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利用者:Poo tee weet?/8

▼▼▼パンの歴史[編集]

ポンペイの火山灰によって黒ずみ腐敗をまぬがれたパン(ポンペイから)
健康全書にみる15世紀イタリア北部のパン屋

パンの歴史は少なくとも3万年以上は遡ることができる。初めてつくられたパンはおそらく小麦の粉と水を焼くとできる、穀物を練ったもの(grain-paste)の一種であり、料理をつくったときに偶然できたものか、意図的だったとしても実験的につくられたはずである。この初期のパンの子孫のような料理はいまも世界中でさまざまな穀物をつかってつくられている。ラーヴァーシュ、タブーン、サンギャク、メキシコトルティーヤ、インドのチャパティロティナンスコットランドのオートケーキ、北アメリカのジョニーケーキ、中東のピタ、エチオピアのインジェラである。現代のフラットブレッドは古代の文明においても食生活の柱をなしていた。シュメール人は大麦のフラットケーキを食べていたし、紀元前12世紀のエジプト人も村の通りにゆけばター(ta)と呼ばれるフラットブレッドを店で買うことができた[1]。古代ギリシアではパンが儀式にも用いられ、地底の神々にプサディスタ(psadista)という細かくふった(fine)粉と油、ワインでつくったパンが捧げられた[2]

先史時代[編集]

考古学的に認められる最古の痕跡としておそらく無酵母のパンに使われたであろう粉があり、それが前期旧石器時代のヨーロッパであることから、時間にして3万年ほど遡ることになる[3]。この頃の穀物はまだ人類が狩猟と採集によって手に入れた無数の食べ物のなかの一つであった[4] 。旧石器時代のヨーロッパ人の食事は主に動物性のタンパク質と脂肪からなっていたのである[3]。およそ1万年ほど前の 新石器時代になると 肥沃な三日月地帯で小麦と大麦が初めての栽培植物になるため、穀物とそしてパンは主食に位置づけられた。そして小麦を軸にした農業は東南アジアからヨーロッパ、北アフリカ、亜大陸のインドなどに拡がっていった。小麦だけでなくトウモロコシモロコシ属一般などが世界中でつくられるようになり、時にはパンに使われた。それらは無関係に(independently)栽培され、代替農法の基本となる作物になっていく。世界のどこでも狩猟と採集による様々な収穫を食事とすることから、農業によってたとえば穀物でいえば小麦のパンを主食として大いに頼るようになったことは、人類の歴史における重要なターニング・ポイントである[5]。栄養面でいえば多くの点を狩猟と採集に譲るものであっても、禾穀類は農村社会がそれ以前とは比べものにならないほどの人口を抱えることを可能にした。それは続くいちじるしく特殊化した経済と複雑化した社会とにつながり、ついには文明化した国家が興るのである[6]

無酵母のパンの軌跡も、おそらく先史時代から追うことになる。イーストの繁殖は穀類の表面をはじめとしてどこでも起こるため、それ以外のドー(パン生地)にも必然的に発酵にいたる[7]。発酵は有史以前から利用されてきたはずだが、考古学的には古代エジプトが最古の地である。電子顕微鏡で調べると古代エジプトのパンにはイースト菌の細胞を検出できるものがあるからだ。しかし古代エジプトのパンはエンマ-小麦でできており、密になったパン芯(dense crumb)がある。イースト菌の細胞が見えないこともあり、視覚的な調査ではパンが発酵しているのかを確実に知ることは難しい。結論としては古代エジプトではパンに酵母が使われていたかどうについては不明瞭なままである[8]

人類の初期社会におけるパンの重要性は強調してもしすぎるということはない。アジアの西から小麦が栽培され、耕作が北と東に拡がり、さらにはヨーロッパと北アフリカに及んだ。そして人類が狩猟民と採集民よりも農民を選択することを可能になったのである。その後は遊牧生活から都市の形成につながり、はるかに洗練された社会的な秩序が生み出される。これは米を中心にした東アジアやトウモロコシを中心にしたアメリカでも同様の経過をたどっている。

古代[編集]

