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利用者:Knight doctor/聖ラザロ騎士団(1910年設立)

聖ラザロ騎士団
聖ラザロ騎士団紋章(1910年制定版)
設立 1910
分離
  • 1. マルターパリ派 (2008年分派)
  • 2. オルレアン派 (2004年分派)
  • 3. エルサレム派 (2015年分派)
ウェブサイト
  • 1. マルターパリ派 : st-lazarus.net
  • 2. オルレアン派 : orderofsaintlazarus.com
  • 3. エルサレム派 : oslj.org
  • テンプレートを表示

    聖ラザロ騎士団 (英:Military and Hospitaller Order of Saint Lazarus of Jerusalem)は、メルキト・ギリシャ典礼カトリック教会総主教であったシリル・メハ八世の加護のもと、パリのカトリック教徒らによって設立された修道会である。[1]

    正統性の主張[編集]

    1910年に創設されたこの団体は、歴史上の十字軍騎士団である聖ラザロ騎士団・フランス分派の正統な後継団体であることを主張している。

    聖ラザロ騎士団は14世紀ごろを境にイタリア分派とフランス分派に実質上分裂した。その後、イタリア分派は1572年の教皇大勅書によりサヴォイア王家の保護下に入り、聖マウリツィオ騎士団と合併し聖マウリツィオ・ラザロ騎士団となり、今日に至っている。一方フランス分家は、教皇庁により聖マリアカルメル山騎士団との合併が発表され、聖マリアカルメル山・ラザロ騎士団としてフランス王家の保護下に入った。聖マリアカルメル山・ラザロ騎士団は1830年にフランス王家の承認を失った。そこで本騎士団は、代わりとしてギリシャ典礼カトリック教会から承認を受けることを模索したが、成功しなかった。

    1910年設立された聖ラザロ騎士団は、この聖マリアカルメル山・ラザロ騎士団の正統な後継であることを主張している。カノン法120条は、騎士団最後の騎士が死去してから100年間は騎士団が存続すると定めている。聖マリアカルメル山・ラザロ騎士団最後の騎士マークス・デ・ゴートの死去が1857年であることから、従って1957年までに教皇または王家からの承認を得ることが出来れば、聖ラザロ騎士団は正統に再建が可能であった[2] 。1910年に設立された聖ラザロ騎士団は、教皇または王家からの直接的な承認を得ることは出来なかったが、1911年にメルキト・ギリシャ典礼カトリック教会の総主教であったシリル・メハ八世からの承認を得ることに成功した。聖ラザロ騎士団は、「もしシリル・メハ八世総主教により騎士団の承認が教皇の意に反するものであれば、シ総主教は承認が出来なかったと考えられる」との理論から、この総主教の承認により、間接的に教皇からの承認を得たと主張している。 [3]

    以降、聖ラザロ騎士団は多くの貴族や聖職者から承認を受けてきたが、教皇庁からの承認は未だ得られていない[4] 。また、各国の君主の承認も得られておらず[5] 、国際団体International Commission on Orders of Chivalryからの承認も得られていない[6] 。

    しかし一方で、聖ラザロ騎士団はハンガリー共和国政府より騎士団として正式に認知を受けており[7]、「クロアチア地域における正統な騎士団であることを認める」とされている。さらに、聖ラザロ騎士団の分派の1つであるオルレアン派は、正統な王位請求者であるアンジュー公シャルル=フィリップ・ドルレアンから承認を得ている。以上の経緯から、1910年に設立された騎士団が歴史上の聖ラザロ騎士団の正統な後継であるかどうかについては両論が存在し、現在に至るまで論争が続いている。[8]

    分派[編集]

    2004年、騎士団内の主導権争いからオルレアン家のアンジュー公シャルル=フィリップ・ドルレアンが聖ラザロ騎士団の「総長」に選出されたと突如宣言したが、その正統性をめぐり、当時の総長であったセビリア公フランシスコ・デ・ボルボン・エスカサニー、現総長アルマザン侯カルロス・ゲレダ・デ・ボルボン、メルキト東方典礼カトリック教会総主教グレゴリオス3世ラハムらと競合状態にあった。ドルレアンの正統性は認められず支持も広がらなかったため、2010年3月、「個人的な理由」から急遽、「聖ラザロ騎士団総長」の辞任を発表した。

    現在、聖ラザロ騎士団は1. マルターパリ派 (2008年分派)2. オルレアン派 (2004年分派)3. エルサレム派 (2015年分派)の3つの分派が存在する。[9]

    聖ラザロ騎士団の派閥の概要

    参考文献[編集]

    1. ^ de Jandriac. Les chevaliers Hospitaliers de Saint Lazare de Jerusalem et de Notre Dame de la Merci. Rivista Araldica, November 1913, XI(11):p.679–683
    2. ^ Nelson, H. W. & Ross, M. (2015). Exploring Legitimacy: The Controversial Case of the Military and Hospitaller Order of St. Lazarus. Journal of Alternative Perspectives 6, (4), 352-375.
    3. ^ Van Duren, Peter Bander. (1995). Orders of knighthood and of merit: the pontifical, religious and secularised Catholic-founded orders and their relationship to the Apostolic See.Gerrards Cross : Colin Smythe publishers
    4. ^ "Note of clarification from the Secretariat of State" (Press release). Vatican City: Vatican Information Service, Holy See. 2015年5月25日閲覧
    5. ^ as the other International organizations of scholars in documentary sciences ie. groups as the International Academy of Heraldry and - AIH and International Academy for Genealogy - AIG
    6. ^ http://www.heraldica.org/topics/orders/lazarus.htm
    7. ^ Savona-Ventura, Charles & Ross, Michael. Frequent Questions and Answers about the Order of Saint Lazarus. Retrieved August 21, 2014 at: http://www.st-lazarus.net/international/qanda/faq.php?print=true&cat_name=Frequent%20Questions%20and%20Answers%20about%20the%20Order%20of%20Saint%20Lazarus&category_id=1javascript:submit_faq%28%27%27%29
    8. ^ refVan Duren, Peter Bander. (1995). Orders of knighthood and of merit: the pontifical, religious and secularised Catholic-founded orders and their relationship to the Apostolic See. Gerrards Cross : Colin Smythe publishers
    9. ^ C. Savona-Ventura and M.W. Ross: The Heraldry and Development of the Order of Saint Lazarus of Jerusalem. Published in 'Double tressure: The Journal of the Heraldry Society of Scotland, Summer 2013, 36:+28p.