利用者:Miya/議論
この文書は私論です。一部のウィキペディアンが助言や意見を記したものです。広く共有されている考え方もあれば、少数意見の見解もあります。内容の是非については慎重に検討してください。 |
コミュニケーションが上手な人はよい記事を書ける
[編集]コミュニケーション能力がある人は良い記事を書く能力がある人です。こう断言すると不思議に感じる人がいるかもしれません。確かに、客観的なデータは何もなく、ただウィキペディアを眺めていて得た結論です。でも考えてみてください。良い記事を書くためには、他の信頼できる文献をいくつか調査し、理解し(すでに記事がある場合にはさらにそのことについても理解し)、自分の言葉でまとめ上げる作業が必要です。一方、良いコミュニケーションをとるためには、他人の意見を理解し、反論がある場合はその材料を探し、自分の言葉で意見をまとめ上げる必要があります。つまり、、読解力、理解力、表現力を備えた人が良い記事を書ける人であり、良いコミュニケーションをとれる人なのです。
逆にコミュニケーションをうまく行えない人の書く記事は何かしら問題があるかもしれません。自分の意見を自分の言葉で言えず他の人の言葉を借りる人は、記事を書くときにもコピー・アンド・ペーストをするかもしれません。自分の主張ばかりをして他の人の意見について聞く耳を持たない人は、記事にも個人的な主張を書いてしまいがちかもしれません。話が横道にそれやすい人は、記事も横道にそれやすいかもしれません。まあ、これも客観的なデータなんて何もありはしませんが。
良いコミュニケーションをとるには
[編集]では、良いコミュニケーションをとるにはどうしたらよいでしょうか。断言しましょう。私には分かりません。それが分かれば私は苦労しません。でも、良いコミュニケーションへ近づく道は見えています。それは何かというと良いコミュニケーションをとろうと意識することです。そして、考え、考えた結果を実践し、それを元に考える。これを繰り返すことです。このページでは、その結果、議論について今のところ見えていることを書きつづっていきます。
議論の構造
[編集]議論では伝えたいことである「主張」が必ずあります。主張は自分がを言いたいのかが伝わるものでなければなりません。しかし、ここですでにわかりにくいために相手に伝わらないことがあります。
主張だけあっても相手に受け入れられるわけではありません。そこで、相手に理解してもらうためにその主張の「根拠(理由)」をつけていきます。ここで、根拠は次の条件を満たす必要があります。
- 根拠は主張よりも相手にとって受け入れやすいものであること
- 根拠は主張へ導くものであること(主張とは違う方向へ進んでいかないこと)
- 根拠から主張へは飛躍しすぎないこと(飛躍しそうになるときはその間にも論証を入れていく)
理解しにくい主張では根拠がないか、根拠が不適切なものが多く見られます。
隠れた前提条件
[編集]主張があって根拠が主張へと導くものだと説明しました。では根拠はどこから出発するかというと、お互いが持っていると仮定する共通認識からです。これは普通議論の表面には長く議論が続いているもので議論がかみあわない場合、この隠れた前提条件から食い違っていることが多いようです。このような場合は前提条件のところからさかのぼって議論しなければなりません。でも、そこから議論するのは大変なので前提条件が食い違っていることを理解するだけで終わらせても価値あることだと思います。
相手に自分の主張が伝わらないと感じたら
[編集]相手に自分の主張が伝わらないと感じたら、相手を責める前にまず自分で出来ることをやっているかを確認しましょう。自分の説明が不十分なら、相手に伝わらないのが普通です。主張が明確かどうか、根拠が適切か確認しましょう。次に述べるパラグラフ構造も意識してみるといいと思います。
パラグラフ構造
[編集]要点だけ書きます。
- 一つのパラグラフには一つの主張または結論を書く。二つ主張があるときはパラグラフを分ける。
- 主張はパラグラフの先頭に書く。 - ウィキペディアの基本スタイルと同じ
- そのあとに主張につながる根拠を並べていく。
- パラグラフが長くなったときにはパラグラフの最後にもう一度主張を書く。 - これが以外と重要で、これが欠けているとき読む側の意識が根拠の方に気を取られて話がそれやすくなります。
最後に
[編集]ウィキペディアで行われる議論は「百科事典をつくるため」に行われる議論です。そのことを忘れずにいきましょう。