初期のパンにもちいられた酵母については複数の出典がある。調理の前に生のままの生地を適当に風にあてておくことで風媒のイーストが発酵させてくれる。 大プリニウスガリア人イベリア人が「よそよりも軽いパン」をつくるためにビールからすくった泡を使っていたことを記している。古代の世界では、ビールの代わりに(drank)ワインを使って小麦とブドウ果汁の練り物をつくり、発酵をすすめようとした。あるいはイーストの供給源代わりにワインに浸した小麦のふすまを使った。だが発酵の材料として最も一般的だったのはサワードーの発酵種として有用なあらかじめ残しておいたドーのかけらだった[9]。(要チェック)

余熱することができる自立型のオーブンに出し入れする扉をつけるというアイデアはギリシア人のものである[10]

古代でさえパンの種類にはいとまがない。古代ギリシアのパンは大麦を使っているが、これはソロンが小麦のパンを焼くことができるのは祭日だけだと触れを出したからである。5世紀ごろのアテナイの人々はパン屋からパンを買えるようになっていて、ローマではギリシア人のパン屋が紀元前2世紀ごろに出現している。これはギリシア化した小アジアが属州としてローマの支配下にはいったためである[11]。異国のパン職人にはコレギウム(組合)をつくることが許されていた。「 食卓の賢人たち」のなかでアテナイオスがパンやケーキ、クッキー、ペストリーといった古代ギリシア・ローマでも食べることのできた料理について述べている。言及があるパンの種類は、ホットケーキや蜂蜜と油のパン、ケシの実をつつんだマッシュルームの形をしたパン塊、軍人のために鉄串で焼かれたロールパンである[12]。パンに使われる小麦の種類や質も様々で、Diphilusが書いているように「小麦のパンは大麦のパンと比べて滋養がよく、消化もよい。あらゆる面ですぐれている。秀でたパンを並べるとまず来るのが、徹底的にふるって細かくさえした小麦をつかったパンで、その次が普通の小麦をつかったもの、最後にふるってより分けていない小麦のパンである」[13]。パンが食事に欠かせないものであることはほかの料理の名前をみればわかる。 薬味(ópson)、つまりそれ以外はなんでもパンの添え物ということだ[14]

中世[編集]

14世紀フランスの『モデュス王とラティオー王妃の書』にみるパンを分け合う農民たち14世紀、フランス(ビブリオテーク・ナショナル)

中世ヨーロッパではパンは主食としてだけでなくテーブルサービスの一部となっていた。祭日の(the day)標準的なテーブルのセッティングであればトレンチャーには6インチ×4インチの古くなったパンが吸湿剤がわりに供された。食事が終わると最後にはトレンチャーも食べられたり、貧しい人間に与えたり、犬のえさに使われた。15世紀になるまでは木のトレンチャーのかわりに様々なパンが置かれていた.[15]

20世紀より前のパンにはたいてい有害な物質がまぜられていた。チョークやおがくず、ミョウバン、石膏、粘土、アンモニウムなどである[16] [17]

現代[編集]

パン焼きの工業化は現代社会の形成に寄与している[18]。 パンスライサーの父とされているオットー・ローダー は1912年にこの装置の研究に取り組みはじめたのだが、パン屋のほうではスライスしたパンはかびやすくなると機械を敬遠していた。やっと1928年になってローダーはスライスしたパンのうけが良くなるように、切ると同時にラップ(wrap)をする機械を発明する。初めてそれを使ってパンをスライスしたのはミズーリ州チリコシーのパン屋だった。

長い間白いパンが裕福な人間のパンとして好まれており、黒い(全粒粉の)パンは貧しい人が食べていた。しかし20世紀にはいると西欧社会の多くでこういった文脈が覆され、全粒粉パンは高い栄養価をもつという長所があると好まれるようになり、一方で白パンは栄養学とは無縁の貧民の食事になっていった[19]

