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利用者:Ks aka 98/第六回執筆コンテスト

審査基準

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コンテスト/コンクールの審査をするにあたって、おおよその基準を書いてみます。

コンテストはなんなのかというと、完全な記事へ向かって、とまでは言わなくとも、「よりよい記事へ向かう意思の具現化としての記事」を考え、競い合う場所だと思うんです。こういうのが「いい記事」だろう、と。

単純に記事そのものの質は、秀逸な記事や良質な記事として測られるものだと思います。そこでは、たとえば出典が示されていることが求められます。クリアしなきゃ、というのが秀逸な良質の選考で、じゃあ、その出典はどういうものが選ばれるのがいいか、探せばどういうものが見つかるのか、どういうスタイルで示すのが最善なのか、ということを考えるのがコンテスト。もちろん、ひとつに記事に集中して、それを高めることばかりがウィキペディアの発展につながるものではありません。そういう考えならば、コンテストに時間を費やすよりも、たくさんの良質な記事を書いてもいいし、良質な記事に至らないが十分読者の役に立つ記事を作ってもいい。そういう立場の執筆者を讃えるには、月間感謝賞があります。

では、いい記事とは何か、というのが問題になります。方針を満たしている、というレベルではなくて、ウィキペディアの方針や性質が導く世界最高の質という意味での。そして、そこに向かおうとしてはいるけれども、まだまだ不完全であるということを考慮した上での。そして、加筆されることへの配慮した上での。

学術的な研究の対象となってきている場合は、その項目で取り上げる内容を主題とする先行研究を総覧するべきでしょう。そういう対象となっていない場合は、その内容に言及している資料を網羅的に渉猟し、その信頼性を考え、事実と思われるものを抽出し、あるいは意見を意見として取り上げながら、記事の形にまとめあげなければなりません。項目によっては、方針を守りながら、相当の努力をはらっても、スタブ程度にしかならないものもあるし、その程度に留めておくべき場合もあるでしょう。

そして、その上で、様々な目的でその項目で何かを知ろうとしている読者の求めに応じる文章にしなければなりません。百科事典と言うのは、専門家が読むものではなく、その項目について十分な知識を持たない人が読むものです。ぼんやりとした好奇心から読むのかも知れないし、その項目自体への強い関心があるのではなく、関連する分野から必要に応じて知らねばならなくなったということもある。求められるのは項目全体のわかりやすい概要かも知れないし、その背景に横たわるものかもしれませんし、ほんの一箇所の記述かもしれません。(間違っていないことが期待されるなら)ウィキペディアを流し読みすれば足りるのかもしれないし、その記述の情報源を確認したいのかもしれません。そうした読者の様々な要求に、ある程度応える必要があります。学術の世界の先行研究に踏み込み、またその手続きを学び、同時に啓蒙的、教育的な配慮をも必要とする。世界最高の質の百科事典を書く上では、これならわかりやすいだけでは足りないし、学術の世界ではこうなっているというだけでも足りない、ということになります。

そうした世界最高の質の百科事典に向かう道筋は、ひとつではない。では、どうすればいいかということも、われわれは把握していません。記事の発展と同時に、われわれが見つけなければならないこともあるし、われわれが成長しなければならないこともある。たとえば、何年か前ならば、出典が示されているかどうかというのが、一つのポイントでした。今は、出典を付けなければならないということは、ずいぶん共有されるようになってきた。では、どういう情報源が良いか、どういうふうに示すのがよいか、ということにシフトする。ぼくは、普段の記事閲覧や、エントリを読み進めていくなかで、今のウィキペディア日本語版のありかたというものも考え、そこからのステップということも考えながら、総合的に評価をしたいと思っています。

記事についての各種の方針や内容的な充実、上で書いたような観点の他で判断の基準としているものとしては、

  • 百科事典としての、また日本語版で新規あるいは大幅加筆する上での「項目の選択」。書きたいものを書くというだけではなく、百科事典であるウィキペディアに必要な項目かどうか。紙の百科事典ではないウィキペディアにおいて新たに加えるべき項目かどうか。
  • 執筆する上で、何ができるか。項目の性質にも拠りますが、できそうなことに気付き、試みているかどうか。文章をわかりやすくということは、ごく基本的なことですし、どういう閲覧者がいるかなど読者を想定しての配慮も執筆時には考慮する必要があるでしょう。資料を見つけにくい分野ならば、NDLやciniiですんなり見つかるような情報源をスルーしていないか(もちろん、その分野で蓄積され、知られている先行研究はあるでしょうから、そうやって見つかるものは一部でしかないですけれど)。

などがあります。

総評として

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継続して、また新規に参加してくれる方もあれば、Wushiさんのように、前回はサポート的に加わった方が、自らエントリしてくれたりと、エントリーの数が安定して一定数を保っているのは、審査の苦労はありますが、喜ばしいことです。

情報量としては以前から大きな記事がありましたが、全体的に大きな記事が増えたように思います。また、情報源を明記することは、ずいぶん定着したように思います。加えて、必要とされる文献・資料を網羅的に、それも、ひたすらかき集めたというのではなく、信頼できる文献、主要とされる文献を通覧していると思われるエントリが複数出てきたというのは、重要な発展だと思います。分野Aでは、専門的な観点から書かれたと言えるような記事も登場しました。分野Cに並んだ3人のミュージシャン記事のように、この題材では百科事典の記事にするのは難しい、という記事が少なかったことも印象的です。

今回気になったのは、構成面でした。情報が増え、多面的に捉えようとすると、どのように整理するかということが問題となってきます。これはウィキペディアでは特に、制限がなく、中立的な観点に配慮し、また将来の加筆を考慮する必要があるために、「歴史」としての記述以外の節でも。ある程度時間に沿った記述を考えなければならないという困難があります。

簡単に全体を通読するような量でない記事では、最初に「概説」を置くことや、読み解く上で必要な情報をあらかじめ「背景」などで提示すること、目次から読者が必要とする記述に進めるような節見出しへの配慮が必要だと感じました。詳述する場所よりも前/上の記述では、読者が理解するための前提となる知識をまだ読んでいないというようなことも生じますから、文章の流れというのも大切です。これに対応しようとすると、全体の構成を組み上げるのが難しくなるということもあります。専門的な用語や固有名詞などには、簡便に「ふにふにであるほげほげ」と説明的な修飾をしたり、脚注で補足したりということで、読みやすさを得ておくということも考えられるでしょう。

実は、ウィキペディアでは構成の問題と言うのは、けっこうややこしいものとなりえます。量的な制限がなく、中立的な観点に配慮し、また将来の加筆を考慮する必要があるために、「歴史」としての記述以外の節でも。ある程度時間に沿った記述を考えなければならないという困難があります。それから、従来学問の対象となっていたものでも(むしろそのほうが?)、既存の研究は、しばしば「現在」と「当時」の評価や事情を区別していないところがあります。当時はどうだったか、いつ、現在のような評価に変わったのか、それはなぜで、誰が変えたのか、というような点に言及されていない。ウィキペディアでは、それを書いたほうがいい。だからこそ、ウィキペディアには可能性がある、とも言えるのですが。