利用者:Law soma/自分の言葉で執筆してください
この文書は私論です。一部のウィキペディアンが助言や意見を記したものです。広く共有されている考え方もあれば、少数意見の見解もあります。内容の是非については慎重に検討してください。 |
この文書は、著作権の対象となっている言語の著作物を参考に、ウィキペディア日本語版において執筆する際の留意点について述べたものです。Wikipedia:原典のコピーはしないも参考にしてください。
法律や方針との関係
[編集]著作権の対象となっている言語の著作物である文章を、参考と称して、ほぼそのまま引き写す利用者が時折見受けられます。しかし、このような行為は著作権法により罰則規定も設けられている重大な不法行為です。刑事罰は親告罪ですが、民事で著作権者から損害賠償を求められることもありますので、絶対にしないでください。
そもそも百科事典を執筆するときに他人の著作物である文章をそのまま使用する必要性はありません。確かに方針にはWikipedia:独自研究は載せないというものがあり、複数の信頼できる検証可能な資料を参考として、その内容を記載すべきとされていますが、それは資料のそのままの引き写しを指すものではありません。貴方が資料の中身を十分に理解しているのであれば、別の表現で執筆することは十分に可能です。内容は資料のとおり、表現は自分の言葉、ということです。
資料にある文章の一部を改変したから大丈夫ということは決してありません。実際の判例でも、一部改変についてはケース・バイ・ケースで判断されていますので、安易な判断による執筆はやめてください。仮に訴えられた場合にリスクがある執筆は避けてください。
やむを得ず資料などの記述をそのまま記載する場合には、Wikipedia:引用のガイドラインを参考に、適切な「引用」をしてください。適切な引用は著作権侵害にはなりません。しかし引用と見なされるには、「主従関係の明確化」、「必要最低限」、「出典の明記」が必要です。資料に言及した自分の言葉よりも長い引用は主従関係にないと見なされるかもしれません。
このような資料との類似性について、他の利用者の方々からも検証してもらうためにも、出典を明記することは重要です。明記することにより、参考とした資料が検証可能かどうかに加え、著作権侵害であるかどうかの判断もできることになります。
ウィキペディア日本語版では、著作権侵害の虞がある執筆は削除対象となります。現在の方針としては、「著作権の目的とならない著作物(法令文、判決文)」、「偶然の一致」、「単なる事実のみの記述」、「誰が書いても同文になる内容」以外は削除されています。
自分の言葉とは
[編集]大学の外国語講義・講読などでは、時々、原典の単語を一切使用せずに感想文を書くことを求められることがあります。類義語が多いといわれる日本語において、それが不可能だとは想定しにくいことです。小学生の書く読書感想文が、しばしば読んだ本からの転載・粗筋が過半数を占めるものになりがちなのは、語彙力が不足しているからです。自分の言葉で書くということは、多くの語彙を自家薬籠中のものとして、他者の書いた内容を自分の中で咀嚼し、自分の選択し直した単語の組み合わせにより、新たに表現するということです。全ての執筆者に、それが求められています。そのためにも、出来るだけ多くの資料を参考として、特定の資料の表現しかあり得ないとは思いこまないようにしてください。
実例
[編集]- 出典での表現
当社は延喜二年に藤原何某が京都なんたら神社から御祭神を勧請し奉り創建されました。 その後、戦国時代に何山なんとかの守某が社殿を寄進し、以後近隣村落の総鎮守として崇敬されて今日に至ります。
- 悪い例(著作権侵害を疑われるケース)
本神社は延喜2年(902年)に藤原何某が京都なんたら神社から祭神を勧請し創建した。 戦国時代には、何山なんとかの守某により社殿が寄進され、以後近隣村落の総鎮守として広く信仰を集め現在に至っている。
- 良い例(おそらく著作権侵害とは見なされないだろうケース)
中世末期以降周辺集落の総鎮守として信仰されている。 社伝によると創建は延喜2年(902年)とされ、京都なんたら神社から藤原何某が勧請したと伝えられている。 戦国時代にはこの地の領主であった何山某が社殿を造営した。
類似表現に陥ることを避けるためには、執筆分野のウィキプロジェクトやポータルなどで示されている記事の体裁・フォーマットを利用することが考えられます。そのようなものがない場合には自分で定型表現のフォーマットを先に決めてしまうのです。