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利用者:Kone/作業用

ハ1005形は、かつて日本国有鉄道の前身である鉄道院・鉄道省等に在籍した客車である。

概要

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本形式は、1911年(明治44年)に制定された鉄道院の車両称号規程において、箱形車体5セクション5扉タイプの二軸三等車に与えられた形式で、称号規程制定の時点で鉄道院に在籍した二軸三等車全1,648両中1,250両(75%)を占める5セクション5扉タイプのうち、80%以上の1,019両[1]を擁する二軸三等車の代表形式である。これらのほか、1916年(大正5年)に改造編入された4両が存在する。

本形式の全長(バッファー先端間長)は26フィート - 27フィート3インチ、全幅は8フィート - 8フィート6インチ、全高は11フィート8 1/4インチ - 11フィート11インチで、車体長は23フィート3インチ - 24フィート5インチ、車体幅は7フィート3インチ程度、車体高は10フィート5 1/2インチ - 10フィート8 1/2インチ、重量は、5.5 - 7.24トンである。軸距は大半が12フィート6インチで、一部に12フィートのものがある。車内は5つに区切られており、枕木方向に5人掛けの座席が向かい合わせとなっており、背もたれは木材を渡しただけの簡素なものであった。各セクションの両側に開き戸が設けられている。窓配置は1D2D2D2D2D1。定員は50名。貫通扉は設けられておらず、いわゆる「マッチ箱形客車」である。屋根は二重屋根で、屋根上には油灯入れが2か所に設けられている。

本形式よりやや小型の5セクション5扉タイプについては、ハ2024形が与えられており、緩急車についてはハフ2658形、ハフ2661形、ハフ2788形、ハフ2852形、ハフ2900形、ハフ3012形、手用制動機付きのものとしてはフハ3052形、フハ3053形、フハ3054形、フハ3155形がある。

分類

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本形式は、鉄道国有化前の各社に存在した同タイプの車両を統合したものであり、旧所属会社、製造所(国)、製造年は様々である。

