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西山慶[編集]

西山慶(にしやま けい)は、日本の救急科医、循環器内科医、医学者。医学博士(2010年 京都大学)。

新潟大学 救命救急医学講座教授。新潟大学医歯学総合病院 救命災害治療センター長、集中治療部長(兼任)。福井大学客員教授。

日本救急医学会 評議員。日本集中治療医学会 社会保険対策委員長。

略歴[編集]

1989年3月 愛光高校卒業

1995年3月 京都大学医学部卒業

1995年4月 京都大学医学部附属病院 研修医

1997年4月 小倉記念病院 循環器内科

2004年4月 京都大学医学部 循環器内科 医員

2006年4月 京都大学医学部 初期診療・救急科 特定病院助教

2011年1月 同 講師

2015年12月 国立病院機構京都医療センター 救命救急センター長 就任

2016年4月 京都大学医学部 臨床教授(兼任 2021年3月迄)

2018年4月 京都府立医科大学 臨床教授(兼任 2021年3月迄)

2021年1月 新潟大学医歯学総合病院 救急救命医学分野 教授

2021年4月 福井大学学術研究院医学系部門 客員教授(兼任)

経歴[編集]

1995年に京都大学医学部を卒業後、1997年に小倉記念病院循環器内科にて延吉正清氏、木村剛氏らに師事。2004年に京都大学循環器内科に異動、2006年には初期診療・救急科の立ち上げに初代医局長として携わる。

資格[編集]

・日本救急医学会 指導医[1]

・日本集中治療医学会 専門医[2]

・日本循環器学会 専門医

日本人の人名に由来する医学用語の一覧[編集]

日本人の名前に由来する医学用語の一覧は、医学用語のうち日本人の人名に由来するものの一覧。

基準[編集]

原則:「医学用語辞典」(日本医学会)に掲載されている用語の中で、名称の由来について文献で明記されているものを採用した。

その他文献に記載のある用語についても出典を明記の上採用した。

疾患名については,WHOが公表している「疾病及び関連保健問題の国際統計分類(略称:国際疾病分類 ICD10)」よりICD10コード、医療情報システム開発センターが作成した「標準病名マスター」より管理番号を別途記載している。

用語一覧[編集]

・川崎病(Kawasaki disease)[編集]

・田原の結節(Tawara )[編集]

-発見者の田原淳(病理学者)から。田原はドイツに留学しマールブルグ大学で刺激伝導系の研究に従事した。

平野小体(Hirano body)[編集]

-アルベルト・アインシュタイン医学校神経学教授を務めた平野朝雄(神経病理学者)から

齋藤昭彦[編集]

齋藤 昭彦(さいとう あきひこ)は日本・アメリカの小児科医。小児感染症学を専門とし、日本人初の米国小児感染症専門医。医学博士。新潟大学医学部小児科学教授(2011年~)。新潟大学医学部副学部長。カルフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)小児感染症科 Associate Professor(2019年~)。東邦大学医学部客員教授。

略歴[編集]

1991年 新潟大学医学部卒業

1991年 聖路加国際病院小児科 レジデント

1995年 Harbor UCLA メディカルセンター アレルギー臨床免疫部門 リサーチフェロー

1997年 南カルフォルニア大学(USC)小児科 レジデント

2000年 カルフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)小児感染症科 クリニカルフェロー

2004年 UCSD Assistant Professor

2008年 国立成育医療研究センター 内科系専門診療部 感染症科 医長(その後、感染防御対策室室長、ワクチンセンター長を併任)

2011年 新潟大学大学院医歯学総合研究科小児科学分野 教授

2019年 UCSD Associate Professor

2020年 新潟大学医学部 副医学部長

人物[編集]

マックス・フォン・ペッテンコーファーによるコレラ自飲実験[編集]

1892年10月7日にマックス・フォン・ペッテンコーファーによって行われた自己実験である。ロベルト・コッホの学説に反対し、コレラ菌の培養液を自分で飲み干した。その大胆かつ危険な実験内容から自己実験の例として知られる。

経緯[編集]

コレラ菌の発見[編集]

1884年にロベルト・コッホがコレラ菌(comma bacilli)を単離し、コレラ菌に感染することでコレラを発症すると報告した。これにより

ハンブルクでの感染拡大[編集]

