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利用者:McYata/セリカ/日本語文献置き場

おそらくは綿製品と混同していると思われる[1]

それから進むと、さらにスキタイ人がおり、さらにまた野獣の住む荒れ地があり、ついにタビスと呼ばれる山脈に達するが、これは海に覆いかぶさる断崖をなしている。そして北東に面しているその海岸の全長のほぼ半ばを進んだ時に初めて人の住む地域がある。最初の人間居住者はセレスと呼ばれ、彼らの森から得られるあらゆる毛織物で有名だ。彼らは歯を見ずにつけた後、その白い綿毛を梳き取る。そして我が国の婦人たちに、その繊維をほぐし、さらに折り合わせるという二重の仕事を与える[1]

また彼らの島[注釈 1]のインドに面した側面は長さ一、二五〇マイルで、島はインドの南東に位しているということ、そしてヘモドス[注釈 2]を超えて中国人[注釈 3]の国にも相対していること、この中国人は交易によっても知られており、ラキアスの父親がそこへ旅行したことがあったが、そこへ到着するやいつも中国人が急いで浜へ下ってきて彼らを迎えると語った。彼らの話では、中国人は普通よりも背が高く、亜麻色の毛髪と青い目をしており、荒々しい口調でものを言い、旅行者と取引するときは言語を用いない[3]

プトレマイオスによれば、セリカはスキュティア・エクストラ・イマウム・モンテム(イマオン山脈の外側のスキュティア、以降「外スキュティア」と表記)の西にある[4]。北辺は西洋の地図の最北限トゥレシェトランド諸島)と同緯度圏(北緯63度)の線を境に未知の世界に接している[4][5][6]。東は経度180度(カナリア諸島を0度とする)の線を境に未知の世界に接し、南はガンジス川と外スキュティアの境を延長した線(北緯35度)を境にシナエと接しているとする[4]

(セラについて)これは長安洛陽蘭州武威北京などに比定される[7]

プトレマイオスはイッセドネス人をセリカにいる大部族とし、その首都としてイッセドンという都市を挙げている[8] 参考文献  

ローマインド関係 インドがわが帝国の富を吸い取ること五、〇〇〇万セステルティウスに満たぬ年はないこと、その見返りに送られてくる商品が、われわれに原価の一〇〇倍で売られていることを考えるならば、これは重要な問題である[9]

  • 織田武雄監修、中務哲郎訳『プトレマイオス地理学』、東海大学出版会、1986年。
  • 中野定雄,中野里美,中野美代 訳『プリニウスの博物誌』、雄山閣出版、1986年。
  1. ^ タプロバナ(セイロン島)。
  2. ^ ヒマラヤ山脈
  3. ^ 原本ではこの部分はServe、以降ではSeresと記されている。これらはいずれもセレス、中国人を指していると考えられる[2]。この引用内では中野(1986)の表記に従う。
  1. ^ a b 中野(1986)、258頁。
  2. ^ Plin., Nat. Hist. note 17, http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Plin.+Nat.+6.24&redirect=true#note17].
  3. ^ 中野(1986)、259頁。
  4. ^ a b c 織田(1986)、110頁。
  5. ^ 織田(1986)、iii頁。
  6. ^ 織田(1986)、15頁。
  7. ^ 織田(1986)、142頁。
  8. ^ 織田(1986)、111頁。
  9. ^ 中野(1986)、268頁。