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利用者:Lonicera/事例23

主観に依存するため曖昧な定義[編集]

「ほげほげ」という概念があったとする。「ほにゃららというものはほげほげである」という枠組みが誰にでも受け入れられるならば、カテゴリや一覧へ記載することは問題がない。しかし、その「枠組み」の定義がしっかりしていないもの、主観に依存するものは、枠組みとして問題がある。概念としての単独項目はあっても構わないだろうが、そこに具体例を記述することは適当ではない。

たとえば、「打ち切り」という概念が存在している。これはある程度まで許容されることだろう。しかし、具体的に「この漫画は打ち切りになった」と、決めるのは誰だろうか。少なくとも作り手が「これは打ち切りになりました」と主張することはあまりないだろう。となると読者の推測で基準が定められることになる。読者の数だけ「その人なりの打ち切りに対する基準」が存在するため、「これは打ち切りとは言わないだろう」「そんなことはない、打ち切りだ」「なんだと」となり、編集合戦に発展する恐れがある。ならばそのようなものは記述するべきではなかろう。

これと似たものに、視聴率の問題がある。視聴率が振るわなかったから打ち切り、ということはあるにせよ、テレビ局も広告代理店も出演者も、表立って打ち切り、とは言えまい。また、「低視聴率」はどこからのラインにするのかという問題もある。「5%は低視聴率とは言わないだろう」「そんなことはない、低い低い」「なんだと」となる。逆もまた然り。大ヒット、という概念はあるにせよ、たとえば視聴率を何%獲得したら「ヒット」なのか。CDが何枚売れたら「ヒット」なのか。出版物が何部売れたら「ベストセラー」なのか。

脚注[編集]

  1. ^ 案件中で述べている「現代の名工」は厚生労働省が表彰するものという明確な定義がある。