 1892年、ハンブルクとアルトナはどちらもエルベ川から水を利用していたが、浄水装置を整備したアルトナでは感染者がほとんどいなかったのに対し、ペッテンコーファーの指導の通り浄水せず貯水槽に水を溜めていたハンブルクでは8606人のコレラ死者が出ることとなった。川を挟んだ2つの街でコレラ死者数に大きな差が生じたにもかかわらず、さらにペッテンコーファーに友好的な医学者や行政がこの結果を隠蔽したため、最終的にハンブルクは総人口の1.3%を失うこととなった。これによりハンブルク行政もコッホ説を受け入れることとなった。

 ハンブルクの要請により当地を訪れたコッホが患者の隔離や浄水装置の設置を指示したところ、蔓延していたコレラや腸チフスの感染拡大は収束した。これにより瘴気説は急速に支持を落とし、ペッテンコーファーの名声は墜落することとなった。さらに同年10月のドイツ衛生法委員会においてコッホがペッテンコーファーを鋭く批難したことが決定的となった。

 コッホ側の学説では、細菌が単独でコレラの原因となることから、コレラ菌を生体に投与することでコレラを発症すると考えられていた。しかし動物実験では思うような結果は出ていなかった。最終的に人間に投与することで論争の決着がつくものの、コッホ側は倫理的側面から被験者への投与をためらっていた。ペッテンコーファーはこれに着目し、自らが被験者となることでコッホの学説が誤りであることを証明しようと思い立った。

実験内容[編集]

 実験の詳細は、後にペッテンコーファー自らにより1892年11月15日にミュンヘン医学雑誌に投稿された論文[3]、および同19日にLancet誌に投稿された英文要旨に記載されている[3]。 1892年10月7日に実験が行われた。100mlのコレラ培養液混合物(コレラ培養液1ml+炭酸水素ナトリウム1g+水)を用意した[4]。炭酸水素ナトリウムを加えたのは胃酸を中和することで胃酸のコレラ菌への影響を除外しようとしたためである。

弟子の何人かは自分たちを実験台にするように懇願したが、混合液を飲み干した。

その後の経過は、本人の日記で詳述されている。実験日の2日後(10月9日)に下痢、体の不調、腹部の不快感を訴えはじめた。下痢症状はその後も増悪し、14日まで継続した。この間、下痢の慢性化を防ぐため薬の服用を薦められたが拒否している。16日にはcomma bacilliの排泄が消失した。

飲用後の下痢症状について、ペッテンコーファーはコレラ菌が腸内ウイルスに影響を与えたことでコレラのような症状を引き起こしたのだろうと記載している。最終的にペッテンコーファーは約1週間の下痢を苛まれることとなったが、それ以外の主だった症状を認めず回復した。

このことから、comma bacilliはコレラを引き起こさないと結論づけた。

その後[編集]

また妻を亡くしてからうつ状態に陥り、1899年には全ての仕事を辞職した。1901年にピストルで頭部を撃ち抜いて自殺[5]

現代の評価[編集]

 「自説を検証するためにコレラ菌を飲んだ」という衝撃的な自己実験のエピソードから、コッホとのライバル関係も含めてユーモラスに紹介されることがある。また、細菌説の否定論者の代表としてペッテンコーファーが取り上げられることがある。しかし、現在コレラの蔓延は病原菌だけでなく生物学的要因・社会的要因などの複雑な相互作用によって引き起こされると報告されており、ペッテンコーファーのxyzモデルを公衆衛生学的に再評価する文献も存在する。また、xyzモデルにおいてコレラ菌はx因子の一つとして捉えられており、コレラ菌の病原性自体を否定したわけではない。

 ペッテンコーファーがなぜコレラ菌を飲んでも生存したのかについて、

山内豊明[編集]

山内豊明(やまうち とよあき)は、日本の看護学者[6]。放送大学文化科学研究科生活健康科学教授。日本で医師として勤務した後、留学先の米国で看護学を学び米国登録看護師免許、ナースプラクティショナー、看護学博士(Doctor of Nursing[注釈 1])を取得。帰国後、日本における看護教育学、特に看護アセスメント教育の普及、発展に寄与する。専門はフィジカルアセスメント学、看護教育学。名古屋大学名誉教授、新潟県立看護大学名誉教授[7]

略歴[編集]

1985年 新潟大学医学部医学科 卒業

1991年 新潟大学大学院医学研究科 博士課程終了 

1993年 カリフォルニア大学サンディエゴ校分子遺伝学研究センター

1995年 Pace大学看護学部入学 (コンバインド・ディグリー・プログラム)

