編集]

本文批評[編集]

写本について[編集]

この部分についての写本や古代訳の状況はおおむね以下のようである[1]

この部分を含む写本[編集]

  • Dベザ写本5世紀)、(大部分の小文字写本)、『ヴルガータ』を含む古ラテン語訳、一部のコプト語
  • 『ヨハネによる福音書』7:36の後に置くもの:小文字写本225
  • 同 21:25の後に置くもの:1(小文字写本、などからなるグループ)
  • ルカによる福音書』21:38の後に置くもの:13
  • 同 24:53の後に補足として置くもの:小文字写本1333

この部分を含まない写本[編集]

結論[編集]

以上の写本状況と、「律法学者」の用語が『ヨハネ福音書』に現れるのはここだけであるなどの内証とから、現在では、ごく一部の極めて保守的な研究者[2]を除く、ほぼすべての研究者が、この部分は本来の『福音書』にはないものであり、おそらくは4世紀に西方で本文に加筆されたものが、『ヴルガータ』の影響力もあって広まり、以後の殆どすべての写本が現在の形で伝承するものとなったと考えている。

古伝承[編集]

前述のように、この物語が正典福音書に加筆されたのは4世紀以降であるが、物語自体は加筆時に創作されたものではなく、相当に古い伝承に基づくことが明らかにされている。


 さて、我々はいくつかの福音書の中に、次のような物語を見出す。それによると、ある一人の女が罪のゆえにユダヤ人によって告発され、石打ち刑にされるために、それが行われる場所に送り出された。救い主は彼女を見、彼女が石で打たれそうになっていることが分かって、石を投げつけようとしている人々に向かって言った、「罪を犯したことのない者が、石を取って、それを投げつけるがよい」。もしだれかが罪を犯したことがないと自覚しているなら、石を取って、彼女を打て、というのである。だれもそれをする者がいなかった。彼らは何らかのことで自ら罪を犯していることに気づき、それを知っていたからである。


 もしあなたがたが憐れみを知らず、改悛者を受けいれないなら、あなたは主なる神に対して罪を犯すものである。なぜならあなたは、われらの救い主と神に従わず、救い主がかの罪ある女になしたもうたようになさないからである。—長老たちが彼女をイエスの前に据え、裁きに付して立ち去った。心を探りたもう主は、彼女にたずねた、「娘よ、長老たちはおまえを罰しないのか」。彼女が彼に答えた、「いいえ、主よ」。そこで彼は彼女に言った、「お帰りなさい。私もおまえを罰しない」。

このように、この物語自体はほぼ確実に2世紀には一部でよく知られていた伝承であって、内容的に見てイエス自身にまで遡る可能性のあるものである。

にも拘らず、正典福音書には当初、含まれなかった理由について荒井献は、

  1. 初期カトリシズムの成立にあわせて台頭した「新律法主義」(キリスト教道徳を重視する)のなかでは、姦通という重い罪を赦すイエスの物語は、あまりにラディカルであり過ぎたこと。
  2. この物語の伝承が、次第に異端視されてゆくユダヤ人キリスト教徒によって主に担われていたこと。

を挙げている。

正典への挿入[編集]

この物語が4世紀に一転して正典福音書に追加されることになった背景には、ローマ帝国内でのキリスト教の地位の劇的変化が考えられる。すなわち、間欠的とはいえ、1世紀以降常に迫害の対象であったキリスト教が、まず311年に東方正帝ガレリウスが弾圧をやめ寛容令を出し、313年コンスタンティヌス1世による「ミラノ寛容令」によって帝国内で公認された。また、アルメニア王国301年)、グルジア327年)、エチオピア350年頃)などで、相次いで国教とされるに到った。

そのために、迫害を恐れて棄教してしまった者が、こうした情勢で教会への復帰を希望するケースが多数出たものと考えられる。これらを迎え入れるにあたって、教会では、「棄教」というのは「姦通」どころではない最大の「罪」ではあるが、深く改悛したものにはこれを許す必要が生じた。

そうした状況下で、この「姦通の女の物語」が深い改悛をするならば「棄教」さえも許されるという意味で、その意義を回復し、正典福音書に再録されることになったものだと考えられている。

関連芸術作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Nestle-Aland "Novum Testamentum Greace" 27th Ed. Stuttgart(1993) のデータを一部簡素化した。
  2. ^ 例えば、"The Greek New Testament According to the Majority Text with Apparatus: Second Edition", by Zane C. Hodges (Editor), Arthur L. Farstad (Editor) Publisher: Thomas Nelson; ISBN 0840749635 の編集者たち

関連項目[編集]

参考文献[編集]

外部リンク[編集]