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ディビチェンゾ指標(英:DiVicenzo criteria)とは、量子コンピュータを構成するための必要条件の一つ。2000年理論物理学者デビッド・ディビチェンゾが提案した7つの指標で構成される[1]。これらは、1980年代に数学者のユーリ・マニン[2]および物理学者のリチャード・ファインマン[3]が予想した量子コンピュータの原型「量子多体問題を解くなど、量子系を効率的に模倣する計算機」のために考案された。

現在、量子コンピュータの実現方法として多くの提案がなされているが、そのすべてが、量子デバイスを構築する上での諸課題に対して、異なるレベルでの成功を収めている。これらの提案は、超伝導イオントラップ核磁気共鳴光量子など多岐の物理系に渡り研究されている。いずれも見通しの良いものばかりだが、実用化を妨げる問題もある。

ディビチェンゾ指標は、量子アルゴリズム(例:Groverの検索アルゴリズムShor分解)を確実に実装するため、実験設定が満たすべき7つの評価指標で構成される。最初の5つは、量子計算自体に関するものであり、残りの2つは量子鍵配送で使用されるような量子通信の実装に関するものである。 計算速度さえ問題にしなければ、古典的コンピュータでもこの指標を満たすような設計を実現することは可能である。そのため、ディビチェンゾ指標を満たすような古典的計算の原理と量子計算の原理を比較することで、量子系特有の課題や量子超越性の本質を知ることもできる。

7つの指標[編集]

ディビチェンゾ指標によると、量子コンピュータを構築するためには、7つの指標に関する評価実験をすべてパスする必要がある。前半の5つは量子計算に関する要件を規定している。

  1. 良く特徴付けられた量子ビットを用いるスケーラブルな物理系
  2. 量子ビットを単純で忠実な状態に初期化できる機能
  3. 量子デコヒーレンスが起こるまでの緩和時間の維持
  4. 汎用的な量子ゲートの実装
  5. 量子ビットに特化した測定機能

後半の2つは量子通信についての要件である。

  1. 静止量子ビットと飛行量子ビットの相互変換
  2. 飛行量子ビットを指定された場所間で忠実に転送する機能

なぜディビチェンゾ指標なのか[編集]

ディビチェンゾは、量子コンピュータを構築するために多くの試みを行った後、彼の指標を提案した。以下では、7つの指標が重要である理由を例を用いながら説明する。

スケーラビリティ:良く特徴付けられた量子ビット[編集]

基本的に、どの量子計算モデルでも量子ビットの使用は必須になる。 量子力学的には、 量子ビットはエネルギー間隙を持った2準位系として定義されるが、これを物理的に実装することは難しい場合がある。そこで、原子レベルの粒子の遷移のみを考える。どの系を選択する場合でも、システムはほとんど常にこれら2つのレベルの張る部分空間に留まる必要がある。そうして初めて、量子ビットは良く特徴付けられている(well-characterized)ということができる。

良く特徴付けされていない量子系の例は、2つの量子ドットからなる2状態系である。この場合、ポテンシャル井戸は常にどちらか片方の電子によって占有されるため、1量子ビットとして適格な特徴を持つ。 ただし、ここでのようなシステムを考えると、これは2量子ビット系に対応する。一つの系が1量子ビット系としても、2量子ビット系としても解釈できるため、このような系は量子ビットを良く特徴付けていないと考えられる。 今日の技術は、1量子ビット系の正しい特徴付けはできても、任意の数の量子ビットを正しく特徴付けるまでには至っていない。 現在直面している最大の問題の一つは、より多くの量子ビットに対応するために、指数関数的に大きな実験装置を必要とすることにある。 量子コンピュータは、数の素因数分解のための古典的アルゴリズムを計算する際に、指数関数的な高速化が可能であることから注目された。しかし、もしこれが指数関数的に大きな実験設定を必要とする場合は、本来の利点が失われることになる。

たとえば、液体状態の核磁気共鳴(NMR)を使用した量子計算では、規模をマクロに増加させた系で初期化を試みるた場合、計算量子ビットが高度な混合状態で残り、初期化に失敗することが判明した[4] 。その後、これらの混合状態を計算に使用できる計算モデルが見つかったものの、今度はこれらの混合状態がより多くの量子ビットに渡れば渡るほど、量子測定に対応する誘導信号が弱くなることが分かった。この信号がノイズしきい値を下回っている場合、解決策はサンプルのサイズを(指数関数的に)増やして信号強度を上げることである。これが、量子計算の手段としての液体NMRの非スケーラビリティの原因である。 計算量子ビットの数が増えると、それらがもはや有用でなくなるしきい値に達するまで、良く特徴付けられないからである。

