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大浦天主堂 | |
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大浦天主堂 | |
情報 | |
用途 | 教会 |
着工 | 1862年 |
竣工 | 1864年 |
開館開所 | 1865年2月19日 |
改築 | 1875-1879年 |
所在地 | 長崎県長崎市南山手町5-3 |
座標 | 北緯32度44分3.0秒 東経129度52分12.5秒 / 北緯32.734167度 東経129.870139度座標: 北緯32度44分3.0秒 東経129度52分12.5秒 / 北緯32.734167度 東経129.870139度 |
文化財 | 国宝 |
指定・登録等日 |
1933年1月23日:旧国宝(現行法の重要文化財に相当)指定 1953年3月31日:国宝(文化財保護法)指定 |
大浦天主堂 | |
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カトリック大浦教会 | |
所在地 | 長崎県長崎市 |
国 | 日本 |
教派 | カトリック教会 |
歴史 | |
創設日 | 1865年2月19日 |
創設者 | ベルナール・プティジャン |
大浦天主堂(おおうら てんしゅどう)は、長崎県長崎市南山手町にあるカトリックの教会堂である。広義においては、天主堂や関連建築物、および、その敷地の「大浦天主堂境内」のことを意味する。天主堂の正式名は日本二十六聖殉教者聖堂で、1864年(元治元年)に建てられ、現存するキリスト教建築物としては日本最古であり、国宝に指定されている[1]。約250年におよぶキリシタン禁制、迫害の中で存在した隠れキリシタンを発見した「信徒発見」の場所としても知られる。敷地内には、他に旧羅典神学校(国の重要文化財)、旧長崎大司教館(県指定有形文化財)などの建築物がある[2]。敷地は、「大浦天主堂境内」として国の史跡に指定されている[2]。ユネスコの世界遺産(文化遺産)の「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を構成する資産「大浦天主堂」として、大浦天主堂境内と大浦天主堂、旧羅典神学校の2棟が登録されている。また南山手伝統的建造物保存地区の選定地区内に大浦天主堂境内が含まれている[3]。
概要
[編集]名称
[編集]大浦天主堂の正式名は「日本二十六聖殉教者聖堂」であるが、由来は、豊臣秀吉によるキリシタン禁教令によって捕縛されたのち、1597年(慶長元)に、長崎市西坂で磔にされ殉教した日本二十六聖人に捧げられた教会堂であり、殉教地の長崎市西坂に向けて建てられているためである[4]。また、「大浦天主堂」とよばれるのは、中華人民共和国で「天主」とは、「神」を意味し、「天主教団」はカトリック教を意味する。かつて日本においても同様に宗教法人名は「天主教団(公教団)」という漢字を使用していたため、戦前に建てられた教会は天主堂と呼ばれている[5]。大浦天主堂は、国宝に指定されているが、指定名称も「大浦天主堂」である[6]。
立地
[編集]大浦天主堂境内は、長崎市市街地の南側に位置する南山手町にある安政6年(1859年)から新しく造成された外国人居留地内に立地し、斜面を上中下段の三段に造成したキリスト教礼拝施設の境内となっている[7]。現在、境内は国の史跡に指定され、隣接するグラバー園などとともに、国の重要伝統的建造物群保存地区「長崎市南山手」に選定されている。
建築物
[編集]現在、大浦天主堂境内に以下の建築物が存在する。
- 大浦天主堂
- 旧羅典神学校
- 旧長崎大司教館
- 旧伝道師学校
大浦天主堂
[編集]1864年(元治元年)に建てられ、外観は3つの塔があるゴシック風で、正面上部に仏教寺院の扁額のような「天主堂」の文字が記され、内部は3廊式の構造であった[8]。設計者、施工者ともに不慣れなため、構造的欠陥があり、特に八角小塔は構造上無理に取り付けられていたため、建築2年後の台風で、崩壊、もしくは大損傷を受けたため取り除かれている。そのため創建時の天主堂の形態は2年程度しか保たれておらず、荒廃が進んだと考えられる[9]。
建築は小山家が請け負った。経緯としては、小山家は、天草諸島の下島の富豪で、外国人居留地で住宅、商店、倉庫などの建築請負を手掛けていたからである[10]。天主堂建築資金の寄進者名には、ナポレオン3世の皇后のウージェニー・マリー、フランス東洋艦隊司令長官でジョレース少将の名があったとされる。[11]
2016年(平成28年)にローマ教皇庁典礼秘跡省により、日本初の「小バシリカ」の称号が与えられた[12]。小バジリカは、「教皇が推奨する特定の歴史的、芸術的、典礼・司牧的に重要で、活気に満ちた信仰共同体の中心となっている教会」のことで、2016年4月時点で、世界に約1740存在するが、日本では大浦天主堂のみである[12][13]。
