コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

利用者:Omotecho/ジェラルド・フェルスティーグ

肖像。第3次ニューギニア南部遠征中に撮影(1912-1913年頃)

へラルド・フェルスティーグ: Gerard Martinus Versteeg 1876年6月5日[1]ザイスト - 1943年5月3日デン・ハーグ[1])はオランダ出身の医師。20世紀初頭にオランダ遠征隊が南アメリカのオランダ領内陸部(現・スリナム)や東アジアのジャワ島を探検した時に3回同行し[2]、顧問医の仕事と動植物の標本収集[3][4]、生物や民族誌の撮影を担当した。1936年にオランダに戻り、デルフトに住まいを定めた[5]

スリナム遠征隊

[編集]

ザイストの請負業者の家に生まれたフェルスティーグは医者になる志を立てる。研修医時代に遠征隊に従ってオランダ領の現・スリナム東部の2河川の流域を踏査した。ゴニーニ(オランダ語)(1903年)とタパナホニー(オランダ語)(1904年)の両遠征では医療に加え、動植物の標本収集が任された[6]。両遠征隊で特筆に値する人物2名はどちらも地図製作者であった。一方の遠征隊長A. Franssen Herderscheeは王立オランダ領東インド陸軍将校[7]、他方はC.H. de Goeje(ウィキデータ)という名の王立海軍士官[8]で、民族誌の資料収集も担当した。これら2名にフェルスティーグを加えた3名は撮影の担当でもあり、社会の様子をカメラに収めた。

ニューギニア遠征

[編集]

卒業後、王立オランダ領東インド軍の衛生士官(オランダ語)に採用されると、フェルスティーグは1905年にオランダ領東インドに向けて出発した。おそらくはスリナムの医療・探検の実績が選考に影響したようで、ニューギニア中央部の「解けない雪山」マオケ山脈の山頂探検3回のうち2回に加わる。ヘンドリカス・ローレンツ隊長(Hendrik Lorentz)の率いる第1回(1907年)は初の南ニューギニア探検としてイリアンジャヤに入り[5]、雪山に到達していない。通算第3回に当たる遠征(1912年–1913年)の隊長A. Franssen Herderschee(ウィキデータ)とは、スリナム遠征に続く2度目の同行である。

こうしてフェルスティーグはニューギニアの雪山に入った最初の人物の1人となり、スリナムに続いて遠征隊の写真担当として記録を残す[注釈 1]。この遠征はA.A. Pulle 隊員が小冊子『オランダ第3次探検隊、ニューギニアの雪山へ』(仮題)にまとめた[9]

後半生

[編集]

フェルスティーグはユトレヒト大学で医学研究に携わった頃から1943年に没するまで日誌を記しており、政府に派遣されたオランダ領東インド時代(1920年–1930年)も詳しい情報がある。ジャワ島の赴任先では地域の疫病対策の責任者としてソロ(現スラカルタ)、クニンガン、スマランの各都市で働き、帰国した。現役最後の数年は中央統計局の医務官を務め、1943年に退官直後、ハーグで没する。

日誌

[編集]

フェルスティーグの子孫は2010年、オランダ王立熱帯研究所オランダ語版英語版に手書きの日誌1冊を寄贈した。ニューギニア各地で記した詳しい説明が含まれ、文章に多数のスケッチと手書きの地図が添えてある。もう1冊、ゴニーニ遠征後の部分を記した日誌はオークションに出品された時、同研究所が落札した。

書籍化

[編集]

熱帯研究所が保管する日誌はいずれも2020年に書籍化された[注釈 2]。また業務記録用のほか、1897年から1935年までつけた個人的な日記はアントン・フェルスティーグの編集により6巻セットで自費出版された[2][注釈 3]。それぞれの主題は第1巻と第6巻にオランダ、第2–5巻にはジャワ島、スマトラ島ボルネオ島など赴任先の様子を書きつけてある[注釈 4]

主な功績

[編集]

ウィルへルミナ山(現・トリコラ山)の遠征では下山中に植物標本の採集を担当している(1913年2月[5])。アカネ科のヴェルスティギア・バレトン属(Versteegia Valeton[3]サトイモ亜科Cryptocoryne versteegii Engl.[4] はいずれもフェルスティーグに献名された[5][10]

  • "Versteeg, Gerard Martinus (1876-1943)" JSTOR[5]
  • 動植物標本(オランダ王立熱帯研究所収蔵)
  • 旧オランダ領東インドの写真記録
    • オランダ王立熱帯研究所ほか収蔵
    • ウィキメディアコモンズに収載。