1996年 同大学卒業 米国登録看護師免許取得

1997年 同大学大学院修士課程修了、ナースプラクティショナー免許取得

1998年 Case Western Reserve大学看護学部博士課程修了 ND(Doctor of Nursing)取得

2000年 大分県立看護大学 助教授

2002年 名古屋大学大学院医学系研究科基礎・臨床看護学講座 教授

2017年 放送大学大学院文化科学研究科生活健康科学 教授

業績[編集]

・Molecular cloning of a full-length cDNA for human α-N-acetylgalactosaminidase (α-galactosidase B):Biochem. Biophys. Res. Commun. 1989[8]

・看護基礎教育にフィジカル・アセスメントは必要か?:日本看護学教育学会誌 1998[9]

・《対談》医学・看護学の教育における評価--植村研一,山内豊明:Quality nursing 7(4) 2001

・Correlation between work experiences and physical assessment in Japan:Nursing and Health Sciences 2001[10]

・諸外国における看護職の医行為実施について (特集 医行為との境界線--ナースの静脈注射・除細動器使用・気管挿管をどう考える?):ナーシング・トゥデイ 2002

・臨床における知の体系: 医学と看護学における相同性と相違性:聖路加看護学会誌 = Journal of St. Luke's Society for Nursing Research 2004

・看護基礎教育における呼吸に関するフィジカルアセスメント教育のミニマム・エッセンシャルズ:日本看護科学会誌 2007[11]

・科学的根拠に基づいたケアを目指して:インターナショナルナーシング・レビュー 2008[12]

・看護教育の立場より:日本看護研究学会雑誌 2009[13]

・チーム医療の根幹--分かって,分かり合う (総合医学会報告 シンポジウム:チーム医療) 2009[14]

・フィジカルアセスメントを鍛える 看護師長がスタッフに伝える「患者を理解するためのフィジカルアセスメント」:看護管理 2009[15]

・フィジカルアセスメントの考え方と教育方略:看護教育 2009[16]

・患者の状態把握と「看護必要度」 (特集 看護師の"忙しさの実感"と看護必要度--急性期病院の看護師が「看護必要度」を活かすための課題) -- (看護必要度と現場感覚):イー・ビー・ナーシング 2010[17]

・情報収集とアセスメントのポイントとコツ:ハートナーシング 2010[18]

・「訪問看護」ならではのフィジカルアセスメントとは (特集 ご家族も一緒に! 在宅フィジカルアセスメント):訪問看護と介護 2013[19]

・デルファイ法による脳卒中患者に必要なフィジカルアセスメントの検討(第1報):脳神経に焦点をあてて:日本看護科学会誌 2015[20]

・教育現場が求める全身清拭の知識に関するミニマムリクワイアメントについてのデルファイ法による調査研究:ヒューマンケア研究学会誌 2016[21]

・新任看護系大学教員に必要な教育実践能力に関する質的研究 : ベテラン教員と新任看護系大学教員の意見に焦点をあてて:岐阜聖徳学園大学看護学研究誌 2019[22]

ソフトウェア[編集]

・看護のアイちゃん(訪問看護アセスメント業務支援システム)[23]

主な書籍[24][編集]

・遺伝子の地図帳(共著):西村書店1998年

・JCAHO医療における質改善入門(監訳):医学書院1999年

・老人ケアのガイド:身体の機能と心理・社会的側面(訳):西村書店1999年

・高齢者のヘルスアセスメント:自立生活支援への評価と解釈(監訳):西村書店2004年

・臨床病理病態学:メディカ出版 ナーシンググラフィカ 2004年

・フィジカルアセスメントのコツと落とし穴:中山書店2005年

・看護技術 目で見る事典 カラー版:西村書店2006年

・機能症候別アセスメントと看護ケア:医学芸術新社2008年

・ベイツ診察法ポケットガイド(訳):メディカルサイエンスインターナショナル2009年

・訪問看護アセスメントプロトコル:生命・生活の両面から考える(共著):中央法規出版2009年

・フィジカルアセスメントガイドブック:目と手と耳でここまでわかる第2版:医学書院2011年

・聴く技術:答えは患者の中にある(監訳):日経BP社 2014年

・山内先生のフィジカルアセスメント:患者さんのサインを読み取る!:エス・エム・エス・インプレスコミュニケーションズ2014年

・フィジカルアセスメントワークブック:身体の仕組みと働きをアセスメントにつなげる:医学書院2014年

・ベイツ診察法第2版(監修):メディカルサイエンスインターナショナル2015年

・医療安全:多職種でつくる患者安全を目指して:中央法規出版2016年

・疾病と治療(健康の回復と看護):メディカ出版 ナーシンググラフィカ 2018年

・まるごと図解心電図の見方:オールカラー:照林社2019年

・訪問看護アセスメントハンドブック:中央法規出版2020年発行・まんがでわかる みんなの遺伝子の謎(監訳):西村書店 2021年発行

・病態生理学第6版(疾病の成り立ちと回復の促進):メディカ出版 ナーシンググラフィカ 2018年

教育ビデオ[24][編集]

