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宗教文化における先天盲開眼[編集]

宗教文化において先天盲開眼は神、あるいは神を体現する人物が行う奇跡として、あるいは「再生」や「目覚め」を二重化した暗喩として扱われる。

新約聖書ヨハネ福音書(世界の名著『聖書』前田護郎訳,1968年,中央公論社)9章1-41節に、イエスの奇跡譚のひとつとして先天盲開眼がある。旅を続けるイエスと弟子達は道で乞食をしていた『生まれつきの目しい』を見る。弟子達がイエスに発した質問は、彼らが(ひいては当時の熱心な信仰者たち)が先天盲をどう見ていたかを物語っている。

「先生。目しいに生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか、この人ですか、両親ですか」[補 1]

ヨハネの描くイエスは弟子達に対し『この人が罪を犯したのでも両親がでもない。神のわざがこの人に現れるためである。わたしをつかわされた方のわざをわれらは日のあるうちにせねまならぬ』と答え、『地に唾(つばき)し、唾で錬粉(ねりこ)を作り、それを目しいの両目の上に』塗る。訳者前田は「唾液の効用は古来知られて」おり、このイエスの行為は「当時の治療の一つの形を示す」と注釈している(p.489。<註(2)>)。さらに『池へ洗いに行きなさい』と命じる("水による清め"。 <同.註(4)>)。目しいの男が言われた通りにすると開眼する(同,9.7節)。ここまでが奇跡譚であり、続く物語は開眼の持つ意味を表す。
開眼した男を見て驚いた人びとは彼をパリサイ人の所へ連れて行く。男は自分がされた事をそのまま申し述べる。パリサイ人がイエスを『(安息日を守らない)罪人』だと告げると、男は答える。

『(あの人が)罪びとかどうかは知りません。ただ一つのことを知っています。目しいであったわたしが今は見えることです』(9.25節)。『世のはじめから生まれつきの目しいの目を開いた人のことは聞いたことがありません。もしあの人が神からの出でなかったら、何もできなかったはずです』(32-33節)と彼は続けたため、追放に処される。

追放された男にイエスが会った時の言葉は先天盲開眼が暗喩となっている。

『イエスは言われた。「わたしは裁きのためにこの世にきた。見えぬものが見え、見えるものが目しいになるいために」と。』
(前田はこの節にイザヤ書の予言を注釈として付けている。『「神の報いが現れ、お前たちは救われる」、そのとき、目しいの目はあき、耳しいの耳は聞かれる。』(イザヤ書35.4-5節。p.490)
Achenheim StGeorges 35
Waldolwisheim StPancrace10
Sainte Odile - Dompeter
  • 聖女オディーリアの開眼伝説

後生、聖オディールフランス語版英語版ドイツ語版と呼ばれるようになるオディーリアは662年にアルザス地方の名門ホーエンブルグ公爵家に生まれたが、生まれつき盲目であった。娘の生来盲に失望した父親の公爵は娘を勘当した。信仰深い母親は娘を山奥の修道院に入れた。オディーリアが12才の時に洗礼を受けると目が見えるようになった。生来盲の娘が開眼したことを知った父親は、裕福な貴族との結婚話を進める。生涯を信仰に捧げることを望んだオディーリアは、逃げ出して谷間の岩の中にかくまわれたが、そのとき泉が湧きだし、そこにささやかな礼拝堂を679年に建てた。この泉が眼病に効くという「奇跡の泉」の伝説が広まると、聖オディール修道院は視覚障害をもつ巡礼者の聖地となった。オディールという洗礼名は「光の娘」という意味である。[1]
文豪ゲーテストラスブール大学生だった20代の前半、この聖地を何度も旅で訪れ、オディーリアの伝説に魅せられて、ついには晩年の作品『親和力』のヒロイン名をオッティーリエとした。[2]

 開眼術の歴史に追記用

青年時代のゲーテ(1773年)

(または原典直接参照) (モリヌークス問題が知識人の間で依然として関心をもたれていた、or トピックとなっていた時代18世紀-1775年)ゲーテは、そこひ手術の例を記している。ストラスブール大学時代に仲間だった医学生ヨハン・ハインリヒ・ユング(のちにシュティリングとして高名を馳せた眼科医)が、フランクフルトに招かれフォン・レルスナーの両眼手術を行った。角膜を切開し、軽く抑えるだけで濁った水晶体がひとりでに飛び出し、開眼する(*墜下法ではなく前方に取り出すものと思われる)術式で、すでにユングは何度も成功していたが、このときには水晶体を取り出すときの切断に無理があり、炎症を起こした。ユングは絶望し、自らを責めたという。一方で、イーゼンブルクから来たユダヤの老盲人乞食へ行った手術は、成功して、老人は大喜びでユングをまさにイエスの如く、神に遣わされた奇跡の人と大げさに讃えて立ち去ったという。 ゲーテはすでにストラスブールで何度もそこひ(白内障)手術を何回も見ていて、簡単な手術だと思っていたようだが、名手ユングの失敗と成功の両例を書きとどめた。 [3]




奇跡としての開眼(ギャラリー)

参考図書用

  • 永井彰子『聖人・托鉢修道士・吟遊詩人 -ヨーロッパに盲人の足跡を辿る-』海鳥社、2015年10月。ISBN 978-4-87415-955-2 

脚注・補[編集]

  1. ^ 訳者の前田は、「両親の罪」について出エジプト記20・5を参照するよう註をつけている。該当箇所はシナイ山で神がモーセ十戒を与える有名な章である。まず該当節の前に「おまえはわたし以外に他の神々があってはならぬ。」とした上で該当節の関連箇所は以下の通り。『おまえの神ヤハウェ、わたしは妬(ねた)む神であり、わたしを憎む者に対しては父祖の罪科を三、四代の子孫にまで報い』る。(世界の名著『聖書』中沢洽樹訳、中央公論社、1968)p,192
  1. ^ (永井彰子 2015)第一章。p.23、28、37
  2. ^ (永井彰子 2015)第一章。p.23、28、37
  3. ^ (永井彰子 2015)第一章。p.43 原典:ゲーテ『詩と真実 -わが生涯より-』(ゲーテ全集10,潮出版社、1980年)p.228-234