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ この遠征はA.A. Pulle 隊員が小冊子『オランダ第3次探検隊、ニューギニアの雪山へ』(仮題)にまとめた。
  2. ^ 原題は『Derde Zuid Nieuw-Guinea Expeditie 1912-1913. Dagboek van Gerard Martinus Versteeg, arts』全2巻、2020年。(仮題『第3次南ニューギニア遠征1912年–1913年 — 医師ジェラルド・マルティヌス・フェルスティーグの日記』)
  3. ^ 『Derde Zuid Nieuw-Guinea expeditie 1912–1913: Dagboek van Gerard Martinus Versteeg』, arts [『第3回ニューギニア探検1912年–1913年』副題— 医師Diary of Gerard Martinus Versteeg, Physician]. Versteeg, Anton 編. オランダ、私家版、2020年。 Vols 1 & 2, 261 & 240 pp., 挿し絵あり。ISBNなし。販売元Boekenbestellen.nl.
  4. ^ 出版社はPumbo Publishers)。私家版のため書籍コード(ISBN)はない。

出典

[編集]
  1. ^ a b Gerard Martinus Versteeg” (英語). bionomia.net. 2023年2月1日閲覧。
  2. ^ a b Ploeg, Anton (29 Jan 2022). “The ‘Third Expedition to South New Guinea’: A Review Essay” (英語). The Journal of Pacific History. doi:10.1080/00223344.2021.1994855. https://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/00223344.2021.1994855 2023年2月2日閲覧。. 
  3. ^ a b (英語) Isotype of Anotis papuana Lauterb. f. versteegia Valeton [family RUBIACEAE]. doi:10.5555/al.ap.specimen.u0041261. https://plants.jstor.org/stable/10.5555/al.ap.specimen.u0041261?searchUri=filter=name&so=ps_group_by_genus_species+asc&Query=Versteegia+Valeton 2023年2月2日閲覧。 
  4. ^ a b (英語) Isotype of Cryptocoryne versteegii Engl. [family ARACEAE]. doi:10.5555/al.ap.specimen.k000291564. https://plants.jstor.org/stable/10.5555/al.ap.specimen.k000291564?searchUri=q0=Cryptocoryne+versteegii&c1=AND&q1=&c2=AND&q2=&c3=AND&q3=&c4=AND&q4=&c5=AND&q5=&c6=AND&q6=&scope=plants&family=&genus=&specific_epithet=&infraspecific_epithet=&ps_author=&collector=&collection_number=&year_from=&year_to=&country=&locality=&herbarium_code=&herbarium_name=&ps_title=&filter=free_text&so=ps_group_by_genus_species+asc&asf=true&Search= 2023年2月2日閲覧。 
  5. ^ a b c d e Versteeg, Gerard Martinus (1876-1943) on JSTOR”. plants.jstor.org. doi:10.5555/al.ap.person.bm000031846. 2023年2月1日閲覧。
  6. ^ Herderschee, A. Franssen; Expeditie, Nederlandsche Nieuw-Guinea (フランス語). Nova Guinea : résultats de l'expédition scientifique néerlandaise à la Nouvelle-Guinée en 1912 et 1913. E.J. Brill. https://ci.nii.ac.jp/ncid/BA8643518X 
  7. ^ Herderschee, A. Franssen. “Nova Guinea : résultats de l'expédition scientifique néerlandaise à la Nouvelle-Guinée en 1912 et 1913”. (No Title): Vols. 12-13:1912年&ndah;1913年の探検隊長として。 Vols. 10-11:公刊していない。. https://cir.nii.ac.jp/crid/1130282270845858688. 
  8. ^ Goeje, Claudius Henricus de (1906) (オランダ語). Bijdrage tot de ethnographie der Surinaamsche Indianen. E.J. Brill. https://ci.nii.ac.jp/ncid/BA85636302 
  9. ^ Naar het Sneeuwgebergte van Nieuw-Guinea met de Derde Nederlandsche Expeditie. アムステルダム:Maatschappij voor goede en goedkoope lectuur, z.j. (1921年前後)
  10. ^ Vegter, H.I., Index Herb. Coll. T-Z (1988): 1082.

関連資料

[編集]

脚注に使用していない資料。発行年順。

  • Nol Wentholt, 'G.M. Versteeg (1876-1943)'. Linda Roodenburg, De bril van Anceaux. Volkenkundige fotografie vanaf 1860. Zwolle/Leiden: Waanders Uitgeverij/Rijksmuseum voor Volkenkunde, 2002, pp. 96-105.
    • ノル・ウェンソルト「G.M. Versteeg (1876-1943)」Linda Roodenburg『De bril van Anceaux. Volkenkundige fotografie vanaf 1860』(1860年代の民俗写真)。ズボーレ(ライデン):Waanders Publishers、国立民族学博物館、2002年、pp. 96-105。
  • Op Het Geheugen van Nederland zijn honderden foto's, die Versteeg in Suriname, Nederlands Indië en Nieuw-Guinea maakte beschikbaar.
    • フェルスティーグがスリナム、オランダ領東インド、ニューギニアで撮影した写真のうち、数百点を『Het Geheugen van Nederland』(オランダの記憶)に収載。
  • Ploeg, Anton (2022-01-02). “The ‘Third Expedition to South New Guinea’: A Review Essay” (英語). The Journal of Pacific History 57 (1): 89–98. doi:10.1080/00223344.2021.1994855. ISSN 0022-3344. https://doi.org/10.1080/00223344.2021.1994855. 



Category:オランダの医師