  • ハ1005 - 1028
    1907年(明治40年)鉄道作業局新橋工場製の旧鉄道作業局ハ16, 18, 19, 21 - 23, 26 - 31, 34, 36, 37, 39, 41, 43 - 45, 47, 50, 51, 55である。全長26フィート7インチ、全高11フィート11インチ、車体長23フィート10インチ、車体幅7フィート9インチ、軸距12フィート6インチ、自重6.9トン。1912年(明治45年)4月にハ1009, 1014, 1019の3両が緩急車に改造され、ハフ4496, 4487, 4479(ハフ4430形)となったほか、同年(大正元年)12月にハ1013, 1015がハフ3350, 3345(ハフ3323形)に、1913年(大正2年)4月にハ1026がハフ3361(ハフ3323形)に、1917年(大正6年)にハ1006がハフ3373(ハフ3323形)となっている。1925年(大正14年)3月には、ハ1007, 1016, 1017, 1020, 1024, 1027, 1028の7両が残存していた。
  • ハ1029 - 1031
    1895年(明治28年)鉄道作業局新橋工場製。旧鉄道作業局ハ279 - 281である。基本寸法は先のグループとほぼ同一であるが、車体幅が若干狭く7フィート3インチ、最大高は11フィート9 1/2インチ、自重は6.56トンである。このグループは、1914年(大正3年)の形式図集には記載されておらず、それまでの間に廃車となったと思われる。
  • ハ1032 - 1080
    1895年鉄道作業局神戸工場、1896年(明治29年)新橋工場製。旧鉄道作業局のハ282 - 330で、ハ282 - 294が新橋工場、ハ295 - 330が神戸工場製である。諸元は、最大長26フィート9インチ、最大幅8フィート、最大高11フィート9インチで、車体長24フィート1インチ、車体幅7フィート3インチ、軸距12フィート6インチ、自重6.56トンである。1912年5月にハ1041, 1056, 1069, 1073, 1075がハフ4578, 4599, 4543, 4584, 4571(ハフ4430形)に、同年12月にハ1077がハフ3363(ハフ3323形)に、1915年4月にハ1079がフハ3176(フハ3176形)に改造されている。1925年3月には、ハ1032 - 1036, 1042 - 1049, 1051 - 1053, 1055, 1060 - 1067, 1070 - 1072, 1074, 1078, 1080の31両が残存していた。その後、ハ1053, 1055の2両が北恵那鉄道に払い下げられ、ハフ30, ハフ31となっている。
  • ハ1081 - 1106
    1895年新橋工場、1896年神戸工場製。旧鉄道作業局のハ331 - 356で、ハ331 - 336が新橋工場、ハ337 - 356が神戸工場製である。諸元は、ハ1032 - 1080のグループとほぼ同一であるが、最大高は11フィート10インチで自重は新橋工場製のグループが6.6トン、神戸工場製のグループが7.25トンである。改造については、1914年2月にハ1087がフハ3377(2代。フハ3377形)に、同年11月にハ1097 - 1101がハニ3550 - 3054(2代。ハニ3550形)、1915年4月にハ1081, 1085, 1094がフハ3178, 3187, 3177(フハ3176形)である。1925年3月時点における残存車はなかった。
  • ハ1107 - 1540
    1903年 - 1909年新橋工場、神戸工場製。旧鉄道作業局のハ124, 460 - 473, 475 - 479, 486 - 532, 534 - 553, 555 - 567, 569 - 580, 582 - 585, 587 - 605, 607 - 765, 796 - 905で、ハ124, 460- 473, 475 - 479, 696 - 745, 846 - 905が神戸工場製、それ以外が新橋工場製である。諸元は、ハ1081 - 1106のグループとほぼ同一で、最大高は11フィート11インチ、自重は7.24トンである。改造については、1911年4月に73両がハフ4430形、同年11月に20両がハフ3129形、1913年5月に43両がハフ3323形、1915年4月に1両(ハ1111)がフハ3378(2代。フハ3377形)である。1925年3月には73両が残存しており、その後、車掌車貨車ヨフ6000形に39両が改造されている。それ以降の譲渡については、2両(ハ1163, 1164)が富岩鉄道に譲渡されハ3, 4に、1両(ハ1153)が片上鉄道に譲渡されフハ33となっている。 富岩鉄道に譲渡された2両は、入線の際に日本車輌製造で車体の更新を受けていたが、1943年(昭和18年)に戦時買収され、旧番に復した。
  • ハ1541 - 1585
    1888年(明治21年)、英国メトロポリタン製。旧日本鉄道は41 - 85である。最大長26フィート、最大高11フィート8 1/4インチ、最大幅8フィート6インチ、車体長23フィート3インチ、車体高10フィート8 3/4インチ、車体幅7フィート3インチ、自重は7.15トンである。20両(ハ1546 - 1551, 1559, 1561 - 1570, 1583 - 1585)が、ヨフ6000形(ヨフ6505 - 6521, 6565, 6280, 6281)に改造されている。1925年3月時点の残存車は25両(ハ1541 - 1545, 1554 - 1558, 1571 - 1585)であった。
  • ハ1586 - 1603
