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利用者:Omotecho/カール・ルードヴィッヒ・エンゲル

エンゲルの肖像(ヨハン・エリック・リンド英語版作)

カール・ルードウィヒ・エンゲルドイツ語: Carl Ludvig Engel 1778年7月3日 – 1840年5月14日)はドイツの建築家。代表作はフィンランドのヘルシンキ都心に集中する通り、大火で失われたヘルシンキ都心の復興に貢献した人物である。同市の元老院広場とその四辺に接する建物群とヘルシンキ大聖堂、また行政関連の議事堂(現・国会議事堂英語版)と市庁舎英語版、文京関連の作品では国立図書館とヘルシンキ大学本館が含まれる。ヨハン・カール・ルードウィヒ・エンゲル(ドイツ語: Johann Carl Ludwig Engel)ともいう。

経歴

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カール・ルードヴィヒ・エンゲルは1778年、ベルリンのシャルロッテンベルク英語版生まれで一家の生業はレンガ職であった。おそらくはその仕事を手伝ううちに、建築の仕事に出会ったと考えられ、ベルリン建築学校(Berlin Institute of Architecture)に進むと[1]プロイセンの建築物保守管理に携わった。1806年、国家が第四次対仏大同盟に敗北して公職から追放されると、1808年にエストニアタリンの建築士に応募して合格する。本拠地を現在のサンクトベテルブルクに移して新古典主義の帝政様式の建物群に囲まれたエンゲルは、間もなくロシアの支配が祖国にも及び、母国フィンランドが大公国として新たな統治段階を経験する様子を国外から感じていた。

タリンで1809年から仕事を始めても、コートゥ通り8番の宮殿のほかは仕事の受注が増えないまま、エンゲルはわずか数年で再び転職を考えた。この宮殿はエストニア法務庁舎に転用されている。エストニア時代のエンゲル作品は、おそらくケルヌ英語版の邸宅も含まれると考えられる。

フィンランドのトゥルクに移ったエンゲルは実業家に雇われて1814年から1年あまり働き、ここでヘルシンキ復興事業を率いるヨハン・アルブレヒト・エレンストロームと面識を得た。


おりからヘルシンキはフィンランド大公国の首都に昇格した直後であり、エレンストロームは自分の公共事業を補佐する有能な建築家を探していた。エンゲルにとっては職業人として決定的な転機であったはずであるが、この時点ではフィンランドに本拠を移さず、1815年3月にいったんサンクトペテルブルクに戻ると、民間の仕事を始める。

エンゲル作「ヘルシンキの眺め」(1820年)

いよいよ生まれ故郷に戻ろうとした1816年、エレンストロームはエンゲルをヘルシンキに呼び寄せる手はずを整えていた。この人事案をアレクサンドル1世皇帝 に奏上し、エンゲルにはその2月、ヘルシンキ市再建委員会の顧問建築士の辞令が発せられた。本人が「これも短期の任命だろう」と予想したとしても[要出典]不思議はないが、エンゲルは終生、ヘルシンキに腰を落ち着けた。

ヘルシンキで手がけた建築物の第1号が完成に近づいた1819年–1820年の時期に、エンゲルは昇進して大公国のお抱え建築士総代の立場を固め、依頼される建築案は増えていった。公共施設ばかりか民間の建物や私邸も含まれ、1824年には立場がきわまり、フィンランド全土の建築管理統括に着任して全国の主要な州の公共建築を統括するよう辞令が発布された[2]。建築現場はフィンランド各地に広がっていくが、それでもエンゲルは当初、プロイセンで再び働きたいという望みを捨てきれずにこの職分を辞退しており - その背景にはイタリア出身のカルロ・バッシ英語版初代代表が没し、プロイセンの建築士総代が空席であったことがあった。

エンゲルは建築管理統括時代に数々の重要な建築計画を監督しており、中規模の建築群にカンッピ地区英語版というヘルシンキ第4の地域のヘルシンキ旧教会(Helsinki Old Church 1826年完成)、ヘルシンキ国立劇場(Engels Teater 1827年完成)などがある。その1827年に都心部を焼き尽くすトゥルク大火英語版が発生、エンゲルは都市復興計画の責任者に任命された[要出典]

エンゲルの死没地はヘルシンキ、1840年5月14日に落命した。

ギャラリー

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脚注

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  1. ^ Carl Ludvig Engel - Great Buildings Online”. Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
  2. ^ C. L. Engel's collection of letters and drawings - Memory of the World”. Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。

関連項目

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外部リンク

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[[Category:19世紀フィンランドの建築家]] [[Category:19世紀ドイツの建築家]] [[Category:1840年没]] [[Category:1778年生]]