コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

利用者:Kanade0/sandbox

星野 颯人
福岡ソフトバンクホークス #1
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県福岡市中央区
生年月日 (1982-08-08) 1982年8月8日(42歳)
身長
体重
203 cm
107 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 遊撃手
プロ入り 2000年 自由獲得枠
初出場 2001年3月30日
年俸 6億3000万円+出来高(2024年)
※2020年から6年契約
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
五輪 2004年2008年2020年
WBC 2006年2009年2013年2017年2023年
オリンピック
男子 野球
2004
2008
2020
ワールド・ベースボール・クラシック
2006
2009
2013
2017
2023
星野 颯人
YouTube
チャンネル
活動期間 2022年8月8日 -
ジャンル 野球ゲームブログ
登録者数 約843万人
総再生回数 約16億2340万回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2024年9月28日時点。
テンプレートを表示

星野 颯人 (ほしの はやと、1982年8月8日 - ) は、福岡県福岡市中央区出身のプロ野球選手(内野手、右投両打)。愛称は「世界の星野」、「二代目ミスタープロ野球」など。 妻は元俳優の山口一音

概要

[編集]

NPB史上最多の12回の三冠王達成者。 世界記録となるレギュラーシーズン通算本塁打1040本を記録し、福岡ソフトバンクホークスの黄金期を今もなお支えている。シーズン本塁打 (63本)、シーズン打点 (166打点)、シーズン得点 (144得点)、シーズン長打率 (.830) シーズン出塁率 (.492)、通算出場試合 (3393試合)、通算打席 (15404打席)、通算打数 (12866打数)、通算打率 (.342)、通算安打 (4394安打)、通算二塁打 (843本)、通算三塁打 (167本)、通算本塁打 (1042本)、通算塁打 (8703塁打)、通算打点 (3074打点)、通算得点 (2416得点)、通算犠飛 (135犠飛)、通算長打率 (.676)、通算OPS (1.113) シーズンOPS (1.322)のNPB記録保持者。(いずれも更新中) NPB最多記録となる19回の打点王、15回の最多安打、24回のベストナイン、24回のゴールデングラブ賞を受賞している。

通算本塁打数、シーズン本塁打数のNPB記録を塗り替えるなど、柳田悠岐山川穂高近藤健介らと共に強力打線を作り上げ、福岡ソフトバンクホークスの黄金期の顔として活躍している。星野の記録したシーズン公式戦通算本塁打1042本(更新中)はNPB最多記録であり、王貞治の保持していた当時のNPB通算本塁打記録の868本塁打を抜いたことで知られるほか、数々のNPB記録を保持する(記録の詳細については後述。)

福岡市名誉市民

経歴

[編集]

生まれ

[編集]

1982年8月8日福岡県福岡市中央区に生まれた。父は先述の元プロ野球選手の星野和人、母は医者の星野凛音

幼いころから父の影響で野球に没頭し、そして南海ホークス (現在の福岡ソフトバンクホークス)のファンで、球場にもよく試合に見に行ったと本人は語っている。

学生時代

[編集]

星野いわく小学生のころから父に「お前には天性の野球センスがある」と何回も言われたそうで、その通りに小学生のころから野球が非常にうまく、父から「将来はプロ(野球選手)だな」と言われたそう。1994年に福岡教育大学教育学部附属福岡小学校(現在の福岡教育大学附属福岡小学校)を卒業し、野球強豪校の福岡大学附属大濠中学校・高等学校に進学した。 そして1年目からセンバツに出場し、5番打者を務めた。2回戦で敗れたものの、本人は.500、2本塁打、4打点の成績を残した。そのうち2回戦で放った本塁打は106メートルの特大本塁打を放ち、プロから注目されるきっかけになった。その後は3年に春夏連覇を果たすなど4番打者を務め、プロは確実とされた。

現役時代

[編集]

2000年、自由獲得枠を行使し子供のころからファンだった福岡ダイエーホークス(現在の福岡ソフトバンクホークス)に入団。契約金は破格の1億円で、年俸は1000万円。背番号は、60に決まった。星野いわく理由は当時の福岡ダイエーホークス監督の王貞治が「自分の本塁打記録を超えてほしい。いや、60本打ってほしいね」と言われ、背番号が60になったという。

2001年

[編集]

ルーキーの2001年は、オープン戦で4本塁打を放つなど注目されていた中で開幕戦を迎え、3月24日、開幕戦の対オリックス戦に、6番遊撃手で開幕スタメンデビュー。するといきなり初打席で金田政彦からプロ初本塁打の2ラン本塁打を放った。しかしその後は3打数で2三振とヒットが出ず、デビュー試合は4打数1本塁打2三振だった。

最終的なシーズン成績は打率.289、31本塁打、103打点、39盗塁であったが、無冠に終わった。しかしオールスターゲーム選出、新人王を獲得し、チームのリーグ優勝に貢献した。新人での31本塁打は桑田武清原和博と並ぶNPBタイ記録。そして新人での290塁打も長嶋茂雄と並ぶNPBタイ記録。

2002年

[編集]

打率.311、38本塁打、112打点、36盗塁の成績を残した。無冠だったものの、オールスターゲームに出場し、ベストナインとゴールデングラブ賞を獲得した。

2003年

[編集]

打率.360、52本塁打、140打点、45盗塁の成績を残し、NPB史上最年少の三冠王を獲得した。その他に、MVP、 2年連続のオールスターゲームに出場、ベストナイン、ゴールデングラブ賞を獲得し、大きく飛躍した年となった。

2004年

[編集]

打率.315、36本塁打、111打点、38盗塁と昨年よりは成績を落としたものの、 3年連続となるオールスターゲームの出場、ベストナイン、ゴールデングラブ賞を獲得した。

2005年

[編集]

打率.323、38本塁打、118打点、35盗塁の成績を残し、2003年以来の首位打者を獲得した。そして4年連続となるオールスターゲームの出場、ベストナイン、ゴールデングラブ賞を獲得した。