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利用者:Naokijp/sandbox/七観音古墳

七観音古墳
七観音古墳
所属 百舌鳥古墳群
所在地 大阪府堺市堺区旭ヶ丘北町5丁
位置 北緯34度33分24.45秒 東経135度28分46.6秒 / 北緯34.5567917度 東経135.479611度 / 34.5567917; 135.479611 (七観音古墳)座標: 北緯34度33分24.45秒 東経135度28分46.6秒 / 北緯34.5567917度 東経135.479611度 / 34.5567917; 135.479611 (七観音古墳)
形状 円墳
規模 墳丘径32.5メートル
埋葬施設 不明
出土品 円筒埴輪、蓋型埴輪
築造時期 5世紀前半
史跡 国の史跡:百舌鳥古墳群を構成する古墳の一つ
地図
七観音 古墳の位置(大阪府内)
七観音 古墳
七観音
古墳
大阪府内の位置
地図
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七観音古墳(しちかんのんこふん)は、大阪府堺市堺区旭ヶ丘北町5丁の大仙公園内に所在する円墳である。百舌鳥古墳群を構成する古墳の1つで、上石津ミサンザイ古墳履中天皇陵)の陪塚とされ、国の史跡に指定され、世界文化遺産 百舌鳥・古市古墳群 -古代日本の墳墓群- の構成資産の一部として登録されている。

概要[編集]

大仙公園の南出入口にあり、上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵)の北側の外濠から約40メートルの位置にある円墳である[1]。上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵)の陪塚と考えられ、当古墳の西側の七観山古墳、東側の寺山南山古墳とともに、陪塚群を構成している[2]。墳丘の裾周り部分の発掘と、残存していた墳丘の形状と規模から直径32.5メートルの円墳と考えられる[2]。本古墳の出土物として、碧玉製の琴柱(ことじ)形石製品が知られるが、明治時代には七観音古墳と、寺山南山古墳の名称が混乱し用いられていたため、本出土物が本古墳から出土したかが特定できない[2]。名称の混乱の一例としては、1915年(大正4年)の『百舌鳥耳原三御陵』の図に、本古墳のことを「寺山」と記している[3]。濠の輪郭や堆積層は検出されておらず、築造当初から周濠は設けられていないと考えられる[1]。埋葬施設については未調査で不明だが、発掘調査時に円筒埴輪などが出土し、それらから築造年は、上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵)とそれほど違わないと考えられる[2]。 現状は、大仙公園整備事業による古墳整備によって、墳丘裾周囲に鉢巻状の土留めがあるが、本来の古墳の形状とは異なる[1]

規模[編集]

古墳の規模は以下の通り[1]。(発掘調査に基づく推定規模)

  • 墳丘径 - 32.5メートル。
  • 墳丘高さ - 3.8メートル。

調査概要[編集]