・フィジカルアセスメント:ビデオ・パック・ニッポン 2005年

・山内豊明教授のフィジカルアセスメント:ビデオ・パック・ニッポン 2006年

・人体の構造と機能:東京サウンド・プロダクション 2018年

連載[25][編集]

・見る 聴く 触るを極めよう! フィジカルアセスメント テクニック編(全24回):ナース専科[26]

・病態生理とケアがわかる フィジカルアセスメント(全27回):ナース専科[27]

・アセスメントの視点を養おう 山内先生のなるほど!レッスン(全18回):ナース専科[28]

・山内豊明先生が教える指導者のためのフィジカルアセスメント教室(全25回):看護展望[29]

・モヤモヤを吹き飛ばそう! 山内先生の公開カンファランス(全41回):ナース専科[30]

  1. ^ 救急科専門医名簿”. 日本救急医学会ホームページ. 2022年7月2日閲覧。
  2. ^ 専門医一覧|日本集中治療医学会”. www.jsicm.org. 2022年7月2日閲覧。
  3. ^ a b PETTENKOFER M v. (1892). “mit Berücksichtigung der jüngsten Cholera-Epidemie in Hamburg”. Münch med Wschr 39: 807-817. 
  4. ^ Howard-Jones, N. (1973-01-13). “Gelsenkirchen Typhoid Epidemic of 1901, Robert Koch, and the Dead Hand of Max von Pettenkofer” (英語). Br Med J 1 (5845): 103–105. doi:10.1136/bmj.1.5845.103. ISSN 0007-1447. PMC PMC1588772. PMID 20791863. https://www.bmj.com/content/1/5845/103. 
  5. ^ Wildner, Manfred; Schlipkoeter, Ursula (2001-09-01). “Max von Pettenkofer” (English). The Lancet 358 (9283): 765. doi:10.1016/S0140-6736(01)05923-2. ISSN 0140-6736. PMID 11556355. https://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736(01)05923-2/abstract. 
  6. ^ 山内 豊明”. KAKEN. 2022年1月19日閲覧。
  7. ^ 新潟県立看護大学. “客員教授の紹介|看護学部|学部・大学院|新潟県立看護大学”. www.niigata-cn.ac.jp. 2022年1月19日閲覧。
  8. ^ Tsuji, Shoji; Yamauchi, Toyoaki; Hiraiwa, Masao; Isobe, Toshiaki; Okuyama, Tsuneo; Sakimura, Kenji; Takahashi, Yasuo; Nishizawa, Masatoyo et al. (1989-09-29). “Molecular cloning of a full-length cDNA for human α-N-acetylgalactosaminidase (α-galactosidase B)” (英語). Biochemical and Biophysical Research Communications 163 (3): 1498–1504. doi:10.1016/0006-291X(89)91149-2. ISSN 0006-291X. https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/0006291X89911492. 
  9. ^ 山内豊明 (1998). “看護基礎教育にフィジカル・アセスメントは必要か?”. 日本看護学教育学会誌 8 (2): 52-53. ISSN 09167536. 
  10. ^ Yamauchi, Toyoaki (2001-12). “Correlation between work experiences and physical assessment in Japan”. Nursing and Health Sciences 3 (4): 213–224. doi:10.1046/j.1442-2018.2001.00091.x. ISSN 1441-0745. https://doi.org/10.1046/j.1442-2018.2001.00091.x. 
  11. ^ 惠美子, 篠崎; 豊明, 山内 (2007). “看護基礎教育における呼吸に関するフィジカルアセスメント教育のミニマム・エッセンシャルズ”. 日本看護科学会誌 27 (3): 3_21–3_29. doi:10.5630/jans.27.3_21. https://www.jstage.jst.go.jp/article/jans/27/3/27_3_3_21/_article/-char/ja/. 
  12. ^ 山内豊明 (2008). “科学的根拠に基づいたケアを目指して (特集 「根拠あるケア」に必要なマインドとスキル)”. インターナショナルナーシング・レビュー 31 (1): 18-21. NAID 40015791357. 
  13. ^ 山内, 豊明 (2008-04). “看護教育の立場より”. 日本看護研究学会雑誌 31 (1): 34–35. https://ci.nii.ac.jp/naid/10026503864. 
  14. ^ 山内豊明 (2009). “チーム医療の根幹--分かって,分かり合う (総合医学会報告 シンポジウム:チーム医療)”. 医療 : 国立医療学会誌 63 (8): 501-504. 
