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塵袋(ちりぶくろ)は、鎌倉時代中期、文永末年から弘安四年(1274-1281)のころ成立といわれる問答体で書かれた片仮名書きの類書(百科事典形式のこと)である。著者未詳。和漢の故事や言葉の意味など620条について文献学的な語源随筆として書いたもので、天象・神祇・諸国・内裏(巻一),地儀・植物(巻二),草・鳥(巻三),獣・虫(巻四),人倫(巻五),人体・人事(巻六),仏事・宝貨・衣服・管絃(巻七),雑物(巻八),飲食・員数・本説・禁忌(巻九),詞字(巻十),畳字(巻十一)の24部から成る。今日に伝わる唯一の伝本は永正5年(1508)高野山の学僧・印融(1435-1519)が74歳のときに書写したもので、昭和46年6月22日に重要文化財の指定を受けた。
著者
[編集]菅原大江中原などの博士たち(黒川春村説)、観勝寺の真言僧良胤(岡田希雄説)、江家の正嫡筋(木村紀子説)など諸説ある。このうち、良胤説は壒嚢鈔の著者として知られる良胤について壒嚢鈔は塵袋を読みかえたものという前提で解釈するものであるが、壒嚢鈔は奥書に文安二-三年(1445-1446)年に書かれたことが観勝寺の僧行誉の自記によって明らかにされており、信憑性に疑問が持たれる(木村紀子の考証による。)
記述の特徴
[編集]「モロモロノヒガ事ハ一隅ヲマボルニアリ」という一説が本文中にあるように、語源随筆を書くにあたり現代的な民俗学の態度を重んじており、宮中人がわらう田舎びて崩れた地方の言葉遣いなどにも関心を払った。「ちりぶくろ」という和語の題名に象徴されるように、平易で口語的な日常言語(「ツネノココチ」)、特に素朴な実感の伴う和語について考察した。また子どもに対する想定問答にも似た素朴卑近な説きおこし方は、幼童教育を意図したものとも考えられる。
後世に与えた影響
[編集]文安三年(1446)年までに成立の壒嚢鈔(観勝寺の真言僧良胤あるいは行誉著)、ならびに天文元年(1532)までに成立の塵添壒嚢鈔(著者未詳)に転載されるなど影響を与えた。特に江戸期に入ってからは塵添壒嚢鈔が開版され、文人や学者などに教養書として珍重された。近現代では柳田国男が塵袋を参照したことが知られている。
参考文献
[編集]- 塵袋1・2 大西晴隆・木村紀子 校注 平凡社東洋文庫 723 725
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