  • 1983年(昭和58年)5月に、大仙公園整備に伴う古墳整備工事計画による測量、発掘調査が行われた[4]
    • 測量調査で、現状において直径27.5メートル、高さ3.25メートルで、墳丘は2段の平坦面がある、三段築成であるが、平坦面が広すぎること墳頂部が小さ過ぎることから、後世で改造・変形された可能性が高い。古墳直近の南北には池があり、方形に区画された畑もあり、地表からは周濠を示すような名残は確認できない[5]
    • 発掘調査では8箇所のトレンチ(No1 - 8)が、古墳周囲に設けられた[5]
      • No1 - 3トレンチ - 墳丘裾、濠の検出を目的とした。
        • No1トレンチ - 地層が12層が検出されたが、東側は後世での撹乱を受けていた。しかし、東端で地山を検出し、濠の下端を示す可能性が考えられた。1 - 7層は、墳丘構成土の可能性が高いが盛土の単位が荒かった。
        • No2トレンチ - 掘削した範囲全域で後世の撹乱があり、2層は葺石と考えられるを含んでいた。4層の北半分から地山が下がり、墳丘の端の可能性が高い。
        • No3トレンチ - 3 - 11層で濠状の落ち込みを検出し、葺石と考えられる礫を多く含んだが撹乱されたものであった。
      • No4トレンチ - 掘削した範囲全てで、後世で撹乱されていたが、4層で葺石と考えられる礫を含んでいた。
      • No5 - 8トレンチ - 墳丘の位置を検出することを目的とした。
        • No6トレンチ - 3 - 11層が墳丘構成土の可能性が高く、10層の西端より西側に地山が確認され、その標高が下がらないことから濠はトレンチの外側にあると考えられた。
        • No7トレンチ - 1 - 8層・10 - 17層が墳丘構成土の可能性が高く、トレンチ西端の地山の標高が、盛土直下の標高と比して上がることから、濠はトレンチの外側にあると考えられた。
        • No8トレンチ - 墳丘構成土を検出し、1 - 34で検出した盛土は、非常に細かく、31 - 34層ではレンズ状の体積を確認した。35 - 38層で盛土は粗く、水平に堆積し、古墳築造前の旧地形を構成する堆積土の可能性が考えられた。39層は地山で、ほぼ水平に推移していた。
出土遺物として、円筒埴輪、蓋型埴輪が出土した。円筒埴輪は、すべて土師質焼成であった[5]。また、19世紀陶磁器が出土し、古墳が改造・変形された時期を示す可能性が高い。今回の発掘調査による結果を踏まえ、本古墳を推定復元すると直径32.5メートルの円墳となるが、濠の明確な肩や堆積物は一切確認できなかった。盛土直下の各トレンチの地山標高差は、0.45メートルとわずかのため、古墳築造当初より明瞭な周濠が設けられていない可能性が考えられる[5]。出土遺物は復元や外面調整などの観察が困難であり、これらから古墳築造時期を特定するのが困難であった。近接する寺山南山古墳からの出土品の円筒埴輪と比較すると、寺山南山古墳と同時期、あるいは、やや下る築造時期が考えられた[5]

出土品[編集]

当古墳関連遺物として、碧玉製の琴柱形石製品が出土したと記録に残るが、東側の寺山南山古墳から出土した可能性がある[2]

発掘調査により円筒埴輪、蓋型埴輪が出土している。

文化財[編集]

国の史跡[編集]

史跡:百舌鳥古墳群を構成する19古墳のうちの一つとして、史跡に指定されている。

世界遺産[編集]

2019年(令和元年)7月6日に世界文化遺産 百舌鳥・古市古墳群 -古代日本の墳墓群- を構成する百舌鳥古墳群の構成資産の一部として登録されている[9][10][11]

交通アクセス[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 七観音古墳”. 堺市役所 文化観光局 文化部 文化財課. 2021年11月19日閲覧。
  2. ^ a b c d e 古墳群 2008, p. 38.
  3. ^ 古墳群の調査1 2008, p. 14.
  4. ^ 古墳群の調査1 2008, p. 15.
  5. ^ a b c d e 古墳群の調査1 2008, p. 16.
  6. ^ 百舌鳥古墳群/史跡名勝天然記念物/国指定文化財等データーベース”. 文化庁. 2021年11月18日閲覧。
  7. ^ 御廟山古墳内濠”. 堺市役所 文化観光局 文化部 文化財課. 2021年11月20日閲覧。
  8. ^ ニサンザイ古墳内濠”. 堺市役所 文化観光局 文化部 文化財課. 2021年11月20日閲覧。
  9. ^ 世界遺産/文化遺産オンライン”. 文化庁. 2021年11月14日閲覧。
  10. ^ 世界遺産/百舌鳥・古市古墳群―古代日本の墳墓群/国指定文化財等データベース”. 文化庁. 2021年11月14日閲覧。
  11. ^ 百舌鳥エリア古墳リスト/百舌鳥・古市古墳群”. 百舌鳥・古市古墳群世界遺産保存活用会議. 2021年11月14日閲覧。

参考文献[編集]

  • 『百舌鳥古墳群 -堺の文化財- 第7版』堺市文化観光局文化部文化財課 編集・発行、2014年。 
  • 堺市生涯学習部 文化財課 編『百舌鳥古墳群の調査1』堺市教育委員会、2008年3月31日。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]