  15. ^ 山内, 豊明 (2009-07). “フィジカルアセスメントを鍛える 看護師長がスタッフに伝える「患者を理解するためのフィジカルアセスメント」 (特集 行動する看護師長–これからの臨床看護マネジメントの実践)”. 看護管理 19 (8): 608–616. https://ci.nii.ac.jp/naid/40016758012. 
  16. ^ 山内, 豊明 (2009-03). “専門分野1:フィジカルアセスメントの考え方と教育方略 (特集 カリキュラム改正に対応した教育方法(1))”. 看護教育 50 (3): 210–215. https://ci.nii.ac.jp/naid/40016474767. 
  17. ^ 山内, 豊明 (2010). “患者の状態把握と「看護必要度」 (特集 看護師の”. イー・ビー・ナーシング 10 (3): 535–537. https://ci.nii.ac.jp/naid/40017205701. 
  18. ^ 山内, 豊明 (2010-12). “情報収集とアセスメントのポイントとコツ (特集 脱・ルーチンワーク 見直そう!心疾患患者の看護計画)”. ハートナーシング 23 (12): 1240–1244. https://ci.nii.ac.jp/naid/40017394895. 
  19. ^ 山内, 豊明 (2013-04). “「訪問看護」ならではのフィジカルアセスメントとは (特集 ご家族も一緒に! 在宅フィジカルアセスメント)”. 訪問看護と介護 18 (4): 284–286. ISSN 1341-7045. https://ci.nii.ac.jp/naid/40019656015. 
  20. ^ 加藤, 広美; 山内, 豊明 (2015). “デルファイ法による脳卒中患者に必要なフィジカルアセスメントの検討(第1報):脳神経に焦点をあてて”. 日本看護科学会誌 35 (0): 82–89. doi:10.5630/jans.35.82. ISSN 0287-5330. https://ci.nii.ac.jp/naid/130005089303. 
  21. ^ 中川, 名帆子; 山内, 豊明 (2016). “教育現場が求める全身清拭の知識に関するミニマムリクワイアメントについてのデルファイ法による調査研究”. ヒューマンケア研究学会誌 7 (2): 1–9. ISSN 2187-2813. https://ci.nii.ac.jp/naid/120005667477. 
  22. ^ 中川, 名帆子; 山内, 豊明; 小西, 真人 (2019). “新任看護系大学教員に必要な教育実践能力に関する質的研究 : ベテラン教員と新任看護系大学教員の意見に焦点をあてて”. 岐阜聖徳学園大学看護学研究誌 = Journal of nursing research, Gifu Shotoku Gakuen University (4): 1–13. ISSN 2189-9525. https://ci.nii.ac.jp/naid/120006624372. 
  23. ^ フィジカルアセスメントの訪問看護 ソフトなら「看護のアイちゃん」訪問 看護 ステーション 立ち 上げにご活用いただけます。”. 看護のアイちゃん. 2022年3月27日閲覧。
  24. ^ a b CiNii Books 著者 - 山内, 豊明”. ci.nii.ac.jp. 2022年3月27日閲覧。
  25. ^ “[https://ci.nii.ac.jp/nrid/1000020301830 CiNii Articles 著者 -  山内 豊明]”. ci.nii.ac.jp. 2022年3月27日閲覧。
  26. ^ 山内, 豊明 (2008-10). “見る 聴く 触るを極めよう! フィジカルアセスメント テクニック編(最終回)高次脳機能 : 認知症のアセスメント”. ナース専科 = Nurse senka 28 (10): 88–91. ISSN 0285-0451. https://ci.nii.ac.jp/naid/40021296111. 
  27. ^ 山内, 豊明 (2011-01). “病態生理とケアがわかる フィジカルアセスメント : 症状別編(最終回)知覚障害”. ナース専科 = Nurse senka 31 (1): 52–55. ISSN 0285-0451. https://ci.nii.ac.jp/naid/40021298727. 
  28. ^ 山内, 豊明 (2014-02). “アセスメントの視点を養おう 山内先生のなるほど!レッスン(ラストレッスン・最終回)胸痛を訴える肺がんの患者さん”. ナース専科 = Nurse senka 34 (1): 54–58. ISSN 0285-0451. https://ci.nii.ac.jp/naid/40021299099. 
  29. ^ 山内, 豊明 (2012-09). “山内豊明先生が教える指導者のためのフィジカルアセスメント教室 : 必須知識・技術と指導のポイント(最終回)思考のプロセスを強化する”. 看護展望 37 (10): 924–930. ISSN 0385-549X. https://ci.nii.ac.jp/naid/40019418103. 
  30. ^ 山内, 豊明 (2017-10). “モヤモヤを吹き飛ばそう! 山内先生の公開カンファランス(最終回)胸部大動脈瘤の手術のために入院してきた70歳代の患者さん”. ナース専科 = Nurse senka 37 (10): 64–67. ISSN 0285-0451. https://ci.nii.ac.jp/naid/40021337401. 
  1. ^ 米国における看護学の博士号には、Ph.D、Doctor of Nursing Science、Doctor of Nursing Practice が存在する。

