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利用者:Man who was ototoi/0

Origin[編集]

A croissant rising from unbaked dough
La Parisienne unbaked croissant

クロワッサンの先祖にあたるキプフェルが13世紀のオーストリアの文献にみつかり、当時はさまざまな形状をしていたことがわかる[1]。キプフェルは質素な食べ物で、ナッツがあしらわれるか他に何かを詰め込むということがある程度だった(ルガラー(Rugelach)と同じものだとみなす考えもある)。

The original Boulangerie Viennoise in 1909 (when it was owned by Philibert Jacquet). The bakery proper is at left and its tea salon at right.

クロワッサンそのものの誕生は、この素朴なキプフェルを下敷きに(パフ・ペーストによるものへと)進化した後である。ある程度正確な年代として遅くとも1839年には(1838年という説もある)アウグスト・ザングというオーストリアの砲兵将校がパリのリシュリュー街の92番地にウィーン風のパン屋 (ブーランジェリー・ヴィエノワーズ)を開いた[2]。この店ではビエナ・ブレッドやキプフェルなどの本格的なウィーンのパンを提供して、すぐに人気を集め、フランス人のなかには刺激をうけて模倣しようとする者が現れた。このフランス版のキプフェルに三日月(croissant)のかたちにちなんだ名前がつけられたのである。

A Kipferl, a precursor to croissants

アラン・デイヴィッドソンが編纂した「Oxford Companion to Food」によれば、20世紀のはじめより以前にはどのフランスの料理本にも今日のクロワッサンのレシピは見つかっておらず、フランスで最も早くクロワッサンについて言及されるのは1853年にアンセルム=ペイアンが書いた「食品の成分(Des substances alimentaires)」で、「夢のようなパンというか贅沢なパン」だとある。しかし初期のレシピは19世紀にはもうつくられている(バターを使わないのでパフ・ペーストが中心ではない)。1850年にはフランスのパンとして定着したクロワッサンについての記述が少なくとも1例あるからだ[3]

アウグスト・ザング自身は1848年にオーストリアへと戻り新聞王となるが、その後しばらくの間彼のパン屋は人気のままであったらしく、そのことが当時の文献には散見される。「このザンク氏(ママ)が1830年ごろ(ママ)、パリに有名なウィーン風パン屋を開いたのである」[4]。この店の製品を称える文章も複数みつかって、「パリといえば美食の街ですが、なかでもウィーン風パン屋が美味しいものをつくるのです」[5]、「リシュリュー街のウィーン風パン屋のものと同じぐらい素敵だと思えるほどの」[6]

1869年には朝食には欠かせないものとして真っ先に挙げられるほどよく知られたものになっている[7] 。そして1872年、チャールズ・ディケンズが(自分の主宰する「All the Year Round」誌で)

「労働者のパンはご家庭で、兵士のパンは配給で、可憐なクロワッサンはご婦人のテーブルで(the workman's pain de ménage and the soldier's pain de munition, to the dainty croissant on the boudoir table)」

と書いている[8]

現代の、パフ・ペーストが使われたクロワッサンはすでに17世紀後半には記録されている。フランソワ・ピエール・ラ・ヴァレンヌが1860年の著書「フランス料理人(Le Cuisinier François )」にレシピを載せている(おそらくもっと以前の版にも記述がある)。しかしこれは(ボローバンのように)中身を覆うために使われていて、今あるような典型的なレシピではない。クロワッサンそのものに使われているレシピは20世紀になってからである。

refereces[編集]

  1. ^ Jacob Grimm and Wilhelm Grimm, Deutsches Wörterbuch von Jacob Grimm und Wilhelm Grimm 11
  2. ^ The 1839 date, and most of what follows, is documented in Jim Chevallier, "August Zang and the French Croissant: How Viennoiserie Came to France", p. 3-30; for the 1838 date, see Giles MacDonogh "Reflections on the Third Meditation of La Physiologie du goût and Slow Food" (p. 8); an Austrian PowerPoint – Ess-Stile – gives the date of 1840 (slide 46). A 1909 image of the bakery shows the same date for its founding, but the bakery was already documented in the press before that.
  3. ^ Académie d'agriculture de France, Mémoires (Paris: Bouchard-Huzard, 1850) First Part, p. 588)
  4. ^ "Revue Moderne" or "Revue Germanique", 1861, p. 80
  5. ^ Chambers' Edinburgh Journal, 1847, p. 254.
  6. ^ Théophile Gautier, "Voyage en Russie", Charpentier, 1867, p.188
  7. ^ "Nouvelle revue théologique", Casterman, 1869, p. 161
  8. ^ "The Cupboard papers: VIII. The Sweet Art", November 30, 1872