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利用者:Kimura-goto-koji/sandbox

内神道  
 日本国発祥の武道。古代の「本流の楊式太極拳」を日本国の武道に完成した「日本国の楊式太極拳武道」のこと。
 内神道の命名は、本流の楊式太極拳の原理である老子経の第六章「内(谷)神は死せず」から由来。立道は1981年。開祖は長尾豊喜道長宗家。

【日本国武道】

 現代「太極拳」は中国政府か台湾の武術組織の主導で日本国にも世界にも広がっているが、この門は、日本国の「本流の楊式太極拳」を完成している点でまったく異なる。
 日本国の純粋武道としての「太極拳道」というのは、この団体以外ではみうけられない。
 日本国発祥の武道だけに単なる「太極拳」というのではなく「太極拳武道」というサムライ武道の文化世界を構築した。
 また現代中国で消えてしまっている「古代本流の楊式太極拳」を復元させたという業績からは、日本国の武道や武士道文化をはじめとする、あらゆる日本国の文化構築の土台になってくれた古代中国文化と文明への、大きな恩返しができたという価値観が称えられている。


【普及】
 1985年には毎日新聞社・警備保障新聞社の全国後援を受けた大会が開催されている。また、常陽藝文学苑の指導を30年以上にわたって続けるなど着実に普及を続けている武道門である。2004年には国技館大会が開催され、その後はさいたまスーパーアリーナに演武会会場が移されている。これらの大会では茨城県や東京都が後援に加わった。
 また厚生労働省とは健康寿命をのばす国民運動(Smart Life Project)において協力・連携をうちだし、つくば市研究学園都市道場―文化武道小ホールを起点に積極的活動を行っている。
  【この武道の持つ国家登録】
 この武門は、内神道を「静坐の門」「老子の武道」「日本楊家正統内神道功夫」「倭の心神内斂の剣」という名称でも日本国特許庁から登録取得している。
 このことは、「静坐」文化、老子経の原理、楊家に伝わる伝統、日本国と古代中国の剣の原理、日本国武士道の稽古の原理と道場文化、沢庵禅師の武道の指導文化である不動智神妙録、それに日本国の禅文化の伝統等を要素にして組み上がった武道の姿を示し、権利獲得をしたことをあらわす。

【日本国伝統文化の尊重】
 茶道や能や書道を「サムライ」の教養とした伝統的日本文化を尊重し、現代の能(この組織で「新能」と命名するが)や静坐法を秘密裏に鍛えぬいている点も特異な組織である。
 また、日本国武道の「肚の作り方」と実際の「柔軟な足腰の作り方」の猛稽古を基礎に据えている(勁霊和穏という修法の追及)。
 このような工夫で本流の楊式太極拳の成分を組みあげたところはきわめて独特である。「温故知新」や「武道不易」を柱に持ち、時代に貢献できない武道であってはならないという思想を持つ。
 古代中国の追及した老子経の「玄」は、――日本国武道においても、また古代本流の楊式太極拳にしても「勁霊和穏」という徳、修法のなかで求められた――という「共通項」を発見したことがこの武道の強靭な基礎を打っている。

【老子経からの端的な解釈】
 本流の楊式太極拳の前身である竹林の七賢人の静坐も、日本国の武士の教養である能と静坐も、同じく「幽玄」や「静寂」を目指した老子経からの文化である。また仏教哲学も同様に老子経の「玄」を追求した(法蔵の十玄論等)。このような静寂を目指した文化は、本来が平和な家庭生活を人生の定めとしてきた日本人の心に合っていた。こうして中国の古代の本流の楊式太極拳は「道」として必然的に日本国という整った武道磁場のなかで生まれ出たとする(文献;多聞内神道の老子経典釈義蔵)。

【この武門の特徴】
 水戸常陽銀行母体の文化財団である常陽藝文学苑の採用武門の選考にあたって
 ・水戸の質実剛健の文化に合っている礼節と精神をそなえた武道門であること
 ・単なる健康法でなく、武道門として実践に使える「伝統を備えた太極拳」であること
 ・護身として他門に負けないところの位の高い美しい技を備えること
 という条件が出され、当時の常陽銀行の会長で茨城県副知事であった青鹿明司氏のメガネに叶って多くの団体の中から唯一選ばれた武道門であったと伝わる。
 この選考条件に叶ったということが内神道の特徴をあらわしている(常陽藝文学苑資料集から)。

