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利用者:Mitsuipan/sandbox

ITACHI(イタチ) ◇狂熱の“ライブハウス世代“最期のファンク・ロックバンドITACHI

まだインターネットもスマホも無く、カラオケもまだまだ普及していなかった1970年代前半…京都には今や伝説のライブハウスと言われる「磔磔」「拾得」が次々と開店し、関西音楽シーンはウエスト・ロード・ブルースバンド、憂歌団、サウストゥサウス、ファッツ・ボトル・ブルースバンド 等々のブルースバンドがライブバンドとして若い観客を動員し、まさしく「ライブハウス文化」の隆盛期となった。そして80年代。そのライブハウス育ちの第二世代が台頭してきた。 1980年に、所謂ライブハウス第一世代に影響を受けつつも独自の路線を模索しながら「ブルースよりもハードに。関西人の血はFUNKに通ずる…」とばかりにリズムセクションにホーンセクションを加えた8人編成の大型バンドを結成し、当時 京都は銀閣寺道にあったライブハウスとしては後発「サーカス・サーカス」で最も動員を誇ったバンドがITACHI(イタチ)である。 その後、大阪は今は無き「バーボンハウス」「バラード」そして、神戸「チキンジョージ」における当時の総動員記録を次々に塗り替え1981年から85年まで、毎月・京阪神のライブハウスでの百人以上の動員を誇ったのは今や伝説となっている。「ライブハウス生まれ〜ライブハウス育ち」を自称して憚らないITACHI。関西だけでなく東京ツアーでも大評判を呼びやがて「TOPS」として1986年メジャーデビューすることとなる。 ’90年代後半TOPSは解散するに至るがITACHIは解散した訳ではないと2003年再結成され、その後それぞれのシーンで音楽活動しているメンバーが再集結し「現在進行形のITACHIを観せる」をポリシーとして年に一度京都に集結してライブを敢行している。まさしく「狂熱のライブハウス世代」をいまだに体現しているITACHIは各界から注目され貴重な存在感をいまだに放ち続けているのである。ライブハウス世代最期のファンクロックバンド…あの時の熱さをあなたも体感できるバンド…それがITACHIである。

Writing by Peter・Bilingual