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セラハッティン・デミルタシュ Selahattin Demirtaş | |
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誕生 |
1973年4月10日(51歳) トルコ共和国 |
職業 | 作家、政治家 |
国籍 | トルコ |
ウィキポータル 文学 |
セラハッティン・デミルタシュ(トルコ語: Selahattin Demirtaş、1973年4月10日 - )は、トルコの政治家、作家。
経歴
[編集]トルコの東アナトリア、エラズーに生まれる。トルコの少数民族ザザ人にルーツを持つクルド系で、中学生の頃は近所に下士官が住んでいたことがきっかけで下士官に憧れた。高校生時代にサダム・フセイン政権下のイラク軍が化学兵器でクルド人を殺害したハラブジャ事件を知り、自身がクルド人であると意識するようになる。[1]。
1991年にディヤルバクルに行った際、誘拐・殺害されたクルド人の政治家ヴェダト・アイドゥンの葬儀のデモに参加する。このデモでは警察の発砲があり6名が死亡し、デミルタシュは進路が変わったと述べている。イズミール九月九日大学の学生時代にクルディスタン労働党(PKK)の青年組織メンバーであるとして拘束され、約1週間で釈放される。アンカラ大学法学部に入学して弁護士資格を取得し、政治犯の弁護を無料で請け負い、人権協会のディヤルバクル支部長としてクルド問題にも関わった。[1]。
2007年の選挙でディヤルバクルから無所属で立候補して当選し、国会議員となる。民主社会党(DTP)の会派代表代行に就任し、DTPの解体後は平和民主党(BDP)に参加して2010年に党首に就任する。2010年の総選挙でハッキャリ県から無所属で当選し、左派系政党が統合された国民民主主義党(HDP)に参加して2014年にフィゲン・ユクセキダーFigen Yüksekdağと共同党首となった。2014年のトルコ初の直接大統領選挙に立候補し、当選はしなかったが9.76%という予想外の得票率を得る。デミルタシュは清廉、誠実、温厚というイメージがあり、クルド系と左派系の有権者からの得票を集めた。2015年の総選挙ではHDPの政治家として立候補し、メディアに出演してサズを弾きながらの民謡や語り口で人気を集め、HDPは13.12%の得票率を得て政党としての議席を獲得した。[1]。
2015年総選挙で議席が過半数を割り込んだエルドアン政権は対テロ作戦を強化し、トルコ政府とPKKとの和平が頓挫した。この情勢でデミルタシュはPKKを明確に批判できず、支持者の一部を落胆させた。2016年にはテロのプロパガンダを行ったという罪状で、ユクセキダー共同党首と共に拘束され、エディルネ刑務所に服役している。刑務所にて声明の発信、インタビュー、執筆活動などを行い、2018年の大統領選挙にも立候補した。2019年の政治家の好感度調査では、服役中ながら第3位となっている。[1]。
作品
[編集]日本語訳書
[編集]- セラハッティン・デミルタシュ 著、鈴木麻矢 訳『セヘルが見なかった夜明け』早川書房、2020年。(原書 Selahattin Demirtaş (2015), Seher)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 柿﨑正樹「多数決型と多様性の間で揺れるトルコ民主主義――大統領選挙と大統領制導入問題」『SYNODOS』、SYNODOS、2014年9月、2024年9月3日閲覧。
- セラハッティン・デミルタシュ 著、鈴木麻矢 訳『セヘルが見なかった夜明け』早川書房、2020年。(原書 Selahattin Demirtaş (2015), Seher)
- 鈴木麻矢『訳者あとがき』。
- 山口昭彦 編『クルド人を知るための55章』明石書店〈エリア・スタディーズ〉、2019年。
- 石井啓一郎『ヤシャル・ケマル――クルドの血筋に生まれたトルコの「国民的文豪」のねがい』。
- 磯部加代子『灰から生まれる文学――クルド現代文学』。
- 澤江史子『トルコの「クルド系政党」――国内民主化と近隣国際紛争のはざまの試行錯誤』。
- 吉枝聡子『クルド語はどんな言葉か――クルド語のいま』。