初期化と忠実度[編集]

量子計算および古典計算のすべてのモデルは、量子ビットあるいは古典的ビットによって維持される状態で演算を実行し、演算結果を測定および出力することに基づいているが、これは系の初期状態に依存する処理である。 特に、量子力学のユニタリ―性の性質により、量子ビットの初期化は非常に重要である。多くの場合、初期化は量子アニーリングにより、系を基底状態へ遷移させることで行われる。量子エラー訂正のように、特定の種類のノイズに対する頑健性を保証するための処理においては、パリティビットに対応する初期化済みの量子ビットを追加で必要とする。このような処理では初期化の速度に制限を課すことになる。 量子アニーリングの例は2005年のペッタらの論文に記載されている、二電子のベル基底を量子ドットを用いて準備したものである。 この手続きでは、まずT 1の時間だけ系をアニーリングし、量子ドット系の緩和時間T 2の測定に焦点を当てている。デコヒーレンス時間は初期化時間よりも短い。デコヒーレンス時間が初期化時間よりも短いことを考えると、基本的な障害となるであろうタイムスケール(ミリ秒)に対するアイデアを提供している[5]。初期化時間を短縮し、手順の忠実度を向上させるために、主に光ポンピング [6]を使用するなどの代替のアプローチが開発された。

量子デコヒーレンスの問題[編集]

量子デコヒーレンスは、大規模かつマクロな量子計算システムで発生する問題である。これは、量子計算モデル(重ね合わせまたは量子もつれ)によって使用される量子的なリソースを破壊する。平均ゲート時間よりも非常に長いデコヒーレンス時間が望ましいため、デコヒーレンスをエラー訂正または動的デカップリングと組み合わせることができる。 たとえば、ダイヤモンド-窒素空孔中心を使用した固体核磁気共鳴では、軌道電子のデコヒーレンス時間が短いために計算が困難になる。解決策として、窒素原子核のスピンによる量子ビットを符号化することでデコヒーレンス時間を長くする方法が提案されている。 量子ドットでは、環境効果の問題がデコヒーレンス時間T 2を制約する。 強い相互作用を通じて高速に操作するような系では、同様に強い相互作用によるデコヒーレンスの影響を受ける。このように、量子系のコントロールとデコヒーレンスとの間にはトレードオフの関係がある。

汎用量子ゲートの実装[編集]

一般に、アルゴリズムの計算可能性は、系に実装できるゲートの種類や数に制限される。これは、古典的計算と量子計算の両方に共通する性質である。量子計算の場合は、汎用量子コンピュータ(量子チューリングマシン)を何種類かの1入力/2入力量子ゲートの組み合わせだけで構成できることが知られている。良く特徴付けられた量子ビット、迅速で忠実な初期化、長いデコヒーレンス時間を持つ実験装置は、汎用量子ゲートを実装することができるコヒーレントな変更をもたらすために、系のハミルトニアン (総エネルギー)に影響を与えることができなくてはならない。幸い、特定のシステマティックノイズやランダムノイズのモデルに対してはいくつかの量子ゲートの組み合わせによって頑健性を高めることが知られているため[7]、量子ゲート単体を完璧に実装することにこだわる必要はない。液体NMRは、磁場パルスを正確なタイミングで与えることにより汎用ゲートを実装できる初期の実験装置として知られていたが、前述のように、この系は拡張性を満たさない。

量子ビットに特化した測定[編集]

量子ビットの状態に変更を加えるあらゆる処理について、最後の量子状態の測定が量子計算を行う上で必要不可欠になる。もし仮にある系が非破壊な射影測定をできるのであれば、原理的には同じ系を初期化に対しても適用できる。特に量子テレポーテーションなどの概念において、測定はすべての量子アルゴリズムの基礎となる。測定技術が100%の効率を持たない場合、通常は同じ計算を繰り返すことで成功率を高める。信頼性の高い測定機器の例は光学系の分野で発見されたホモダイン検出器で、検出器の断面を通過した光子の数を高い信頼度で計測することに成功している。一方で進行中の研究課題の例としては量子ドットの測定が挙げられ、一重項状態, )のエネルギー間隙を用いて2電子間の相対スピンを測定する方法などが提案されている[8]

