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インディカー (Indy Car) とは
- 広義には、アメリカ合衆国を中心に開催されているフォーミュラカー(オープンホイールカー)レース、および、そこで使用されるレーシングカーの通称。世界三大レースのひとつ「インディ500」で使用されるような車両という意味から呼ばれる。
- 狭義には、ブリックヤード・トレードマークス(インディアナポリス・モーター・スピードウェイの子会社)が管理する商標。そのライセンス許諾を受けて、インディカー・ワールド・シリーズ (Indy Car World Series) やインディカー・シリーズ (IndyCar Series) が開催されてきた。
インディカーの意味
[編集]アメリカの自動車レースは周回路(オーバルトラック)で行われる。公道車をベースにストックカーも。 最高峰カテゴリであるナショナルチャンピオンシップ(National Championship, 国内選手権)
下からミジェットカー(Midget Car)、スプリントカー(Sprint Car)があり、最も大きいクラスはチャンピオンシップ・カー (Championship Cars)を略して「チャンプカー(Champ Car)」または、より曖昧な「ビッグ・カー(Big Cars)」と呼ばれた。
一方、ヨーロッパなどの他地域から見た場合、象徴的なイベントであるインディ500に出場するような特徴のあるマシンが「インディカー」と呼ばれるようになった。
1980年代以降は「インディカー・ワールド・シリーズ」と、下位の「インディ・ライツ」が
ヨーロッパ発祥のフォーミュラ1 (F1) と比較される機会が多いが、F1が国際自動車連盟 (FIA) 主催の国際選手権であるのに対し、インディカーは(時代によって主催者が異なる)地域選手権という点。
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ミジェットカー
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スプリントカー
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チャンピオンシップカー(チャンプカー)
歴史
[編集]ヨーロッパのモータースポーツ界でル・マン24時間レースやフェラーリの影響力が強いように、インディカーの世界でもインディ500と有力チームの動向によってシリーズが歴史を持つ。こうした内輪揉めは
F1でも2000年代に幾度かシリーズ分裂の危機が生じたが、インディカーの反面教師として回避された。
初期
[編集]選手権創成期のチャンピオンドライバーは投票によって決まったとされ、資料によって異なる場合もある。
選手権を主催していたのはアメリカ自動車協会 (American Automobile Association, AAA) であった。しかし、1955年にル・マン24時間レースで観客多数を巻き込む死傷事故が起きたほか、大事故が相次いだため、AAAは主催者から降りてしまった。
受け手となったのがアメリカ合衆国自動車クラブ (United States Auto Club, USAC) だった。
CARTの繁栄
[編集]1978年、USACの運営に不満を抱く有力チームオーナーたちが結束してチャンピオンシップ・オートレーシングチームス (Championship Auto Racing Teams, CART) という新団体を設立。1979年にはスポーツカークラブ・オブ・アメリカ (Sport Car Club of America, SCCA) と共同で独立シリーズを開催した。
1980年には両者が歩み寄り、USACがインディ500とダートオーバルなどの下位カテゴリを統括し、CARTがPPGインダストリーズを冠スポンサーとする「PPGインディカー・ワールド・シリーズ」各戦を統括するという形で合意がなされた。
CARTは積極的に海外展開を図るようになり、オーストラリア、日本、メキシコ、ブラジル、ドイツ、イギリスといった国々でレースを開催した。世界各国の自動車メーカーも北米市場におけるPR効果に興味を示し、アルファロメオ、メルセデス・ベンツ(イルモア)、本田技研工業(HPD)、トヨタ自動車(TRD USA)がエンジンサプライヤー(マニュファクチャラー)として
シリーズ分裂
[編集]ストリートコースが増えるとオーバルトラックでのレースが減り、ドライバーが多国籍化してアメリカ人ドライバーの低下したことなど。
「インディカー」の商標は1992年にインディアナポリス・モーター・スピードウェイによって登録され、1992年から1997年までCARTにライセンスされた。
インディ500を開催するインディアナポリス・モーター・スピードウェイの社長トニー・ジョージは、1996年にインディ・レーシング・リーグ (Indy Racing League, IRL ) を設立。インディ500ほか全戦オーバルレース、アメリカ選手中心という原点回帰主義
CART側はインディ500と同日に"US500"というレースを開催してみたが、インディ500の伝統と権威にはことができず、インディ500のみ参戦を認めるという妥協案がされた。
再統合
[編集]CARTは人気面ではいたが、ペンスキーがIRL転向を決めると、人気の凋落に歯止めが利かなくなった。2003年には経営破綻と共にチャンプカー・ワールド・シリーズ (Champcar World Series) へと移行したが、2008年を最後に終了した。
特徴
[編集]トラック
[編集]車両
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マーチ・86C(1986年)
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ペンスキー・PC22(1993年)
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レイナード・96I(1996年)
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ダラーラ・DW12(2012年)
代表的なチーム・ドライバー
[編集]日本との関係
[編集]日本でのインディカー開催は古く、1966年10月には「インディアナポリス・インターナショナル・チャンピオンレース」(通称:日本インディ)が開催された。ボリショイサーカスの来日公演などをプロモートした神彰が仕掛けたイベントで、インディカーのレギュラー選手とヨーロッパのドライバーを招聘して富士スピードウェイでレースを行い、ジャッキー・スチュワートが優勝した[1]。富士を通常とは逆の左回りで走行し、30度バンクは使用しなかった。オーバル育ちのインディカードライバーはハードブレーキに慣れておらず、最終コーナー(現在の1・2コーナー)でクラッシュする者が続出したという。
1990年代以降、ヒロ松下、松田秀士、服部尚貴、黒澤琢弥、中野信治、高木虎之介、ロジャー安川、松浦孝亮、佐藤琢磨といったドライバーが参戦。2013年には佐藤が日本人ドライバーとして初優勝した。
1997年には1.5マイルのオーバルトラックをもつツインリンクもてぎが開業し、1998年よりCARTシリーズの日本ラウンドが開催された。開催当初は分裂騒動のあおりで「チャンプカー」という日本では馴染みのない呼び名を周知する所から始まっている[2]。2003年よりホンダの転向に伴いインディカー・シリーズの1戦となり、2011年まで開催された。最終年はオーバルではなく、併設のロードコースで開催された。
インディ500はTBS系列で生放送された。NHK衛星第一テレビ (BS1) 、日本テレビ系列でほか、CS放送のGAORAで全戦中継されている。
脚注
[編集]- ^ "国内競技結果". 日本自動車連盟.
- ^ Kazuki Saito "チャンプ・カーって呼んで!". US-RACING.(2006年2月8日)2013年月日閲覧。