【宗家】長尾豊喜
【開道】1956年10月(東京都通知書)
  【本部】本部;東京都新宿区西新宿七丁目2番10号

【日本国の純粋文化として眺める静坐】
 13世紀は日本国の本格文化の最後にして最大の形成期であったが、「この世紀はまさに、日本におけるヒンズー教の教えの改革期だった。この時代ほど光に満ちていた時代は他になく、この時代に確信を持って語られた教えを、今世紀に生きる日本人も熱心に聴いているのである(文献;代表的日本人=講談社、内村鑑三著・稲盛和夫監訳)」――という日本国の仏教文化の、この改革期には、同時に「死」という問題と「桜」や「紅葉」の風情に代表される美しい国土に住まいし、平和な家庭生活を人生の定めとしてきた日本人にとって、武道にしても文化にしても芸術にしても、正に現生の住処(すみか)を清めるという問題の熟成期を形成した時期でもあった。
 この文化的歴史的背景はまったく世界でも特異な武士道文化や武道文化を生みだし、同時に「立派な死に方」や「人間の内にある不滅の存在」や「人間の弱さ」を見つめる時代であった。
 愛する国や平和な家庭生活に別れを告げる「死」――この問題に繊細に触れて日本人の緻密な美学や芸術が育まれた。「茶道」や「能(のう)」が確実に武人の教養として深く愛されたが、とりわけ武人は無を求めて「静坐」を深く好んだ。
 サムライは、肝、胆力を鍛えて生きるすべをいつも維持しようとした。「静坐」は物に驚かない「氣力」を生むことであり、これが「氣沈丹田」という法則であった(文献;多聞内神道奥義=多聞内神道出版)。
 織田信長の「天下布武」の時代を抜けて江戸から明治の時代まで「静坐」を愛する日本人の伝統文化や武士道は維持されたが、明治の時代の文明の流入期にはそれらが「静坐法(出羽重遠=第一艦隊司令長官海軍少将)」や幾つかの特異な健康法などに形をかえて工夫され残された。
 このような日本人の坐法は、座禅や胡坐、正坐や公家の礼法の楽坐等のなかで練られたが、同時に武家の礼法も生みだし、そして確実に武道と一体となって武士道文化を育んだ。これらは世界的に眺めてみても非常にほこることのできる崇高な文化であった。誠実で平和な家庭生活を人生の定めとしてきた日本人の姿勢として、この文化は今日まで残ってきている。このような文化は子供たちの輝く眼を育てるのに非常に有効である(文献;警備保障新聞社縮刷版から)。

【この日本武道の特に際立ってこだわっている点】
 ・「老子経」が「本流の楊式太極拳」の基本哲学であり原点であるとしており具体的には「連綿円合」の修法を柱に稽古体系が完成していること。
 ・「老子経」は自然法であり道家に位置するが「道教」は老子を祭る宗教であって、老子経と道教とは、まったく関係のないものとしていること。
 ・この武道は「極限のやわらかさを求める」が同時に「自然療法学」を備えた完成された「静坐法」であるとすること。
 ・この武道は「不争」のものであり、あくまで平和な家庭生活を人生の定めとしてきた日本人の目的に合って完成した。したがって争いの道具ではなく、精神と心を自由にして  高め柔軟に動かすための道具である。
 ・そして、ひとたび護身として使用するなら誰でも護ることができ、また、健康を損ねたものにこの武道を適用すると限りない「自然治癒力」を与えることができる
  (文献;全国後援にいたる社会部長との覚書=毎日新聞社)

【国際普及】
 内神道は世界20カ国以上に弟子を育ててきている。アメリカのキップ支部長をはじめ、フランスのヒューゴ、ドイツのベルグ・アンケ老師など著名な指導者を出してきている。ただ本格武道は指導者を育成するのに20年~30年もかかる。内神道は老子経母体の武道であるため「大器晩成」を法とする(出典;老子経第四十一章)。西欧諸国の期待に応えるには更に多くの時間を必要とするようだ。
 中国大陸との交流は民間レベルでしか行っていないとのこと。内神道の方向は「不争」であり中国の現共産政権との摩擦を好まないし、武道は、政治的な運動には関わらないということを本道としている。
 中国政権は1975年発刊の(人民体育出版社)「太極拳運動」の方向では、老子経を否定し、共産革命の運動の基本路線維持の目的で「太極拳」を使うこととしている。内神道武道は老子経母体の本来の「本流の楊式太極拳」を求めたために、この意味で中国政権にきがねしている。ただ大きな目では「文化の兄たる大唐へ、大きな感謝を有す」という姿勢を貫いている。日本仏教が、今日、中国仏教とはまったく異なった文化哲学の世界にあるが、交流が友好的であるように、内神道門も、求められれば現中国と平和的に文化哲学の交流を深める姿勢であるということが方向として決定されているという。
 台湾との交流も民間レベルにとどまっている。もちろん日本人は台湾という地域でどんなに悲惨な歴史がくりひろげられてきたかを深く知らない。内神道が台湾との深い交流を求めるのは老子経を大事に保つ国であるからであるという。内神道の姿勢としては、よく台湾の実情を学び続け、台湾の真の自由社会の実現を平和的に完成させることに勇氣を与えたいということであるとする。2014年に起きた、台湾学生の「ヒマワリ学生運動」は強権勢力の隷属者であり続けた台湾人の「麗しの島」の主人公でありたい願望のあらわれであろう。内神道は台湾とは、深い文化交流と大学における内神道研究機関の設立を模索しているという(参考文献;台湾現代史=平凡社・何義麟著)。