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利用者:Omotecho/アクスムのエザナ

エザナ
ゲエズ語:ዒዛና[注釈 1]

先代 オウサナス
Ousanas
次代 MHDYS

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エザナゲエズ語:ዒዛና, ローマ字転写‘Ezana(冒頭に無声の ዐዘነ (‘zn))またはAezanaAizanとも)は、古代のアクスム王国の王。尊号すなわち正式な称号サバアサルヘン、ヒムヤルとデュレイダンの王」を名乗った[1]。伝承によるとエザナは幼くして父王エラ・アミダ(すなわちオウサナス(英語))から王位を継ぎ、成長するまで母后ソフィア(Sofya of Axum)が摂政を務めたとされる。西暦350年頃にクシュ王国を征服し、版図は現在のエリトリアエチオピアに広がる(紀元320年代 – 360年頃)。

治世[編集]

エザナはキリスト教を信奉したアクスム王国初の君主であり[2]、またザ・ハカラ Za Haqala(すなわちゾスカレス)以降、同国の王のうちで現代の歴史家が初めて名をあげた。そのことは「現状でカレブ(英語)以前のアクスム王の中で最も著名」と歴史家S・C・マンロー・ヘイに言及させる前段となった [3]。幼少期のエザナ王子は自身を火星の申し子と信じ、碑文は長じてキリスト教に帰依したと示している。王子の家庭教師を務めたフルメンティウスシリア出身のキリスト者で、のちのエチオピア教会の主宰となる。ところがエザナと弟サイザナ(Saizana)にあてたアリウス派ローマ皇帝コンスタンティウス2世の手紙が現存しており、要旨はフルメンティウスには教義の誤りの疑義があり取り調べのためアレクサンドリアに遣わす(つかわす)こと、代わりにインドのテオフィロス(Theophilos the Indian)の指導を受けよと命じている。前出の研究者の解釈では、エザナはこの要求を拒んだもしくは無視したとみられる [4]

出兵を数回行ったエザナの戦功は、メロエ石碑ゲエズ語で刻んである。4世紀の戦役を記した碑文は2組に分かれ、エザナ王もしくは父王オウサナスの治世の戦いと解釈される。これらの碑文をアクスム王国がメロエ王国を滅した証拠と考える一部の研究者に対し、他の説では考古学の発掘品を論拠にメロエはおよそ300年の間に経済と政治面で衰退していったと読み取っている [5]。さらにヌバの抵抗と反乱を鎮圧しようとアクスムからメロエへ援軍を送った記念碑だと見る説もあるが、決定的な証拠も、どの見解が正しいか証明するものもない。

在位中に鋳造されたアクスム硬貨(Aksumite currency)に、片面にギリシャ文字で次の標語が読めるものがある。

ΤΟΥΤΟΑΡΕΣΗΤΗ ΧΩΡΑ- 「愛すべき祖国よ」
アクスム王エザナ

この標語は「アクスム人の残した造語の魅力を充分に伝え、臣民の願いと満足を心に懸けた王家の責任感を感じさせる」とコメントしたのは、前出の研究者マンロー・ヘイである [6]。インドの遺跡から1990年代後半にエザナの名を刻んだ硬貨が発掘され、交易があったことがわかった[7]。またこれらの硬貨の図柄は、領地のデザインである円盤と三日月から、キリスト教の十字架へ移行した点が顕著である。エザナの時代について特筆するなら「エザナ王のステッレ(wikidata)エザナ王のオベリスク(英語)が多く建てられたことも該当する。

硬貨に刻まれたとはいえ、エザナの名は王統記(King Lists)には見当たらず、その治世にあたるキリスト教の導入期に照らすとアブレハとアスベハ(Abreha and Asbeha)の名が記されている。このふたりの地位を後世にエザナと弟に適用したのか、あるいはエザナ兄弟であることは正しいが洗礼名を記載したのか判明していない[9]

エザナと弟のサイザナは、ともにエチオピア正教会から聖人に叙され、聖人暦は10月1日である[10]

関連項目[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ Ezanaはローマ字転写は「'Ezana」。

出典[編集]

  1. ^ Munro-Hay 1991, pp. 81Aksum
  2. ^ Munro-Hay, Stuart (2002). Ethiopia: The Unknown Land. I.B. Tauris. p. 41 
  3. ^ Munro-Hay 1991, p. 77Aksum
  4. ^ Munro-Hay 1991, p. 78ffAksum
  5. ^ Munro-Hay 1991, pp. 79, 224Aksum
  6. ^ Munro-Hay 1991, p. 192Aksum
  7. ^ Henze 2000, p. 31, 0no.18.
  8. ^ Ethiopia > 'Ezana” (英語). 2017年5月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年1月4日閲覧。
  9. ^ オンライン版事典Dictionary of African Christian Biography (http://www.dacb.org) の「'Ezana」の項を参照[8]
  10. ^ Holweck 1924.

参考文献[編集]

本文の典拠。主な執筆者の姓のアルファベット順。

  • Heldman, Marilyn Eiseman ; Munro-Hay, S. C. (Stuart C.) ; Grierson, Roderick. (1993) African Zion : the sacred art of Ethiopia. ニューヘイブン:Yale University PressISBN 0300058195, 0300059159, NCID BA24392226.
  • Henze, Paul B. (2000). Layers of Time: A History of Ethiopia. ニューヨーク: Palgrave. p. 31  図版no.18に詳しい。
  • (1924) (英語). A Biographical Dictionary of the Saints. ミズーリ州セントルイス: B. Herder Book Co 
  • Munro-Hay, S. C (1991). Aksum: An African Civilization of Late Antiquity. エディンバラ: University Press. pp. 81 . ISBN 0-7486-0106-6.

関連資料[編集]

本文の典拠ではない資料。発行年順。



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