観光客の増加に伴い、1975年(昭和50年)に、天主堂に登る石段横の隣接地にカトリック大浦教会が建てられ、毎日のミサは大浦教会で行われている[注釈 1]。
歴史
[編集]- 1862年(文久2年)
- 1863年(文久3年)8月 - プティジャン神父(後に司教)が長崎に着任。フューレを補助し、天主堂建設に尽力。
- 1864年(元治元年)12月29日、大浦天主堂が竣工。
- 1865年(元治2年)
- 2月19日(1月24日)- 献堂式を挙行。二十六聖殉教者堂と命名。大浦天主堂は日仏修好通商条約に基づき、フランス人の礼拝堂として建設され、教区長ジラールが宣教師プティジャン、ロカーニュを従え、献堂式を執り行った[注釈 4]。献堂式には居留外国人を含め、長崎港に停泊中のフランス、ロシア、イギリス、オランダの艦長がそれぞれカトリック信者の水兵数名を従え参列した[14]。建築設計はフューレ、プティジャンの2名によるもの。建築施工は天草御領島出身の小山秀之進(秀)が大工棟梁として施工[15]。建築様式は3本の塔を持つゴシック風の構造ながら、正面中央の壁面はバロック風で、外壁はなまこ壁という特殊な意匠であった。
- 3月17日(2月12日)- 浦上の潜伏キリシタンが大浦天主堂を訪ね、プティジャン神父に密かに信仰者であることを名乗る(信徒発見)。
- 1868年7月26日(慶応4年6月7日) - フランス人神父ド・ロがペルーズ号で来航し、大浦天主堂に入る。ド・ロ神父は大浦天主堂で「教会暦」、「聖教日課」を石版印刷した(これは日本初の石版印刷である)。
- 1875年(明治8年) - 1879年(明治12年) - 天主堂の大規模な増改築を実施。
- 1891年(明治24年) - カトリック長崎司教区(現・カトリック長崎大司教区)の司教座聖堂
- 1933年(昭和8年)1月23日 - 当時の国宝保存法に基づき国宝(旧国宝:現行法の重要文化財に相当)に指定[19]。
- 1945年(昭和20年)8月9日 - 長崎市への原爆投下によって破損したが、爆心地から比較的離れていたため倒壊・焼失は免れる。
- 1952年(昭和27年) - 修理が完了。
- 1953年(昭和28年)3月31日[20] - 文化財保護法に基づき国宝に指定された(洋風建築としては初の国宝指定)。
- 1962年(昭和37年)
- 1965年(昭和40年)
- 1975年(昭和50年)11月3日 - 新築のカトリック大浦教会が完成。
- 大浦天主堂を訪れる観光客数が増加したため、ミサの最中に観光客が見物に入るなど、天主堂内での典礼の進行に支障をきたすようになってきていた。そこでカトリック信者および観光客双方に配慮し、大浦天主堂に隣接する土地に新たに大浦教会を建設。これによって観光客が信者に気兼ねなく大浦天主堂を見物しやすくなった。
- 2007年(平成19年) - 建立当初の設計図(平面図と側面図)がパリ外国宣教会本部古文書局の保管資料から発見される[16]。
- 2016年(平成28年)- 教皇庁典礼秘跡省長官ロベール・サラ枢機卿による4月26日付公式文書により、日本初の小バシリカとなる。
- 2018年(平成30年)- バーレーンのマナマで開催された第42回世界遺産委員会で世界遺産リストへの記載が決定した。
信徒の発見と大浦天主堂
[編集]建立まもない天主堂は「フランス寺」と呼ばれ、美しさと物珍しさから付近の住民たちが多数見物に訪れていた。プティジャン神父には「今でも何処かでカトリック教徒が密かに信仰を伝えているのではないか」という僅かな期待があった。
1865年3月17日(元治2年2月12日)、浦上(長崎市)の住民十数名が天主堂を訪れた。そのうちの40~50歳くらいの女性がひとり、祈っていたプティジャンに近づき、「私どもは神父様と同じ心であります」(宗旨が同じです)と囁き、自分たちがカトリック教徒であることを告白した (この女性の名は、イザベリナ杉本百合だったと言われている)。彼らは聖母像があること、神父が独身であることから間違いなくカトリックの教会であると確信し、自分たちが迫害に耐えながらカトリックの信仰を代々守り続けてきたいわゆる隠れキリシタンである事実を話し、プティジャン神父を喜ばせた[21]。
その後、プティジャン神父は密かに浦上や五島などに布教を兼ねて訪れ、隠れた信者の発見に努めた。浦上だけでなく長崎周辺の各地で多くのカトリック教徒が秘密裏に信仰を守り続けていたことがわかった。この「信徒発見」のニュースはやがて当時の教皇ピオ9世のもとにもたらされた。教皇は感激して、これを「東洋の奇蹟」と呼んだという。この日は現在カトリック教会では任意の記念日(祝日)となっている。
文化財
[編集]国宝
[編集]- 大浦天主堂 - 1953年(昭和28年)3月31日指定[6]。
国の重要文化財
