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ヴィーナマールシューレ
[編集]ヴィーナマールシューレ(WIENER MALSCULEウィーン派アートスクールの意)《注1》はテンペラと樹脂油絵具を併用する「混合技法(Mischtechnikミッシュテクニック)」を、日本で初めて教えた学校である。1984年、ヴィーン幻想派のメンバーであるエルンスト・フックス に学んだイヌボウ・マリレ(MALEILE INUBO)は、東京の原宿表参道にヴィーナマールシューレを開設した。スタート時の講師はイヌボウ・マリレを筆頭に坂下広吉、鈴木和道の三人であった。3年後六本木に場所を移し、フィレンツェから帰国した川口起美雄が合流。カジ・ギャスディンが講師陣に加わり、1989年に閉校した。後年イヌボウ・マリレ はロシアへ移住。現在は相原みゆきが東京京橋にてヴィーナマールシューレの灯をともし続けている。
混合技法とは
[編集]混合技法とは独語 Mischtecnikの翻訳語である。マックス・デルナー(MaxDoerner)著「絵画技術体系」(美術出版社1980年)を翻訳した佐藤一郎の訳者序文に混合技法についての簡明な記述がある。
『マックス・デルナーは『テンペラ、油、樹脂を併用する「混合技法」(Mischtecnik)や、「混合白」(Mischweiß)という技法上の仮説を唱え、
しかもこの仮説によって、ジョット、ファン・アイク兄弟からティツィアーノ、レンブラントまでの技術をひとつの範疇にまとめた』。
『この混合技法に従い、たとえばJ・ファン・デル・ヴィケンはベルギーのゲントにあるファン・アイク兄弟による祭壇画のなかの紛失した
二枚の板画を模作したが、その出来栄えは優れたものである。その後、(中略)それはクレー、カンディンスキー、ディクス、そして
ヴィーン幻想派の画家たち、さらにライプツィヒのテュプケなどに脈々と流れている。またいわゆる現代美術の作家の作品にもこの混合技法
を拡大解釈した方向が認められる。』
混合技法は絵画技法としては最も基本的なものといえるが《注2》、実際に制作するには慎重さと忍耐が要求される。マックス・デルナーはこう述べる。『混合技法は万能ではなく、きびしい訓練と、最終目的が見究められる明確な思考と、手仕事の秩序に従う綿密さが要求される』。そしてさらに絵を描く者一人ひとりが『みずからの目的に合わせ、変えていかなればならない」と《注3》。かつて混合技法はフランドル技法と同一視されたこともあったが、今日ではフランドル技法は全く別の処方であることが明らかになっている。デルナー式ミッシュテクニックは亜フランドル技法と目され、ファン・アイク兄弟のような絵肌を合理的に可能とするものとして、日本にのみ存在する技法にすらなっている(注4)。
ウィーン幻想派から学んだ教師たち
[編集]ウィーン幻想派のメンバー(ルドルフ・ハウズナー、エルンスト・フックス、ヴォルフガンク・フッター、アントン・レームデン、エーリッヒ・ブラウアー)5人は、ともに1920年代の生まれである。第2次大戦後、アメリカを中心としてアンフォルメルが席巻する中、ウィーンにおいてそれまでにない傾向を備えた若い作家たちが出現した。1956年ウィーンの美術批評家ヨハン・ムシックが彼らを「ウィーン幻想リアリスム」と命名し《注5》、そののち世界中に迎えられることとなった。現在「ウィーン幻想派」は日本の教科書にも記載されている《注6》。日本では1972年、小田急百貨店、兵庫県立近代美術館、愛知県美術館を巡回する『神秘と夢幻のレアリスム」と副題のついた「ウィーン幻想絵画展」が開催され、描画手法すら解読できぬ絵肌とともに細密で繊細な表現に観る者は驚嘆させられた。その深甚な影響は年齢を問わず一群の日本の作家たちにおよび、3年の後に川口起美雄はオーストリア国立ウィーン応用美術大学に留学し、ウォルフガング・フッターから合技法を学んだ。さらに1979年、坂下広吉は国立ウィーン美術アカデミーでルドルフ・ハウズナーから、1981年に鈴木和道はウイーン応用芸術大学に留学し、ヴォルフガンク・フッターから混合技法を学んだ。なお校長のイヌボーマリレはウィーン応用芸術大学のゾンマセミナー(夏期講座)でフックスに学んでいる。
舞台としての青木画廊
[編集]画材の開発
[編集]ヴィーナマールシューレの作家たち
[編集]注釈
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- 《注1》WIENER MALSCULEの日本語読みはさまざまに考えられるが、ここでは開校時の名称、ビーナマールシューレを学校名として使用する。
- 《注2》「絵画技術入門」佐藤一郎訳(1988年美術出版社)
- 《注3》同書
- 《注4》「幻想レアリスムシューレ」 田中章滋
- 《注5》ウィーンの幻想レアリスム アルフレッド・シュメラー(ウィーン幻想絵画展カタログ所載)
- 《注6》「幻想レアリスムシューレ」 田中章滋