量子情報の転送:静止量子ビットと飛行量子ビット[編集]

量子鍵配送などの量子通信プロトコルを検討する上では、静止量子ビットを飛行量子ビットに変換し、任意の地点へ転送できる機能が必要になる。たとえばBB84プロトコルでは、コヒーレントな量子状態と、エンタングルな量子ビットの相互変換を規定している。 実験機器で量子もつれ状態にあるビット対を生成する場合、これらの量子ビットは通常は巨視的な静止状態にあり、実験室から移動することはできない。 これらの量子ビットを光子の偏光に符号化するなどの方法で飛行量子ビットとして送信できる場合、エンタングルされた光子を第三者に送信し、それらにその情報を抽出させ、量子もつれ状態にある静止量子ビットを2つの離れた地点に残しておくことが考えられる。このとき、デコヒーレンスなしで飛行量子ビットを送信する方法が問題となる。 現在、量子計算研究所(Institute for Quantum Computing)では、量子もつれ状態にある光子対を生成し、その光子の1つを衛星で反射することによって世界中の他の地点に送信する研究を行っている。 現在の主な問題は、大気中の粒子と相互作用しながら光子が経験するデコヒーレンスである。 同様に、光ファイバーを使用する試みもいくつか行われているが、信号の減衰により、これが現実のものとなるのを防いでいる。

関連記事[編集]

参考文献[編集]

  1. ^ DiVincenzo, David P. (2000-04-13). “The Physical Implementation of Quantum Computation”. Fortschritte der Physik 48 (9–11): 771–783. arXiv:quant-ph/0002077. Bibcode2000ForPh..48..771D. doi:10.1002/1521-3978(200009)48:9/11<771::AID-PROP771>3.0.CO;2-E. 
  2. ^ Manin, Yu. I. (1980) (Russian). Vychislimoe i nevychislimoe [Computable and Noncomputable]. Sov.Radio. pp. 13–15. オリジナルの2013-05-10時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130510173823/http://publ.lib.ru/ARCHIVES/M/MANIN_Yuriy_Ivanovich/Manin_Yu.I._Vychislimoe_i_nevychislimoe.(1980).%5Bdjv%5D.zip 2013年3月4日閲覧。 
  3. ^ Feynman, R. P. (June 1982). “Simulating physics with computers”. International Journal of Theoretical Physics 21 (6): 467–488. Bibcode1982IJTP...21..467F. doi:10.1007/BF02650179. 
  4. ^ Menicucci NC, Caves CM (2002). “Local realistic model for the dynamics of bulk-ensemble NMR information processing”. Physical Review Letters 88 (16): 167901. arXiv:quant-ph/0111152. Bibcode2002PhRvL..88p7901M. doi:10.1103/PhysRevLett.88.167901. PMID 11955265. 
  5. ^ Petta, J. R.; Johnson, A. C.; Taylor, J. M.; Laird, E. A.; Yacoby, A.; Lukin, M. D.; Marcus, C. M.; Hanson, M. P. et al. (September 2005). “Coherent Manipulation of Coupled Electron Spins in Semiconductor Quantum Dots”. Science 309 (5744): 2180–2184. Bibcode2005Sci...309.2180P. doi:10.1126/science.1116955. PMID 16141370. 
  6. ^ Atatüre, Mete; Dreiser, Jan; Badolato, Antonio; Högele, Alexander; Karrai, Khaled; Imamoglu, Atac (April 2006). “Quantum-Dot Spin-State Preparation with Near-Unity Fidelity”. Science 312 (5773): 551–553. Bibcode2006Sci...312..551A. doi:10.1126/science.1126074. PMID 16601152. 
  7. ^ Green, Todd J.; Sastrawan, Jarrah; Uys, Hermann; Biercuk, Michael J. (September 2013). “Arbitrary quantum control of qubits in the presence of universal noise”. New Journal of Physics 15 (9): 095004. arXiv:1211.1163. Bibcode2013NJPh...15i5004G. doi:10.1088/1367-2630/15/9/095004. 
  8. ^ Petta, J. R.; Johnson, A. C.; Taylor, J. M.; Laird, E. A.; Yacoby, A.; Lukin, M. D.; Marcus, C. M.; Hanson, M. P. et al. (September 2005). “Coherent Manipulation of Coupled Electron Spins in Semiconductor Quantum Dots”. Science 309 (5744): 2180–2184. Bibcode2005Sci...309.2180P. doi:10.1126/science.1116955. PMID 16141370.