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馬占山
[編集]'''馬 占山'''('''ま せんざん'''、[[1885年]] — [[1950年]])は、[[中華民国]]・[[満州国]]の[[軍人]]。[[字]]は'''秀芳'''。 [[吉林省]][[公主嶺市]]に貧乏な[[農民]]の息子として生まれる。その後[[馬賊]]に身を投じるが、[[張作霖]]の側近だった[[呉俊昇]]に見出され[[1911年]]に[[連隊長]]・[[1925年]]に[[旅団長]]となる。 [[満州事変]]が勃発すると[[張学良]]によって[[黒竜江省]]政府主席代理に任命され、[[関東軍]]及び関東軍に協力した[[張海鵬]]の侵攻を[[チチハル]]で食い止める。その後、[[謝介石]]の説得に応じる形で満州国建国に参加。黒龍江省省長を経て[[1932年]][[3月9日]]に軍政部長となる。 しかし[[4月1日]]に[[黒河]]を密かに脱出、[[ラジオ]]を通じて徹底抗戦を呼びかけて[[東北救国抗日聯軍]]を組織した。[[ゲリラ]]戦を展開したものの軍事的な劣勢を跳ね返せず、翌年には[[ソビエト連邦|ソ連]]へと脱出。[[ヨーロッパ]]経由で中国入りし[[蒋介石]]に徹底的な抗戦を要求したが、拒絶され[[軍事委員会委員]]に棚上げされて[[天津]]の[[租界]]に寓居する。[[1936年]]に張学良・[[楊虎城]]によって[[西安事変]]が起きると張らを支持、[[盧溝橋事件]]の後に東北挺進軍総司令に任命され[[山西省]]で[[八路軍]]と協力しながら抗日闘争を続行した。 その後、病に倒れて[[北平]]に住み、[[人民解放軍]]が北平に侵攻する際には[[傅作義]]によって[[鄧寶珊]]と共に解放軍との交渉にあたった。[[北京]]で死去。 [[en: Ma Zhanshan]] [[zh:马占山]] {{生没年|ませんさん|1885年|1950年}} [[Category:満州国|ませんさん]]