    1894年、1895年、日本鉄道大宮工場製。旧日本鉄道は117 - 133, 143である。最大長27フィート3インチ、最大高11フィート7 3/8インチ、最大幅8フィート6インチ、車体長24フィート5インチ、車体高10フィート7 7/8インチ、車体幅7フィート3インチ、自重5.75トンである。7両(ハ1591 - 1593, 1596, 1598, 1600, 1601)がヨフ6000形(ヨフ6412 - 6418)に改造されている。1925年3月時点での残存車はなかった。
  • ハ1604 - 1679
    1888年 - 1898年、英国オールドベリー製。旧日本鉄道は144 - 219である。最大長26フィート、最大高11フィート8 1/4インチ、最大幅8フィート6インチ、車体長23フィート3インチ、車体高10フィート8 3/4インチ、自重6.5トンである。7両(ハ1636 - 1639, 1656, 1658, 1659)がヨフ6000形(ヨフ6522 - 6525, 6527, 6557, 6558)に改造されている。1925年3月時点の残存車は、52両(ハ1604, 1606 - 1623, 1640 - 1648, 1650 - 1654, 1660 - 1668, 1670 - 1679)であった。
  • ハ1680 - 1700
    1888年、英国メトロポリタン製。旧山陽鉄道9 - 73である。主要諸元は、前記の旧日本鉄道のハ1604 - 1679のグループとほぼ同一であるが、車体高が1 1/2インチ高く、連結器高が3/8インチ低い。1915年1月に15両(ハ1680 - 1694)がユニ4930形(ユニ4930 - 4944)に改造されている。1925年3月時点の残存車は、6両(ハ1695 - 1700)であった。
  • ハ1701 - 1759
    1890年、山陽鉄道兵庫工場製。旧山陽鉄道84 - 98である。主要諸元は、前記のハ1680 - 1700のグループと同一である。9両(ハ1725, 1726, 1728, 1733 - 1736, 1738, 1759)がヨフ6000形(ヨフ6528 - 6535)に改造されている。1925年3月時点の残存車は34両(ハ1701 - 1712, 1714 - 1722, 1740 - 1742, 1744, 1745, 1747, 1748, 1750, 1752, 1753, 1755, 1757, 1758)であった。
  • ハ1760, 1761
    1897年近岡工場製。旧甲武鉄道は25, 26である。最大長26フィート6インチ、最大高11フィート2 1/2インチ、最大幅8フィート6インチ、車体長23フィート7インチ、車体高10フィート6 3/4インチ、自重5.8トンである。改造車はなく、1925年3月時点の残存車もなかった。
  • ハ1762 - 1772
    1901年甲武鉄道飯田町工場製。旧甲武鉄道は27 - 37である。主要諸元は前記のハ1760, 1761のグループと同一であるが、床面から下部屋根までの高さが若干異なる。5両(ハ1765 - 1767, 1770, 1771)がハフ4430形(ハフ4433, 4441, 4598, 4440, 4449)に改造されている。1925年3月時点の残存車はなかった。
  • ハ1773 - 1809
    1888年、1889年英国バーミンガム製。旧関西鉄道1, 3 - 8, 10 - 16, 19, 20, 23 - 26, 29 - 34, 39 - 44, 54 - 58。
  • ハ1810 - 1817
    1888年、1889年関西鉄道四日市工場製。旧関西鉄道21, 22, 61 - 66。
  • ハ1818 - 1856
    1894年平岡工場製。旧関西鉄道67 - 74, 77 - 100, 120 - 126。
  • ハ1857 - 1879
    1898年日本車輌製造製。旧関西鉄道151 - 173。
  • ハ1880 - 1882
    1898年鉄道車両製造所製。旧関西鉄道203 - 205。
  • ハ1883 - 1891
    1893年大阪鉄道湊町工場製。旧関西鉄道280 - 288。
  • ハ1892 - 1900
    1898年日本車輌製造製。旧関西鉄道358, 359, 364 - 370。
  • ハ1901 - 1904
    1898年天沼工場製。旧関西鉄道360 - 363。
  • ハ1905 - 1908
    1901年福岡工場製。旧関西鉄道373 - 376。
  • ハ1909 - 1917
    1898年鉄道車両製造製。旧関西鉄道447 - 455。
  • ハ1918 - 1926
    1898年三田工場製。旧関西鉄道438 - 446。
  • ハ1927 - 1953
    1897年年平岡工場製。旧京都鉄道は1 - 27。
  • ハ1954 - 1963
    1899年京都鉄道工場製。旧京都鉄道は28 - 37。
  • ハ1964 - 1973
    1898年鉄道車両製造所製。旧七尾鉄道ハ5 - 14。
  • ハ1974 - 1992
    1897年山陽鉄道兵庫工場製。旧九州鉄道チ57 - 75。
  • ハ1993, 1994
    1896年鉄道車両製造所製。旧九州鉄道チ87, 88。
  • ハ1995 - 2003
    1895年阪堺鉄道工場製。旧九州鉄道チ93 - 101。
  • ハ2004 - 2023
    1898年豊州鉄道工場製。旧九州鉄道チ102 - 115。
  • ハ2004 - 2023
    1898年鉄道車両製造所製。旧九州鉄道チ116 - 121。
  • ハ1773 - 1776(2代)
    1893年山陽鉄道兵庫工場製。旧九州鉄道。ハ2191 - 2194(ハ2185形)を1916年10月に改造。

脚注

[編集]
  1. ^ この数は、日本の客車中、単一形式としてはオハ35形に次いで第2位である。