腫瘍内科医[編集]

腫瘍内科医(Oncologist)とは、悪性腫瘍に対する総合的・臓器横断的な治療、特にがん薬物療法を専門とする臨床医の名称である。

歴史[編集]

化学療法の始まり[編集]

 第二次世界大戦中にマスタードガスに曝露した兵士が骨髄抑制をきたした事件を機にイェール大学のMilton Winternitzを中心としてマスタードガスが人体に及ぼす影響について研究が開始された。 1943年に胸部外科医のGustaf Lindskogが非Hodgkinリンパ腫の患者にナイトロジェンマスタードを投与し、一時的ではあったが腫瘍の縮小を認めた。当時マスタードガスが機密情報であったため、この成果が公表されるのは戦後の1946年になってからであるが、薬物により癌を制御できる可能性を示唆した初の症例報告となった。

 1948年にはハーバード大学ボストン小児病院のSidney Farberらによって葉酸拮抗剤アミノプテリン(メトトレキサートはこのアミノプテリンの誘導体)の投与による小児急性白血病の寛解例が報告され[1]、近代的な化学療法が広く知られることとなった。1950年代には6-チオクアニン、6-メルカプトプリン、さらに5-FUといった代謝拮抗剤が開発され、固形がんへと適応が拡大した。

1964年にArnoldus Goudsmit、 Fred J. Ansfieldら7人の医師により米国臨床腫瘍学会(ASCO)が設立された[2]。1972年には腫瘍内科が内科サブスペシャリティ領域として認定され[3]、1997年の米国専門医試験では腫瘍内科(Medical Oncology)は循環器、消化器に次ぎ内科で3番目に新規専門医取得者の多い[3]分野となった。

日本における歴史[編集]

専門医制度の変遷(日本)[編集]

日本では2002年の日本臨床腫瘍学会が設立され、2005年には同学会のがん薬物療法専門医試験が行われた。

また、日本内科学会に腫瘍内科領域を確立することを目的とし2008年に大学教員等を中心とした「腫瘍内科の在り方検討会」が発足。これを前身として翌年に腫瘍内科医会が正式に設立された(初代代表:石岡千加史 東北大学教授)。

  1. ^ Farber, Sidney; Diamond, Louis K.; Mercer, Robert D.; Sylvester, Robert F.; Wolff, James A. (1948-06-03). “Temporary Remissions in Acute Leukemia in Children Produced by Folic Acid Antagonist, 4-Aminopteroyl-Glutamic Acid (Aminopterin)” (英語). New England Journal of Medicine 238 (23): 787–793. doi:10.1056/NEJM194806032382301. ISSN 0028-4793. http://www.nejm.org/doi/abs/10.1056/NEJM194806032382301. 
  2. ^ American Society of Clinical Oncology -Founders”. 2022年2月16日閲覧。
  3. ^ a b Kennedy, B. J. (1999-12-01). “Origin and evolution of medical oncology” (English). The Lancet 354: SIV41. doi:10.1016/S0140-6736(99)90384-7. ISSN 0140-6736. PMID 10691454. https://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736(99)90384-7/abstract.