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利用者:Masa hirota/sandbox

弘田信泰は土佐国の長宗我部元親の臣。信経の息子。香美郡の郷士。

元親の下、戦功を立て、永禄4年(1561年)に石立城を預けられた。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで戦役の結果、主家は没落した。一両具足の浦戸一揆が起こった際、信泰はこれに加わって殺された。

参考文献[編集]

阿部猛、西村圭子『戦国人名辞典』新人物往来社 1990.9.1 p.663