[編集]- 旧羅典神学校 - 1972年(昭和47)5月15日指定[22]。
国の史跡
[編集]- 大浦天主堂境内 - 2012年(平成24年)9月19日指定[7]。
国の重要伝統的建造物群保存地区
[編集]- 長崎市南山手 - 1991年(平成3年)4月30日選定[23]。
- 選定地区内に「大浦天主堂境内」が含まれる。
長崎県指定有形文化財
[編集]- 旧長崎大司教館 - 2011年(平成23年)3月4日指定[24]。
世界遺産
[編集]2007年(平成19年)にユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定リストへ掲載が決まり、2018年(平成30年)に、ユネスコの世界遺産(文化遺産)「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を構成する資産の1つとして「大浦天主堂」が登録された[25][26]。
- 構成資産
- 大浦天主堂
- 旧羅典神学校
- 大浦天主堂境内
施設情報
[編集]- 所在地 - 〒850-0931 長崎県長崎市南山手町5-3
- 休館日 -
- 開館時間 - 通常:AM8:30 ~ PM6:00(拝観受付・最終入場は PM5:30まで)
- 冬季はPM5:30まで(拝観受付・最終入場は PM5:00まで)は
- 入館料 - 大人1000円。
交通
[編集]坂道を上った後、券売所からさらに石段を上ることになる。駐車場はない。
周辺
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “大浦天主堂”. 長崎市役所 文化財課 文化財課. 2023年2月7日閲覧。
- ^ a b “大浦天主堂境内”. 長崎市役所 文化観光部 文化財課. 2023年2月7日閲覧。
- ^ “南山手伝統的建造物群保存地区”. 長崎市役所 文化観光部 文化財課. 2023年2月7日閲覧。
- ^ “大浦天主堂の歴史”. 大浦天主堂公式. 2023年2月9日閲覧。
- ^ “天主堂”. 大浦天主堂公式. 2023年2月7日閲覧。
- ^ a b “大浦天主堂 / 国指定文化財等データベース”. 文化庁. 2023年2月2日閲覧。
- ^ a b “大浦天主堂境内 / 国指定文化財等データベース”. 文化庁. 2023年2月2日閲覧。
- ^ “大浦天主堂 / 世界文化遺産 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産”. 長崎県文化振興・世界遺産課. 2023年2月7日閲覧。
- ^ NHK 1986, p. 59.
- ^ 桐敷 1968, p. 16-18.
- ^ 桐敷 1968, p. 19.
- ^ a b “国宝・大浦天主堂国内初のバジリカに” (PDF). カトリック教報. カトリック長崎大司教区広報委員会. p. 1 (2016-08-01発行). 2023年2月11日閲覧。
- ^ “小バジリカ”. 大浦天主堂公式. 2023年2月9日閲覧。
- ^ 市制百年(1989年(平成元年)4月1日、長崎市役所)
- ^ 浦川 1943, p. 48.
- ^ a b c パリ外国宣教会所蔵の大浦天主堂設計図面
- ^ 大浦天主堂の創建時設計図を仏で発見:長崎新聞 2007年(平成19年)9月6日
- ^ 太田 1982, p. 144.
- ^ 1933年(昭和8年)1月23日文部省告示第14号。
- ^ 1953年(昭和28年)6月16日文化財保護委員会告示第65号。国宝の指定は3月31日付け。
- ^ 浦川 1943, pp. 50–63.
- ^ “旧羅典神学校 / 国指定文化財等データベース”. 文化庁. 2023年2月2日閲覧。
- ^ “長崎市南山手 / 重要伝統的建造物群保存地区 / 国指定文化財等データベース”. 文化庁. 2023年2月2日閲覧。
- ^ “旧長崎大司教館 / 文化財・郷土芸能”. 長崎市役所 文化観光部 文化財課. 2023年2月2日閲覧。
- ^ “長崎、天草の「潜伏キリシタン」が世界文化遺産に決定 22件目”. 産経新聞. (2018年6月30日) 2018年6月30日閲覧。
- ^ “長崎と天草地方の「潜伏キリシタン」世界遺産に”. 読売新聞. (2018年6月30日) 2018年6月30日閲覧。
- ^ 令和4年10月ダイヤ改正について - 長崎バスグループ(2022年10月9日閲覧)
参考文献
[編集]- NHK取材班 編『NHK 国宝への旅 第4巻』日本放送出版協会、1986年12月25日。ISBN 4-14-008499-5。
- 浦川和三郎『浦上切支丹史』全国書房、1943年。doi:10.11501/1041117。
- 太田 静六『長崎の天主堂と九州・山口の西洋館』理工図書、1982年。
- 桐敷 真次郎『大浦天主堂』中央公論美術出版、1968年。