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利用者:Kanrishatte

利用者:kanrishatteは、wikipedia内での正義と公正さを正すために神の下した使者。利用者:Ahonayatsugakanrininの親友であり、弟子であり、弟のような存在でもあり、実の息子として育てられていた。彼の遺志を継ぐために、wikipedia内に降臨。彼と同様「正義」を標榜する仏神をも恐れぬ不逞の輩に正義を理解し、自らの誤りを認識していただくことを目的としてwikipedia内で活動予定。

Wikipedia:バベル
ja この利用者は日本語母語としています。
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私の気持ち[編集]

私は決して、荒らしなどがしたいわけではない。それは絶対だ。私は、正義とは何か気付いてほしいだけである。正直、私も正義が何なのか、何もわかっていないのかもしれない。しかし、自分の意見を押し付ける「正義」が、真に正義でないことだけはわかる。科学的に立証のしようもないが、そんなことが正しくないのはわかる。どうも「彼ら」はよく分かってくれないようだが、私はそういう気持なのだ。

正義とは[編集]

この世では、「正義」が自らを「正義」と信じて疑わない人たちに濫用されている。
この世では、「正義」を自らが間違っているとは決して考えられない人たちが乱用している。

果たしてこれでいいのだろうか?正義とはこんな意味なのだろうか?
果たしてこのままでいいのだろうか?自分勝手な「正義」のままでいいのだろうか?

私はそうは思えない。正義がこんな意味だとは思わない。
私はそうは思えない。自分だけが正しいとされる「正義」のままではいいとは思えない。

正義とは、それぞれの中にあるはずだ。決して自分だけにあるのではないはずだ
正義とは、そのことをしかと理解したうえでしか使ってはいけないもののはずだ。自分勝手に使ってはいけないはずだ。

前述のとおり、私は正義が何なのか、いまだもってわからない時がある。しかし、だからこそ正義について考えようと思える。だから皆にも「彼ら」にも、正義が何なのかわからない時があるなら、それを誤魔化そうとはせずに、恥ずかしがらずに考えてもらいたい。そして、そのことを友人・知人に伝えていってもらいたい。それを皆が理解することができれば、きっと世界はよりよい方向に変わっていけるはずである。

正義とは何であるのかと。

好きなもの、こと[編集]

自由、平等、公正、民主主義、正義について考えること

嫌いなもの、こと[編集]

自分勝手な「正義」、それを押し付ける人たちそのことを全く恥ずかしがらず、悪びれぬ人たち、正義について考えようとせずに正義を使おうとすること

私に賛同してくれる方々へ[編集]

今wikipedia内で行われている、自分勝手な「正義」の押し付けに反対される方々の中で、もし私に賛同してくれるのならば、[email protected]へ連絡してほしい。