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利用者:Oesyokohama55/sandbox

1991年、元大韓航空、KLMオランダ航空、日本フライトアテンダントの小澤朝子が、自宅にて英会話教室を主宰、開校。 ※当初の名前は小澤英語教室。 その後、NHK英会話に講師として出演していたトーマス=ウォーカー氏と共に東京恵比寿を拠点に英会話・CAスクールとして開校。 1996年、恵比寿のスクールを現在のブランドとなる「OESアカデミー」と改名。 当時の呼称、スチュワーデス、スチュワード志望の学生を幅広く受け入れ、第1期生は全員客室乗務員の内定を手にした実績を積んだ。 当時、男性のエアライン志望者に対する受け皿がなかったにもかかわらず、小澤氏は将来性を感じ生徒を受け入れた。 そのため、航空業界においては大変センセーショナルで革新的なスクールであるとされ、NHKニュース及び民放各報道機関より取材を受けた。 また、現在のようにインターネットが普及していなかった時世に、テレビ電話を使い海外の教育機関と交換授業を行ったことも大いに革新的な試みであった。 尚、その新しい発想と行動力、実績について朝日、読売、毎日など各新聞社が大々的に報道し、パイオニアとして大きな記事となったことは航空業界の伝説とも呼ばれている。 同氏はイカロス出版のスチュワーデスマガジン(現月間エアステージ)において、自身の経歴を活かした記事、「英会話」および「マナーの極意」を執筆し、多くの客室乗務員志望者の参考、羨望の的となり読者ファンを多数得た。 上記のようにマスコミの取材及びメディア露出が増えた、生徒数が増加、恵比寿から表参道へ移転する。 表参道へ移転後、2005年には中東エミレーツ航空の人事部長、副社長が来校、小澤氏及びOESアカデミーの授業内容に感服し採用試験に携わる運びとなる。 翌2006年、同じく中東のエアライン、エティハド航空の採用窓口となり、日本から採用された同社の1期生はすべて小澤氏の教育の下で学んだOES生だったことは記憶に新しい。 2008年、エアアジア本社より。国際線に特化した同社のグループ会社エアアジアXの採用担当の依頼を受け、採用窓口を担当。まだローコストキャリア(LCC)が普及していなかった時世に、その存在を知らしめたのはOESアカデミーだったといえる。 小澤氏が見込んでエアアジアXへ送った人材は今なお様々な分野で活躍している。 2009年、カタール航空本社へ招かれ、ドーハにて日本人採用試験に関してのプレゼンテーションを行い、日頃よりの学生に対する英語力強化の指導法と、他校に抜きん出た内定率により、その実績を鑑みられカタール航空の採用代行権利を取得。 のちに、ジェットスターアジア、エアアジア、エアアジアジャパン、サウジアラビア航空、香港エクスプレス、香港航空、スクートなど、幅広く航空会社の採用窓口となている。 2011年、表参道から乃木坂、その後銀座に移転し現在に至る。