もう一つの大きな前進が1961年のチョーリーウッド製法の登場である。これはドーに機械で強力な作業をほどこすもので発酵時間を劇的に短縮し、パン作りにかかる時間を減らすものだった。このダイナミックな混合を行う製法は劣った穀粒でもパンにすることができ、いまや世界中の巨大工場で広く使用されている。求める風味と食感をつくりだすために、ドーをイーストと混ぜて捏ねては休ませるという手順を複数回繰り返してから焼成を行うという、非常に時間がかかる伝統的なパン作りとはきわめて対照的である。

さらに現代に近づくと、特に小規模な小売りのパン屋ではブレッド・インプルーバー(化学添加物)を使って、混合の時間を早め、発酵時間を減らそうとするようになる。そのため混合、発酵、成形、焼成という一回の工程が3時間かからずにできるようになった。科学添加物を使うため発酵が必要ないドーのことを賢いパン屋たちは「クイック・ブレッド」と呼ぶ。L-システインピロ亜硫酸ナトリウム といった還元剤と、臭素酸カリウムアスコルビン酸などのオキシダンが一般に添加されるものである[20]。しばしばこれら添加物はあらかじめベースのような形でドーにはいっており、小麦粉以外の成分のほぼ全て、あるいは全てになっている。こういったベースや不純物としての薬品を使用することで、賢いパン屋は名人のパンのまがいものや小さな店で働く二流の職人が伝統的につくってきたサワードーのパンをつくることができるようになったのである。

最近では個人向けのホームベーカリーでパン作りが自動的にできるため、一般家庭で人気を博している。

外部リンク[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Tannahill, Reay (1973). Food in History (Stein and Day. ISBN 0-8128-1437-1). p. 37, 61, 69.
  2. ^ したがってこの三つの基本的な食材が捧げられたということになる。Miguelonne Toussaint-Samat, Anthea Bell, tr. 2009. The History of Food, rev, ed. p. 201.(マグロンヌ トゥーサン‐サマ『世界食物百科―起源・歴史・文化・料理・シンボル』)
  3. ^ a b doi:10.1073/pnas.1006993107
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  4. ^ Pettitt, Paul (2005). “The Rise of Modern Humans”. In Chris Scarre. The Human Past: World Prehistory and the Development of Human Societies 
  5. ^ Scarre, Chris (2005). “The World Transformed: From Forages and Farmers to States and Empires”. In Chris Scarre. The Human Past: World Prehistory and the Development of Human Societies 
  6. ^ Diamond, Jared (1997). Guns, Germs and Steel 
  7. ^ McGee, p. 517[要文献特定詳細情報]
  8. ^ D. Samuel (2000). "Brewing and baking". Ancient Egyptian materials and technology. Eds: P.T. Nicholson & I. Shaw. (Cambridge: Cambridge University Press ISBN 0-521-45257-0) p. 558.
  9. ^ Tannahill p. 68f.
  10. ^ Toussaint-Samat 2009, p.202
  11. ^ Toussaint-Samat 2009, p.204 gives a date of 168 for "a considerable influx of craftsmen bakers (pistores) of Greek origin into Rome".
  12. ^ Chrysippus of Tyana gives a list of thirty kinds, without commentary (Toussaint-Samat 2009, p. 202).
  13. ^ Tannahill p. 91
  14. ^ ópson」は現代では魚を意味する(Toussaint-Samat 2009, p. 202)。食生活の変化が反映されている。イタリアではいま「contorni」といえばパンより肉に添えられるものだ
  15. ^ Tannahill p. 227
  16. ^ http://www.rsc.org/education/eic/issues/2005mar/thefightagainstfoodadulteration.asp
  17. ^ http://symposiumsmb.com/food-additives-advances-and-challenges
  18. ^ It occupies a section in Siegfried Giedion, (1948) 1969.. Mechanization Takes Command (New York Oxford University Press).
  19. ^ Christianne L.H. Hupkens, Ronald A. Knibbe and Maris J. Drop, for example analyzed social class variation in the intake of fat and fibre, including white bread consumption, in Maastricht, Liège and Aachen, "Social Class Differences in Women's Fat and Fibre Consumption: A Cross-National Study" 1995; the literature on class perceptions and diet is enormous.
  20. ^ Pyler p. 703[要文献特定詳細情報]

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